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アメリカのバスケットボール選手 (1972 - ) ウィキペディアから
シャキール・ラショーン・オニール(Shaquille Rashaun O'Neal, [ʃəˈkiːl] shə-KEEL; 1972年3月6日 - )は、アメリカ合衆国・ニュージャージー州ニューアーク出身の元プロバスケットボール選手。現在はインサイド・ジ・NBAのスポーツアナリストである。
2017年のオニール | ||||||||||||||||||
引退 | ||||||||||||||||||
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愛称 |
Shaq The Diesel The Big Aristotle | |||||||||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||||||||||||||
生年月日 | 1972年3月6日(52歳) | |||||||||||||||||
出身地 | ニュージャージー州ニューアーク | |||||||||||||||||
身長(現役時) | 216cm (7 ft 1 in) | |||||||||||||||||
体重(現役時) | 147kg (324 lb) | |||||||||||||||||
ウィングスパン(現役時) | 224cm (7 ft 4 in)[1] | |||||||||||||||||
キャリア情報 | ||||||||||||||||||
高校 |
フルダ・アメリカン高等学校 ロバート・G・コール高等学校 | |||||||||||||||||
大学 | LSU | |||||||||||||||||
NBAドラフト | 1992年 / 1巡目 / 全体1位 | |||||||||||||||||
オーランド・マジックから指名 | ||||||||||||||||||
プロ選手期間 | 1992年–2011年 | |||||||||||||||||
ポジション | C | |||||||||||||||||
背番号歴 | 32, 34, 33, 36 | |||||||||||||||||
永久欠番 |
レイカーズ 34 ヒート 32 マジック 32 | |||||||||||||||||
経歴 | ||||||||||||||||||
1992–1996 | オーランド・マジック | |||||||||||||||||
1996–2004 | ロサンゼルス・レイカーズ | |||||||||||||||||
2004–2008 | マイアミ・ヒート | |||||||||||||||||
2008–2009 | フェニックス・サンズ | |||||||||||||||||
2009–2010 | クリーブランド・キャバリアーズ | |||||||||||||||||
2010–2011 | ボストン・セルティックス | |||||||||||||||||
受賞歴 | ||||||||||||||||||
1994(.599) 1998(.584) 1999(.576) 2000(.574) 2001(.572) 2002(.579) 2004(.584) 2005(.601) 2006(.600)
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通算成績 | ||||||||||||||||||
得点 | 28,596 (23.7 ppg) | |||||||||||||||||
リバウンド | 13,099 (10.9 rpg) | |||||||||||||||||
ブロック | 2,732 (2.3 bpg) | |||||||||||||||||
Stats Basketball-Reference.com | ||||||||||||||||||
バスケットボール殿堂入り選手 (詳細) | ||||||||||||||||||
FIBA殿堂入り選手 (詳細) | ||||||||||||||||||
カレッジバスケットボール殿堂入り (2014年) | ||||||||||||||||||
代表歴 | ||||||||||||||||||
キャップ | アメリカ合衆国 1994-1996 | |||||||||||||||||
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シャック(Shaq)の愛称で知られ、全盛期にはNBA史上最も支配的なプレイヤーと称され、歴代最高のセンターの一人と考えられている[2][3][4][5]。巨漢の集まるバスケットボール選手の中でも、身長7 ft 1 in (2.16 m)、体重が325 pounds (147 kg)と規格外の体格をもつ選手であり、NBA史上最も体重の重い選手である[6]。
「Shaquille Rashaun(シャキール・ラショーン)」とは、アラビア語で「小さな勇士」という意味だと本人は語っている[7]。
実の父ジョセフ・トーニーは高校時代からバスケットボールのスター選手で、シートン・ホール大学に進学したが薬物中毒で途中退学し、1972年12月には麻薬購入のために小切手を偽造した罪で連邦刑務所に収監された。そのため母ルシールは幼いオニールを連れ、フィリップ・ハリソンと再婚する。それから今日までオニールはフィリップを本当の父親と考えている(後に姿を現したトーニーはインタビュアーに「テレビでプレ・オールスターゲームを見るまで息子の行方が分からなかった」と話した。トーニーは1993年のオーランド・マジック対ニュージャージー・ネッツの試合後にオニールに会うだろうと語ったが、オニールは現れなかった。トーニーは2002年の時点でニューアークの施設に住んでいたが、オニールは彼に会う考えはないと語っている)。
1992年のNBAドラフトでルイジアナ州立大学からオーランド・マジックに1巡目全体1位で指名されオニールはNBA入りを果たす。ルーキー・イヤーからバスケットのゴールをダンクシュートで2度も破壊(1度はリングをもぎ取りボードが粉々になった)するというパフォーマンスを見せ、改めてその怪物ぶりを示している(因みに両試合ともテレビで全米中継されていた。また、これが原因で現在のボードとリングの接合部は、過重を吸収するショックアブソーバー機能を持たせたバネ結合に改良された)。チームを41勝41敗と勝率5割に導いたものの1勝差でプレイオフ進出を逃した。新人王を受賞し、華々しいスタートを切った。
1993-94シーズン、ペニー・ハーダウェイがトレードでマジックに加入した。オニールを中心にマジックはチームとして機能し始め、球団初のプレイオフ進出を果たした。また、オフにはシャック・ディーゼルの名でラップのCDをリリースし、チームメートのアンファニー・ハーダウェイおよびニック・ノルティと共に映画『Blue Chips』に出演してハリウッドデビューを果たした。
1994-95シーズン、マジックに新たにホーレス・グラントが加わりオニールは毎試合インサイドを牛耳るようになり、前年逃した得点王の座についた。オニールとスーパースターに成長を遂げたハーダウェイとのコンビは「マジック・ジョンソンとカリーム・アブドゥル=ジャバー以来の強力デュオ」といわれた。オニールはチームをイースタン・カンファレンス最高勝率に導き、プレイオフでのホームコートアドバンテージを獲得した。そしてチームを初のNBAファイナルへと進出させることに貢献した。だが、ファイナルではアキーム・オラジュワン、クライド・ドレクスラーを擁するヒューストン・ロケッツの前に1勝も出来ずに敗退した。オニールはオラジュワンにベテランとしての上手さを見せ付けられた。それでも復帰したばかりとはいえマイケル・ジョーダンのいるシカゴ・ブルズをカンファレンス準決勝で破りファイナルに出場したことはオニールに取って大きな経験となり、NBAにとっても新たな時代を予感させる出来事であった。
1995-96シーズン、オニールは28試合を欠場するが、その間にハーダウェイが目覚しい活躍を見せマジックは勝ち星を積み重ねていた。ハーダウェイがオニールを上回る契約をマジックと交わしていたこともあり、この辺りから二人の不仲が徐々に表面化し始める。チームは2年連続で地区優勝を果たしプレイオフで再びブルズと対戦したが、今回は全く歯が立たずに敗退、オフにフリーエージェントとなったオニールは、ロサンゼルス・レイカーズへ移籍した。
1996-97シーズン開幕前、オニールはロサンゼルス・レイカーズとの7年総額1億2,000万ドルの契約に合意した(オニールは昔からレイカーズのファンだった)。レイカーズはオニールを含め複数のオールスター選手を抱えるチームだったが、オニールの唯我独尊のスタイルは相変わらずで、同じ年に入団したコービー・ブライアントとの確執も度々取り沙汰されるようになり、彼が移籍してから3年の間はファイナル進出はほど遠い状態だった。
1999-2000シーズン開幕前、チームがフィル・ジャクソンをヘッド・コーチに迎えるとレイカーズはオニールを主軸にトライアングル・オフェンスを布いて一気にウェスタンカンファレンス屈指の強豪へと生まれ変わった。オニール自身もチームプレーヤーへと変貌、このシーズンはチームを破竹の連勝に導きホームコート・アドバンテージを獲得する。プレイオフでは勝負強い試合運びを見せ、遂に念願のNBAチャンピオンとなる。オニールはこの年、レギュラー・シーズン、オールスター、ファイナル全てのMVPを独占している。
2000-01シーズン、ホームコート・アドバンテージはサンアントニオ・スパーズに譲ったものの、プレイオフに入るとレイカーズはウェストの対戦相手をことごとく無敗で退け、最終的にこの年のプレイオフを15勝1敗という強さで乗り切り2連覇を果たした。オニールは2年連続でファイナルMVPに選ばれた。
2001-02シーズン、足の怪我の影響で15試合を欠場するが、プレイオフでは調子を上げまたもファイナルへ進出。フィル・ジャクソンに3度目のNBA3連覇(スリーピート)、初の4勝0敗でのファイナル勝利をもたらし、オニール自身も3年連続ファイナルMVPに選ばれた。3連覇達成は史上3チーム目(他はボストン・セルティックスとシカゴ・ブルズのみ)という偉業である。
2002-03、03-04シーズンはプレイオフに進出するも、それぞれカンファレンス準決勝、ファイナルで敗退してしまう。チームでは以前から噂が絶えなかったオニールとコービー・ブライアントの確執が一層騒がれるようになり、結局オニールはレイカーズを去った。オニールのトレードは、オフにFAとなるコービーが球団に「若い自分を採るか、オニールを採るか(これ以上オニールとプレーする気はない、彼が残るなら自分が出て行く)」と迫ったことによる、と言われている。
2004-05シーズン、イースタン・カンファレンスのマイアミ・ヒートへと移籍、これにより東西の勢力図は大きく変化する。オニールはチームメイトでオールスターガードのドウェイン・ウェイドとともにヒートをイースタン最高の成績に導き、チームを一気に強豪へと押し上げた。シーズン後の2005年8月にヒートとの5年総額1億ドルの延長契約に合意した。
2005-06シーズン、プレイオフ開始前の下馬評は高くなかったが、デトロイト・ピストンズをカンファレンス決勝で破った後、ファイナルではダラス・マーベリックスと対戦、4勝2敗でチームを初優勝へと導き、自身4つ目のチャンピオンリングを手に入れた。ヒート移籍の前後から、以前のような圧倒的な支配力に陰りが見え始めたオニールだが、このシーズンはその衰えが数字にもはっきりと現れ、ルーキー時代から続いていたシーズン平均ダブル・ダブルが初めて途絶えたが、それでもオールNBAファーストチーム入りを果たし、リーグのトップセンターであることを証明した。
故障による欠場が多くなり始めたオニールの2006-07シーズンの出場試合数は僅か40試合に留まった。シーズン後半には復帰し、ウェイド不在という災難にも見舞われていたチームを牽引するも、プレイオフでは1回戦でブルズに4戦全敗で敗れた。シーズンの成績は初めて平均得点が20点台を割り、12年間続いていたオールNBAチーム入りも途絶えた。翌2007-08シーズン、ヒートの低迷の度合いは一層強まり、シーズン序盤から大きく負け越した。そしてシーズン途中の2月にショーン・マリオン、マーカス・バンクスとのトレードで、フェニックス・サンズへ移籍した。この背景には、2007年秋に夫人との離婚を申請したことなど、私生活における問題を抱えていたことや、パット・ライリーとの確執も影響している。
なお、ヒート入団時には「俺がこのチームを優勝させてやる」と発言し、それを実践してみせたが、退団時には「もうこれで、クリス・クインやリッキー・デイビスのような選手と一緒にプレーしなくて済む」と、ライリーを皮肉る発言をした。
サンズに移籍したオニールだったが、数年前にMVPの価値観を巡って舌戦を繰り広げ、不仲説が取り沙汰されていたスティーブ・ナッシュとの関係にも注目が集まった。移籍当初こそチームのスタイルとプレーがかみ合わずに負けが先行、チームも一時地区首位から転落するが、その後チームのスタイルとプレーがかみ合いだすとオニールも復調し、チームはプレイオフに進出。ただプレイオフ1回戦でチームはサンアントニオ・スパーズに敗れてしまう。
なお、2008-09シーズンはオールスターゲームに出場した際に11分間の出場ながらコービー・ブライアントと共にオールスターでは3度目となるMVPを受賞。かつてレイカーズ時代に不仲で知られた二人であったが、MVP受賞記者会見の後で抱き合うなど、関係が改善している様子が明らかになった。
2009-10シーズン、プレイオフ圏内に残れずシーズンを終了した。
2009年6月25日にベン・ウォーレス、サーシャ・パブロビッチ、2010年のドラフト2巡目指名権、金銭とのトレードでクリーブランド・キャバリアーズへ移籍した[8]。
2010年にボストン・セルティックスに移籍。しかし、慢性的な膝の怪我で欠場が多く、衰えも隠せなかった。チームはプレーオフ・カンファレンスセミファイナルでレブロン・ジェームズ、ドウェイン・ウェイド、クリス・ボッシュのビッグスリー擁するマイアミ・ヒートになすすべなく破れた。そしてオニールも膝だけでなくアキレス腱も痛めるなど満身創痍の状態で殆ど出場機会もなく、プレーオフ敗退後にドック・リバースHCから "引退勧告" を受けた。
2011年6月1日、フロリダ州オーランドの自宅から、自身のツイッターで19年にわたる現役生活からの引退を表明した[9]。
オニールが引退を表明して間もなく、ロサンゼルス・レイカーズは、オニールが着けていた背番号「34」を永久欠番にすると発表した。
通算得点で歴代6位の2万8596得点、通算リバウンド数で歴代12位の1万3099本、通算フィールドゴール成功率(2000ゴール以上)はアーティス・ギルモアに次ぐ歴代2位の58.2%。なお、苦手としていたフリースローの成功率は52.7%だった。
2013年4月2日、ロサンゼルス・レイカーズ時代に着けていた背番号「34」が永久欠番になるセレモニーが、ステイプルズ・センターで行われた。
2016年2月9日、マイアミ・ヒートは、オニールがヒート在籍中に着用していた背番号「32」を永久欠番にすると発表[10]。12月22日のロサンゼルス・レイカーズ戦で授与式が執り行われた[11][12]。
2017年3月24日、ステイプルズ・センターにおいて、自身がダンクシュートを決める場面(後述のSHAQ ATTACK)を形取った銅像の除幕式が行われた[13]。
2024年1月4日、オーランド・マジックは、オニールがマジック時代に着用していた背番号「32」を球団史上初の永久欠番にすると発表した[14]。
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1992–93 | ORL | 81 | 81 | 37.9 | .562 | .000 | .592 | 13.9 | 1.9 | .7 | 3.5 | 23.4 |
1993–94 | 81 | 81 | 39.8 | .599* | .000 | .554 | 13.2 | 2.4 | .9 | 2.8 | 29.3 | |
1994–95 | 79 | 79 | 37.0 | .583 | .000 | .533 | 11.4 | 2.7 | .9 | 2.4 | 29.3* | |
1995–96 | 54 | 52 | 36.0 | .573 | .500 | .487 | 11.0 | 2.9 | .6 | 2.1 | 26.6 | |
1996–97 | LAL | 51 | 51 | 38.1 | .557 | .000 | .484 | 12.5 | 3.1 | .9 | 2.9 | 26.2 |
1997–98 | 60 | 57 | 36.3 | .584* | --- | .527 | 11.4 | 2.4 | .6 | 2.4 | 28.3 | |
1998–99 | 49 | 49 | 34.8 | .576* | .000 | .540 | 10.7 | 2.3 | .7 | 1.7 | 26.3 | |
1999–00 | 79 | 79 | 40.0 | .574* | .000 | .524 | 13.6 | 3.8 | .5 | 3.0 | 29.7* | |
2000–01 | 74 | 74 | 39.5 | .572* | .000 | .513 | 12.7 | 3.7 | .6 | 2.8 | 28.7 | |
2001–02 | 67 | 66 | 36.1 | .579* | .000 | .555 | 10.7 | 3.0 | .6 | 2.0 | 27.2 | |
2002–03 | 67 | 66 | 37.8 | .574 | --- | .622 | 11.1 | 3.1 | .6 | 2.4 | 27.5 | |
2003–04 | 67 | 67 | 36.8 | .584* | --- | .490 | 11.5 | 2.9 | .5 | 2.5 | 21.5 | |
2004–05 | MIA | 73 | 73 | 34.1 | .601* | --- | .461 | 10.4 | 2.7 | .5 | 2.3 | 22.9 |
2005–06 | 59 | 58 | 30.6 | .600* | --- | .469 | 9.2 | 1.9 | .4 | 1.8 | 20.0 | |
2006–07 | 40 | 39 | 28.4 | .591 | --- | .422 | 7.4 | 2.0 | .2 | 1.4 | 17.3 | |
2007–08 | 33 | 33 | 28.6 | .581 | --- | .494 | 7.8 | 1.4 | .6 | 1.6 | 14.2 | |
PHX | 28 | 28 | 28.7 | .611 | --- | .513 | 10.6 | 1.7 | .5 | 1.2 | 12.9 | |
2008–09 | 75 | 75 | 30.0 | .609* | .000 | .595 | 8.4 | 1.7 | .6 | 1.4 | 17.8 | |
2009–10 | CLE | 53 | 53 | 23.4 | .566 | .000 | .496 | 6.7 | 1.5 | .3 | 1.2 | 12.0 |
2010–11 | BOS | 37 | 36 | 20.3 | .667 | --- | .557 | 4.8 | .7 | .4 | 1.1 | 9.2 |
通算 | 1,207 | 1,197 | 34.7 | .582 | .045 | .527 | 10.9 | 2.5 | .6 | 2.3 | 23.7 | |
オールスター | 12 | 9 | 22.8 | .551 | .000 | .452 | 8.1 | 1.4 | 1.1 | 1.6 | 16.8 |
シーズン | チーム | GP | GS | MPG | FG% | 3P% | FT% | RPG | APG | SPG | BPG | PPG |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994 | ORL | 3 | 3 | 42.0 | .511 | --- | .471 | 13.3 | 2.3 | .7 | 3.0 | 20.7 |
1995 | 21 | 21 | 38.3 | .577 | --- | .571 | 11.9 | 3.3 | .9 | 1.9 | 25.7 | |
1996 | 12 | 12 | 38.3 | .606 | --- | .393 | 10.0 | 4.6 | .8 | 1.2 | 25.8 | |
1997 | LAL | 9 | 9 | 36.2 | .514 | --- | .610 | 10.6 | 3.2 | .6 | 1.9 | 26.9 |
1998 | 13 | 13 | 38.5 | .612 | --- | .503 | 10.2 | 2.9 | .5 | 2.6 | 30.5 | |
1999 | 8 | 8 | 39.4 | .510 | --- | .466 | 11.6 | 2.3 | .9 | 2.9 | 26.6 | |
2000 | 23 | 23 | 43.5 | .566 | --- | .456 | 15.4 | 3.1 | .6 | 2.4 | 30.7 | |
2001 | 16 | 16 | 42.3 | .555 | --- | .525 | 15.4 | 3.2 | .4 | 2.4 | 30.4 | |
2002 | 19 | 19 | 40.8 | .529 | --- | .649 | 12.6 | 2.8 | .5 | 2.5 | 28.5 | |
2003 | 12 | 12 | 40.1 | .535 | --- | .621 | 14.8 | 3.7 | .6 | 2.8 | 27.0 | |
2004 | 22 | 22 | 41.7 | .593 | --- | .429 | 13.2 | 2.5 | .3 | 2.8 | 21.5 | |
2005 | MIA | 13 | 13 | 33.2 | .558 | --- | .472 | 7.8 | 1.9 | .4 | 1.5 | 19.4 |
2006 | 23 | 23 | 33.0 | .612 | --- | .374 | 9.8 | 1.7 | .5 | 1.5 | 18.4 | |
2007 | 4 | 4 | 30.3 | .559 | --- | .333 | 8.5 | 1.3 | .2 | 1.5 | 18.8 | |
2008 | PHX | 5 | 5 | 30.0 | .440 | --- | .500 | 9.2 | 1.0 | 1.0 | 2.6 | 15.2 |
2010 | CLE | 11 | 11 | 22.1 | .516 | --- | .660 | 5.5 | 1.4 | .2 | 1.2 | 11.5 |
2011 | BOS | 2 | 0 | 6.0 | .500 | --- | .000 | .0 | .5 | .5 | .0 | 1.0 |
通算 | 216 | 214 | 37.5 | .563 | --- | .504 | 11.6 | 2.7 | .5 | 2.1 | 24.3 |
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