ポライモス
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ポライモス(Porajmos、Porrajmos、Pharrajimosとも)とは、第二次世界大戦中にナチス・ドイツやクロアチア独立国、ハンガリー王国など枢軸国が実行したロマ絶滅政策を指す。ロマ語の複数の方言で「絶滅」ないしは「破壊」の意。
ヒトラー政権下、ロマ及びユダヤ人はいずれもニュルンベルク法により「人種に基づく国家の敵」と定義され、ナチス占領下の国家においても同様の絶滅政策が採られた[1]。
第二次世界大戦におけるロマの犠牲者数は、推計で22万人から150万人に上るとされる[2]。
しかし、テキサス大学オースティン校ロマ研究プロジェクトの主事を務めるイアン・ハンコックによると、被害者数は過小評価される傾向があるという。ハンコックはクロアチア、エストニア、ルクセンブルク及びオランダでほぼ全てのロマが殺害されたと指摘している[3]。
ルドルフ・ラムルハワイ大学名誉教授は、ナチス・ドイツで25万8000人[4]、イオン・アントネスク政権下のルーマニア王国で3万6000人[5]、そしてウスタシャクロアチアでは2万7000人[6]が犠牲になったとしている。
被抑圧民族協会によると犠牲者は27万7100人に上り[7]、イギリスの歴史学者マーティン・ギルバートはヨーロッパの70万人のロマのうち犠牲者が22万2000人以上になると推測している[8]。
この他にもアメリカ合衆国ホロコースト記念博物館は殺害されたシンティ・ロマ人及びロマの推計が22万人から50万人になるとしている[9]。