Loading AI tools
ウィキペディアから
スイサイダル・テンデンシーズ(Suicidal Tendencies)は、アメリカ合衆国出身のスラッシュ/ハードコア・バンド。
スイサイダル・テンデンシーズ Suicidal Tendencies | |
---|---|
ドイツ バレンシュテット公演(2024年) | |
基本情報 | |
出身地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州ヴェニス |
ジャンル | ハードコア・パンク、クロスオーバー・スラッシュ、スラッシュメタル、ミクスチャーロック |
活動期間 | 1982年 - 1995年、1997年 - |
レーベル | フロンティア、キャロライン、ヴァージン、エピック、Suicidal |
公式サイト |
www |
メンバー |
マイク・ミューア (Vo) ディーン・プレザンツ (G) ベン・ワインマン (G) タイ・トゥルヒーヨ(B) ジェイ・ワインバーグ(Ds) |
旧メンバー |
ロッキー・ジョージ (G) マイク・クラーク (G) ロバート・トゥルヒーヨ (B) ステファン・ブルーナー (B) ブランドン・ペルツボルン (Ds) ほか別記参照 |
米国西海岸の代表的なハードコアバンドで、1980年代初期はスケーターズロック、以降はスラッシュメタルやファンクの影響を取り入れた「クロスオーバー・スラッシュ」の先駆者となった。
1982年、カリフォルニア州ヴェニスで、スケートチーム「Z-BOYS」のオリジナル・メンバーだったジム・ミューア(Jim Muir)の実弟マイク・ミューアを中心に結成された。1983年にフロンティア・レコードからアルバム『スイサイダル・テンデンシーズ』でデビュー。過激な歌詞、カリフォルニアのローカル・ギャングのようなファッション(初期メンバーのエイメリー・スミスは実際に元ギャングだった)、そして自殺を示唆するバンド名が問題となり、1983年から1991年までの間、バンドはロサンゼルスでのライブ・パフォーマンスを禁止された。
1987年にリリースされたセカンド・アルバム『Join The Army』では、新たに加入したギタリスト、ロッキー・ジョージの影響もあり、スラッシュメタル寄りのアプローチを見せるようになる。地元のスラッシュメタル・バンド、ノー・マーシー (No Marcy)のギタリストだったマイク・クラークがリズムギターとして加入したサード・アルバム『How Will I Laugh Tomorrow...』ではさらにメタル色が強まった。1989年にベースにロバート・トゥルヒーヨを迎えた後のアルバム『Lights...Camera...Revolution!』、5th『Arts Of Rebellion』では従来のサウンドにファンク色が取り入れられている。セールス上はこの時期がバンドの絶頂期に当たり、1991年にはメガデス、テスタメント、スレイヤーと共にClash Of The Titansツアーに参加している。
1991年より、マイク・ミューアはベーシストのロバート・トゥルヒーヨと共にインフェクシャス・グルーブスを始める。スイサイダル・テンデンシーズ本体としては、1993年にファースト・アルバム&セカンド・アルバムの再録盤『Still Cyco After All These Years』を、1994年にはアルバム『Suicidal For Life』をリリースする。しかし、そのセールスは芳しくなく、エピック・レコードとの契約を切られたバンドは、ツアー後の1995年に解散した。
解散後、1996年よりマイク・ミューアは「サイコ・マイコ (Cyco Miko)」の名義でソロ活動を行っていたが、1997年にスイサイダル・テンデンシーズの活動を再開する。1999年には『Freedumb』、2000年には『Free Your Soul And Save My Mind』をSuicidal Recordsよりリリースした。
21世紀に入ってからは新作を発表せずライブ活動に専念していたが、2010年に初期作品を再録した『No Mercy Fool!/The Suicidal Family』をリリース。2012年4月には来日公演を行い[1]、その翌年にもインフェクシャス・グルーブスと共に来日した。2013年、13年ぶりの完全新作となるアルバム『13』を発表したが、翌年、ベース担当のティムが病気により急逝した[2]。後に、ティムの後任としてマイケル・モーガンを迎え、同時に一時期バンドを離れていたドラマーのエリック・ムーアも復帰した。
2016年、デイヴ・ロンバード、ジェフ・ポーガン、ラ・ディアスが加入しリズム隊を総入れ替え。アルバム『World Gone Mad』をリリース[3]。
2024年9月時点
上記2名が参加した音源は存在しない。
ファースト・アルバムに参加。
スタジオ音源は存在しない。1983年に行われたファースト・アルバムのツアーに参加。Join The Armyなどに収録される曲を数曲作っている。それらの曲の権利は脱退時にすべてマイク・ミューアに売り渡した(マイクの持っていたフライングVのプロトタイプモデルと交換したとも言われる)。
Welcome to Veniceからバンドに加入し、Join the ArmyからSuicidal for Lifeまで参加。アイバニーズ・RGシリーズがトレードマーク。スレイヤーのジェフ・ハンネマンと「Pap Smear」というパンク・バンドをしていた時期もある。
How Will I Laugh Tomorrow When I Can't Even Smile Todayから13まで参加。バンドのメイン・ソングライターとして数多くの曲を作った。クラーク参加以前に作曲された曲のみを収録したStill Cyco After All These Yearsを除けば、参加したすべてのアルバムで作曲を担当している。
マイク・ボール脱退直後はギタリストとして参加していた。
マイク・ボール脱退直後にベーシストとして参加。
ファースト・アルバムからJoin The Armyまで参加。パンク志向が強く、メタルに影響されて変化することに否定的だった。
元No Mercyのベーシストで、マイク・クラークと同時に加入。現在使用されているバンドのロゴを制作した。
How Will I Laugh Tomorrow When I Can't Even Smile Todayに参加。突如解雇された後、しばらくは音楽活動を続けていたが、その後はカーレース専門の写真家に転身した。
Lights...Camera...Revolution!からSuicidal for Lifeまで参加。現在はメタリカに加入。
Six the Hard WayからFree Your Soul and Save My Mindまで参加。現在はドートリーのベーシスト。
Year of the CycosからNo Mercy Fool!/The Suicidal Familyまで参加。サンダーキャットという名義でベーシストとして活動を続けている。
バークリー音楽大学出身。2014年に死去。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.