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イタリアのフラッグキャリア航空会社 ウィキペディアから
アリタリア-イタリア航空(アリタリア-イタリアこうくう、イタリア語: Alitalia - Società Aerea Italiana S.p.A.)は、かつて存在したイタリアの航空会社(フラッグ・キャリア)。社名の「アリタリア」は「翼」を意味する「アリ」[1]と「イタリア」を掛け合わせた造語である。
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法人番号 | 2700150006105 | |||
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設立 | 1946年 (Aerolinee Italiane Internazionali として) | |||
運航停止 | 2021年10月14日(ITAエアウェイズに引継ぎ) | |||
ハブ空港 | ローマ・フィウミチーノ空港 | |||
焦点空港 |
ミラノ・マルペンサ国際空港 ミラノ・リナーテ国際空港 | |||
マイレージサービス | MilleMiglia (ミッレミリア) | |||
会員ラウンジ | フレッチャアラータラウンジ | |||
航空連合 |
スカイチーム スカイチーム・カーゴ(アリタリア・カーゴ) | |||
親会社 | Alitalia Group | |||
保有機材数 | 116機 | |||
就航地 | 86都市 | |||
本拠地 | イタリア共和国フィウミチーノ | |||
代表者 | ルカ・ディ・モンテゼーモロ(会長) | |||
外部リンク | http://www.alitalia.com/ |
2021年、慢性的な経営不振と、新型コロナウイルス感染症の世界的流行を原因とする国際線需要喪失のため、政府による再国営化が決定し、10月15日に新会社ITAエアウェイズ (Italia Trasporto Aereo/Italy Air Transport) へ経営が引き継がれることとなった[2][3]。
第二次世界大戦後の1947年9月16日にイタリア産業復興公社と英国欧州航空の共同出資で設立された。当初はサヴォイア・マルケッティSM.95などの大戦時に製造された旅客機でイタリア国内線とヨーロッパ域内路線に就航した。その後ダグラス DC-6Bを長距離路線に、域内路線をビッカース バイカウントなどのプロペラ機で運航していた。
1957年には同じイタリアのLAI航空と合併[4]。1960年代以降はシュド・カラベルやダグラス DC-8などのジェット機を導入し、ダグラスDC-8で日本路線へ就航した。
1969年、翌年からのボーイング747型機の導入に合わせて、国旗の色である緑・白・赤をベースに用い、会社の頭文字である「A」を尾翼に重ねるようにデザインした機体塗装を採用した。2008年にマイナーチェンジを施し従来のデザインや社名ロゴを少々変更した新塗装となり、その後2015年にも再度マイナーチェンジを施し順次塗り替えが行われている。
1975年から世界ラリー選手権でランチア・およびその親会社であるフィアットのスポンサーとなり、アリタリアカラーをまとったランチア・ストラトスおよびフィアット・131・アバルトラリーは無類の強さを見せ、日本でも人気を博した。このカラーリングは1970年代のモータースポーツを象徴するカラーリングとして現在でも高い人気を誇っている。
イタリア国内路線とヨーロッパ、アジア、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ各大陸の都市に就航しており、現在は国内線やヨーロッパ域内路線、北アフリカ路線をマクドネル・ダグラスMD-82やエアバスA320シリーズで、中長距離路線をボーイング767やボーイング777、エアバスA330で運航していた。
世界有数の航空連合「スカイチーム」のメンバーであり、2001年に加盟を果たした。なお、スカイチームへの加盟の前にはウイングス・アライアンスへの加盟を予定していた。ローマ教皇のイタリア国外への旅行の際はたいてい同航空の特別チャーター便が使われている。
同時多発テロ以降経営が著しく悪化したため、イタリア政府が株式の49%を保有し事実上国有化された。しかし、2007年7月19日にはイタリア政府のディピエトロ建設相が「売却先が見つかるのならばたとえ1ユーロ(約170円)で売却しても構わない」と発言するなど、労働組合の抵抗によりリストラ策はなかなか進まず、毎年赤字を出し続けていた。
2007年12月14日には、同じスカイチーム内で提携しているエールフランス‐KLMが同社の買収のために一株あたり0.35ユーロで入札したと発表した。競争相手で、ルフトハンザドイツ航空の事実上の傘下にあるエアワンも、同社の買収意向を見せた(エアワンの入札額は一株あたり0.01ユーロ)。
同年12月21日、アリタリア航空役員会は、エールフランス-KLMに売却先の優先交渉権を与えることを決め、続いて[5] 同年12月28日、イタリア経済・財務省は、政府の所有する49.9%の株式売却について、エールフランス‐KLMと独占交渉することを決めた[6]。
2008年3月に、アリタリア航空はいったんエールフランス-KLMの買収案を受け入れた[7] ものの、労働組合側が反対しており、交渉が難航した[8]。また、イタリアのシルヴィオ・ベルルスコーニ首相も、「エールフランス-KLMによる買収を拒否する」と発言したが、[9] その一方で、アリタリア本社の経営審議会は3月26日に満場一致でエールフランス-KLMへの売却案を可決するなど、迷走が続いていた。
結局2008年4月2日、アリタリア航空労働組合の強い反対によりエールフランス‐KLMは買収を断念、アリタリアのマウリツィオ・プラート会長も辞任した[10]。
イタリア政府は、航空事業会社と清算対象会社に分割し、収益の見込める部分を航空事業会社に引き継ぐ方針を固めた[11]。2008年8月29日、アリタリア航空は分割案に同意し、約1,800億円の負債を抱えて会社更生手続きに入った [12][13][14][15]。
分割後の航空事業部門会社はベネトンや大手銀行などの投資を受け入れ、約7,000人の人員削減をする[16][17]。ヨーロッパ域内はエアワン、長距離国際線はエールフランス‐KLM、ルフトハンザドイツ航空などと提携する計画である[18]。9月18日、労働組合の反発があることから、イタリア国内の投資グループは再建計画から撤退した[19][20]。
9月22日、支援企業を公募することになったが、支援先が決まらなければ運航停止、清算手続きに入る[21]。また、再建策を提示しなければ、イタリアの航空当局から運航免許の停止もありうる状況であった[22]。9月26日、主要な労働組合が合意したため、分割救済案が実施されることとなった[23]。 分割後の新会社は「イタリア航空」として10月15日に発足した。
2009年1月13日に同社は公式サイトで無事完全民営化を果たし、名称も「アリタリア-イタリア航空会社」に変更、新会社として運航を開始したと発表した。同時に、会社の住所や電話番号、主なスケジュールの変更は無く、従来通り利用できる事も明言している。
しかしその後も経営難は続き、2013年にはイタリア郵政公社などが第三者割当増資を引き受ける形で追加出資を行うが、当時の筆頭株主だったエールフランス-KLMは追加出資を見送ったため持株比率が低下し、実質的に同社傘下から外れた。そこで2014年2月にはアブダビのエティハド航空による出資話が浮上[24]。最終的に同年8月にエティハドがアリタリアの株式の49%を取得し、実質的にエティハド傘下に入る方針が明らかにされた[25]。
2014年12月には、同年経営を巡る対立で退任したイタリアの自動車メーカーフェラーリの前会長のルカ・ディ・モンテゼーモロが会長に就任した[26]。2015年6月4日に新塗装を発表[27]。胴体のグリーンラインを消去したほか、「Alitalia」ロゴが下側へ移動した。
ところがエティハド傘下となった後も経営悪化は止まらず、2017年にはまたも経営危機に瀕する。同年3月にはモンテゼーモロが経営不振の責任を取る形で会長を辞任。4月には社員数削減・給料カットなどを柱とした経営再建策がまとめられたが従業員投票で否決されたため、5月2日に特別管財人による経営管理を申請し事実上倒産した[28][29]。なお営業は継続している。
再びイタリア政府管理下となった同社について、政府は同年10月に再建に向けたスポンサー募集を行い、ルフトハンザドイツ航空やイージージェットなど7陣営が入札を行った[30]。ただスポンサー選定は難航しており、イタリアの政局も絡み数度の延期を繰り返した挙げ句、全く目処が立たない状況が続いた[31]。
2019年に入り、イタリア国鉄(フェッロヴィーエ・デッロ・スタート、FS)主導で経営を再建する案が浮上し[32]、最終的に同年7月、イタリアで空港・高速道路等の管理を行っているアトランティア、そして同じスカイチーム陣営に属するデルタ航空がスポンサーとなり、FSと共同で経営を行う方針が内定した[33]。
またライバルのエア・イタリーが破産(最終的には2020年2月)したことはプラスになると思われた。しかし事業計画の話し合いで折り合わずスポンサー間で最終合意に至ることができない状態が続き、2020年1月、FSがスポンサーから脱退したことにより再建案は白紙に戻った[34]。
その後も再建スポンサーの選定は続けられていたが難航し、加えて2019年末からの新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の世界的大流行に伴う航空需要の急激な落ち込みが経営に大打撃を与えたことから、最終的に2020年4月23日、ステファノ・パトゥアネッリ産業大臣が同年中に完全国有化することを発表した。
計画では政府が新たに設立する新会社が経営を引き継ぐ他、2021年10月15日をもって新会社ITA(Italia Trasporto Aereo/Italy Air Transport)エアウェイズに移行することが発表された。また、一部報道でマイレージプログラムなどはEUの不承認を理由に引き継がないとされ[35]、スカイチーム脱退も検討するとされていて[36]、再国営化による政府出資により空港発着枠譲渡[37]とリース経費削減のためリース契約切換と運用機種削減を行いつつ新機材リース導入[38]に伴い人員整理を行う予定としている。
現地時間2021年10月14日、アリタリア-イタリア航空としてのラストフライト、カリャリ・エルマス空港発AZ1586便がローマ・フィウミチーノ空港に着陸し、アリタリア-イタリア航空は名実ともに74年の歴史に幕を閉じ、同時にスカイチームも退会した。
2019年9月現在、アリタリア‐イタリア航空の機材は以下の通りである。これらの機材の多くは2021年10月15日、アリタリアを引き継いで運航を開始する航空会社「ITA(イタリア・トラスポルト・アエレロ:Italia Trasporto Aereo)エアウェイズ」に引き継がれるが、経年機は引き継がず退役を進める。
一方、リースによる新機材導入も進めて効率が良い機体への更新を進める予定で、2021年9月末にA220 x 15機、A320neo x 2機、A321neo x 9機、A330-900neo x 5機のリース契約を結んで2022年以降導入する予定となっており、この他にA350-900をリース契約するとしている[39]。
機材 | 運用機数 | 発注機数 | 座席数 | 備考 | |||
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B | PY | Y | Total | ||||
エアバスA319-100 | 22 | ‐ | 48 | ‐ | 96 | 144 | |
‐ | ‐ | 144 | 144 | ||||
エアバスA320-200 | 38 | ‐ | 51 | ‐ | 120 | 171 | うち1機(EI-DTJ)は機体全体に従業員のサインが書かれている 他2機(EI-EIB、I-BIKC)は引継国営新エアラインITA - Italia Trasporto Aereoへ移管 |
‐ | ‐ | 171 | 171 | ||||
54 | ‐ | 120 | 174 | ||||
‐ | ‐ | 174 | 174 | ||||
‐ | ‐ | 180 | 180 | ||||
エアバスA321-100 | 10 | ‐ | 42 | ‐ | 158 | 200 | |
‐ | ‐ | 200 | 200 | ||||
エアバスA330-200 | 12 | ‐ | 22 | 17 | 217 | 256 | うち1機(EI-DIR)はスカイチーム特別塗装機(運用休止整備保管中) 他1機(EI-EJN)は引継国営新エアラインITA - Italia Trasporto Aereoへ移管 |
2 | 22 | ‐ | 240 | 262 | エティハド航空リース機、コロナにより運用休止整備保管中 | ||
ボーイング777-200ER | 11 | ‐ | 30 | 24 | 239 | 293 | うち1機(EI-DDH)はスカイチーム特別塗装機 他1機(EI-ISD)はコロナにより20年7月に座席撤去応急貨物型に改修 |
ボーイング777-300ER | 1 | ‐ | 30 | 24 | 328 | 382 | コロナにより20年9月座席撤去応急貨物型に改修 21年7月以降運用停止整備保管中 |
アリタリア・シティライナー | |||||||
エンブラエル175 | 15 | ‐ | 12 | ‐ | 76 | 88 | |
‐ | ‐ | 88 | 88 | ||||
エンブラエル190 | 5 | ‐ | 16 | ‐ | 84 | 100 | うち1機はスカイチーム特別塗装機 |
‐ | ‐ | 100 | 100 | ||||
計 | 116 | 0 |
同社が発注したボーイング社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は43で、航空機の形式名は 767-343ER, 777-243ER などとなる。
2001年、ボーイング747-400を在来型747の後継機として5機発注したが、経営悪化によりキャンセルし、機材はヴァージン・アトランティック航空へ転売された。
2021年10月15日以降国営フラッグキャリアITA(Italy Air Transport)へ移管と同時にイタリアの空港におけるアリタリア航空の発着枠の大半も譲渡予定のため縮小見込み[3]
(長距離国際線では東京/羽田・ボストン・ニューヨーク・マイアミは存続予定[41])。
1962年(昭和37年)5月21日(月曜日)にローマからDC-8によって南廻りで東京(羽田)空港に乗入れを開始した。その後機材をボーイング747やマクドネル・ダグラスDC-10に変更するとともに、1978年に当時の新東京国際空港(現成田国際空港)開港後は乗入れ先を成田に変更。またその後、大阪にも乗入れを開始した。
1990年代には全ての便を直行便化するとともに、機材をマクドネル・ダグラスMD-11やボーイング767-300に変更し、2020年2月現在はボーイング777もしくはエアバスA330にて運航されている。2012年6月現在、成田国際空港からのローマ便はデイリー運航の週10便、ミラノ便は週4便が運航。
2014年4月2日に成田 - ヴェネツィア線に就航した[43][44] ことに伴い、成田 - ローマ線を週10便から週7便に減便。捻出された週3便のうち週2便を成田 - ヴェネツィア線に振り分けたほか、成田 - ミラノ・マルペンサ線を週4便から週5便に変更した。しかし同社の経営再建を目的に、2015年3月28日をもって関西 - ローマ線と成田 - ヴェネツィア線を運休させた[45][46]。一方、成田 - ミラノ線は翌3月29日より週5便から週7便へ増やし、成田 - ローマ線と併せてダブルデイリー体制を維持する[47]。
2020年3月下旬より、成田 - ローマ線に加え東京国際空港/羽田 - ローマ線の運航を開始することになり、同社の東京国際空港発着の定期便が42年ぶりに復活することとなる。成田線は週3便、羽田線は週7便運航し東京 - ローマ間は週10便の運航となる。また成田 - ミラノ線は週4便運航予定としていたが2020年2月に中国で発生した新型コロナウィルス感染症により国際線需要が減少し羽田線は開設延期し、成田線も旅客便運休し21年からは貨物便を成田 - ローマ間で運航し、羽田線開設は2021年7月9日五輪選手団輸送まで延期された[50]。
日本路線には、ビジネスクラスとして「マニフィカ (magnifica) 」と「オッティマ (ottima)」、エコノミークラスとして「クラシカ (classica)」と「クラシカプラス (classica plus)」が設定されている。なお、全ての日本便に日本人の客室乗務員が複数名乗務している。
「クラシカプラス(classica plus)」は別名「プレミアム・エコノミー」として案内されており、一般のエコノミーより広いシートピッチ (+20%)と幅で提供されている。専用チェックインカウンター・受託手荷物が2個(1個最大23kg)まで無料・機内優先搭乗のサービスを受けることが出来るが、機内での飲食についてはエコノミーと同一である。シートにはUSB端子があり、ポータブル機器の充電が可能である。
ハネムーンで利用する場合、搭乗の7日前までに手配すると食事内容が特別メニューとなるサービスがある。また、「マニフィカ」をフルムーンで利用すると、食事後に特製ケーキが付く。こちらも搭乗の7日前までに手配が必要。いずれも日本発のアリタリア-イタリア航空による運航においてのみのサービスである。
マイレージサービスである「ミッレミリア」は、大韓航空やデルタ航空、エールフランス航空などのスカイチーム加盟航空会社のほか、カンタス航空と提携している。
ローマ(フィウミチーノ空港)からカラブリア州への便で荷物の紛失が多発。2013年5月3日にローマ(フィウミチーノ国際空港)で機内預けの荷物を盗んだとして、社員49人が逮捕される[53]。さらに、ミラノ・リナーテ国際空港、ナポリ・カポディキーノ国際空港でも同様の事件があり、37人が逮捕、ローマの件と合わせて計86人が逮捕された。イタリアの警察は、1年半をかけて捜査を行なっていた[54]。
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