1
國光四海に かがやきて
東亜の空に 覇をなせる
我が日の本の 新領土
台湾島を さぐり見ん
國家的光芒在四海閃耀着
稱霸了這片東亞的天空
一起來認識我們日本的新領土
來周遊這座台灣島吧
2
南北長さ 一百里
めぐりは二百九十餘
小島あわせて その廣さ
九州と ほぼひとし
南北長度一百里
環島一周大約290多里
加上附近的離島的話
面積與九州差不多大
3
山に金銀 海に塩
製茶製糖 果実類
水田に稲は 二度みのる
げに帝國の 無盡蔵
山有金銀、海有鹽
能製茶、製糖以及豐富的水果
水田裏的稻子一年能收兩次
實為帝國的大寶庫
4
基隆港の あさぼらけ
登る朝日の てりそひ
輝きわたる そのながめ
フオルモサの名も 徒ならず
基隆港的日出時分
升起朝陽照亮之下
從這閃耀的光芒中眺望出的景色
福爾摩沙的美名果然名不虛傳
5
最北門の 鎖鑰にて
母国に渡る 唯一の
要津なれば朝夕に
出船入船 絶え間なし
作為北方的最重要門戶
要是成為唯一與本土往來
最重要的港口的話
船舶從早到晚都會十分繁忙的吧
6
いざや西部を めぐらんと
汽笛一聲 進み行く
八堵七堵の 次は五堵
水返脚の 小市街
接下來要往西部看下去囉
隨着汽笛的聲音前進吧
八堵、七堵 然後是五堵
接着就到水返腳的小市街
7
附近の山に 石炭の
多く出づるを 語りつつ
南港 錫口 たちまちに
はや台北に 著きにけり
據說在這附近的山區
出產很多很多的煤礦
經過南港、錫口後才一轉眼
很快就要到台北了
8
四面は山に かこまれて
地勢京都に さ似たり
おのづからなる 城壁は
げに萬世の かためなり
台北四面都被山包圍着
地勢跟京都十分相似
自然形成的這道城牆
真是能流傳萬事的堅固防備
9
君が御稜威に 高砂の
浦回の風もをさまり
ここに開けし 総督府
文武の機関 そなわれり
在如此的威勢之下
高砂島海灣的海風也盡收其下
坐落在這裏的總督府
文武官員跟部會都齊聚在此
10
市街の規模は 宏大に
道路 平坦 砥如く
下水工事に 至るまで
水も もらさぬ たくみなり
城市街道的規模十分宏大
道路也非常平坦
下水道工程四通八達
滴水不漏非常厲害
11
幾百年後の 膨張を
かねてはかりて 定めた
市區改正の をゝしさよ
想ひやるだに たのもしや
連數百年後的擴張發展
在計劃的時候都已經兼顧考慮了
市區更新後的雄偉景觀
這樣長遠的思考真是可靠
12
支線に乗りて 圓山の
台灣神社 をがみつ
基隆川を うちわたり
昔をしのぶ 剣潭寺
13
夙に學者の 淵藪と
稱へられたる 士林には
遭難六氏の 碑石あり
芝山巌頭 香をとどむ
因為過去學者輩出
而被稱為士林的此地
立着遭難六氏的紀念碑
芝山巖上仍為他們上著香
14
硫黄を出す 北投は
音に聞ゆる 温泉場
浴みする人 遊ぶひと
常に絶えずと 聞くぞかし
盛產硫磺的北投
是遠近馳名的溫泉場
來這裏泡湯或遊玩的旅客
聽說人潮總是絡繹不絕
15
左に高きは 大屯山
右に低きは 紗帽山
群がる山の その奧に
秀でで見ゆる 七星山
左邊比較高的是大屯山
右邊比較低的是紗帽山
位於群山之中最裏面
最秀麗出眾的那座就是七星山
16
江頭過ぎて 川ぎしに
沿ひつゝ行けば 淡水港
河畔の丘に いかめしき
建物多く 聳えたり
越過江頭沿着河岸前進
一直走就到了淡水港
在淡水河畔的山丘上
許多建築物聳立着
17
屋上高く ひるがへる
同盟国の 旗じるし
問はぬ先にも 知られたり
大英國の 領事館
在高高的屋頂上隨風飄逸著
是我們盟國的旗幟
就算不用說大家也知道
那是大英帝國的領事館
18
三百年の その昔
萬里の波を 凌ぎ來て
武威を振ひし イスパニヤ
三貂角 此処に建つ
19
後にオランダ 来りしが
鄭氏(かは)りて これに據る
栄枯はうつる 世のならひ
英雄のあと 今いづこ
雖然荷蘭人隨後而來
鄭氏又取而代之佔領了這裏
興盛衰敗本就是世間常理
英雄的遺跡如今又在哪裏
20
樓に登りて 見渡せば
舳艪つらねて うち集ふ
唐船の数知らず
観音山下畫の如し
爬上高樓向外看去
舳艪交錯聚集於此的
是數不清的唐船
觀音山下景色如畫
21
此処の港を 船出して
海路僅に 二百餘浬
その日の中に 対岸の
廈門の港に 著かるべし
從這裏乘船出港的話
僅僅航出兩百多海浬
就能在一天之內
到達對岸廈門的港口了
22
再び帰りて 本線に
うつれば忽ち 艋舺驛
新店川の 鉄橋も
またたくひまに うち渡る
接着再次回到我們的主線上
一下子就到了艋舺車站
走新店溪的鐵橋的話
也是一瞬間就到了喲
23
富豪林氏の 邸宅の
甍つらねて 構へたる
枋橋越ゆれば 樹林なり
山仔脚経て鶯歌石
24
鳥のかたちに よく似たる
巨石はたてり 山腹に
鄭軍 砲を うちし時
頭欠けぬと いひ伝ふ
鶯歌石的樣子像一隻鳥
是一塊位在山腹的鳥形巨岩
傳說中是鄭氏軍隊開砲的時候
把鶯歌石的鳥頭給打斷了
25
三角湧は この奧へ
一里あまりの 小市街
製脳事業 見ん人は
さらに山路を 辿るべし
從這裏再走下去
就是約一里長 叫做三角湧的街區
對製腦業沒興趣的人啊
就繼續從山路前進吧
26
春桃園の 楽郷に
遊ぶもうれし 秋は又
大嵙崁なる 山奧に
奇巌を見るも おもしろし
春天到桃園美地遊玩很愉快
秋天來也是一樣有趣喲
再到大嵙崁的山裏面
就會看到在險峻兩岸及深谷河川上
27
蕃界近く 踏み入れば
両岸けはしき 谷川に
藤にて造れる吊り橋の
あやふくかかる 所あり
接近蕃界了喲 如果跑進去的話
就會看到在險峻兩岸及深谷河川上
有座用藤搭造的橋
這裏可是很危險的地方呢
28
北部諸山の 生蕃を
防ぐためとて 要所には
鉄條網を 張り渡し
隘勇線を 設けたり
此處是一個重要的要衝
防備着在北部群山生活的生番
架起了長長的鐵絲網
設立了所謂的隘勇線
29
崁仔脚をば 後にして
中壢街を過ぎ行けば
四面の畑は みな茶の樹
安平鎮の 製茶場
在離開崁仔腳之後
如果穿過了中壢街道
可以看到四面的田裏都種滿茶樹
這裏就是安平鎮的製茶廠
30
本島特産烏龍茶
なほも紅茶の 実況を
知らんと想ふ 人あらば
必ずくぐれ この門を
本島的特產茶是烏龍茶
一如既往地 在製茶的時候
如果有不知道或是好奇的人
肯定都會進到這道門裏來看喲
31
楊梅壢より大湖口
紅毛田を過ぎ行けば
はや著きにけり 新竹に
ここは昔の 竹塹埔
32
清の雍正元年に
淡水廰を置かれけり
城壁の跡 猶殘り
舊刹古廟亦存す
清代雍正元年的時候
設置了淡水廳
現今還能看見當時竹塹城的遺跡
那時的舊剎古廟也都還在呢
33
市街の西方 約半里
尖筆山のいただきに
北白川の 宮殿下
御露営ありし 遺跡あり
從市區出去往西約半里的地方
坐落在此的是尖筆山
北白川宮的親王殿下
當年的陣地遺址仍然存在
34
新埔は蜜柑の 本場にて
北埔に椎茸 多く出づ
香山中港過ぎぬれば
次は造橋後壟よ
35
後壟溪の 鉄橋を
渡れば此処は 苗栗ぞ
石油の産地 出礦坑
これより四里の 奧にあり
跨過了後壟溪的鐵橋之後
抵達的地方是苗栗
有出產石油的出礦坑
就在這裏過去四里的地方
36
銅鑼湾 三叉河 後里庄
米の産地と 名も高き
葫蘆墩驛の近傍に
製麻會社を 見て行かん
37
此処まで數里の その間
地勢嶮岨の その上に
大安大甲二溪あり
箱根のトンネル 想ひやる
到此地之間這數里的範圍
不但地形十分的險峻
還有大安溪、大甲溪這兩條溪流過
讓人回想起了箱根的隧道呢
38
林投編みて作るてふ
淡水帽の産地なる
大甲 通宵 宛里など
海辺に近き 土地にあり
再來這個地方
是以林投葉編成的淡水帽產地
大甲、通宵、宛里這一帶
都是離海邊非常近的地方
39
潭仔墘経て その次は
中部一なる 台中よ
清朝かって この土地に
台灣府をば 置きたりき
在過了潭仔墘後的下一站
就是中部的第一站台中喲
過去清朝曾經在這塊土地上
設置了台灣府
40
明治四十一年に
はじめて成りし 鉄道の
全通式を 擧げたりし
此処の公園 眺めよし
在明治四十一年的時候
鐵路終於首次蓋完了
當時還舉辦了鐵路全通發表會
從這裏的公園望去的景色很美喲
41
陶器を出す 南投へ
軽便鉄道 敷かれたり
本島無二の 別天地
埔里社はなほも 奧と聞く
42
流石に猛き 霧社蕃も
馘首の刃 うちすてて
厚きめぐみを 慕い來る
蕃産物の 交換所
就連勇猛過人的霧社番
也放下了出草砍頭的刀刃
對豐厚的物資和產物慕名而來
來到這裏的番產物交換所
43
日月潭の 勝景は
蓬莱山も よそならず
緑のかげには 鳥歌ひ
瑠璃の水には 魚躍る
日月潭的美景
簡直就跟蓬萊山不相上下
小鳥在鮮綠的樹影下唱歌
魚也躍出琉璃般碧藍的湖水
44
烏日過ぐれば 大肚なり
米の集散おびただし
ここに河あり 大肚溪
水に遊ぶは 水牛よ
只要過了烏日就是大肚了
大量的米都在這裏集中轉運
此處有條溪叫大肚溪
在溪水裏遊憩的是水牛喲
45
龍車に向かふ 蟷螂が
斧を微塵に 砕かれし
彰化の東 八卦山
中台平野 一ながめ
46
茄苳脚の その次に
バナナ 朱欒の産地なる
員林過ぐれは 社頭なり
田中央経て二八水
47
全島一の 大河とて
音に聞こえし 濁水溪
大雨至れば たちまちに
平野変じて 海となる
全島第一大的河川
還聽到溪水聲呢 濁水溪
在大雨來襲的時候 只要一轉眼
這片平原就變成一片汪洋囉
48
林内過ぎて 車窓より
かすかに見ゆる 新高の
山の高きは 日本一
明治の帝 名を賜ふ
過了林內之後往車窗外看去
隱約可以看到新高山
山的高度是日本第一
所以明治天皇把它命名為新高山
49
雲林今は 斗六街
土匪のさわぎに 大方は
兵火の災に 罹りにき
他里霧の次は 大莆林
50
打猫の西方 三里なる
北港街の 媽祖宮は
四方の信仰 厚きこと
本島一と 聞こえたり
在打貓西方三里的地方
在北港街的媽祖廟
匯聚各方信眾香火鼎盛
據稱是全島第一的信仰中心
51
林爽文の騒乱に
時の帝が 住民の
義勇嘉みして つけられし
嘉義のほまれは 碑に殘る
在發生林爽文事件之後
當時乾隆為嘉獎當地助清守城的忠意
於是將這裏改名 稱作嘉義
嘉義的美名還仍留在石碑上
52
此処に至らば 農會の
苗圃に足を 運ぶべし
小河めぐれる 丘の上
見渡すかぎり 檳榔子
既然來到了此地
就到農會育苗的田地去逛逛吧
在被小河圍繞的山丘上
一眼望去全都是檳榔
53
大森林の 阿里山は
これより數里 奧にあり
枝を交ふる 木々の蔭
昼猶暗く ものすごし
有着大片森林的阿里山
就在這裏進去數里的地方
枝葉橫密 樹影交織
白晝如夜 景色十分驚人
54
鉄道線路の 右側に
立つる目標見おとすな
北回帰線
このあたり はや熱帯の 客となる
在鐵路的右邊
千萬別漏看了這座標誌喲
這裏就是北回歸線經過的地方
馬上就要進入熱帶地區了
55
これより南部 おしなべて
甘蔗の畑 打ち続き
製糖會社 そこここに
煙突高く 競い立つ
現在開始就是南部地區了
長長的甘蔗田一路蔓延
製糖會社就在這個地方
高聳的煙囪四處林立
56
水堀頭より後壁寮
新營庄の西方に
塩水港の 市街あり
布袋嘴よりは 塩産す
57
林鳳営経て 蕃仔田蕃仔田
湾裡を過ぎて 新市街
大目降は この東
糖業試験所 設けらる
58
南部のみやこ 台南は
本島中に ふるくより
開けし地とて 人多く
名所舊跡 亦多し
南部的首都台南
是島上古色古香的代表
因為是開台之地所以人口眾多
也有許多的名勝古蹟
59
陸軍衛戍病院は
オランダ人の 築きたる
赤崁楼の ありし跡
三層楼閣 聳えたり
60
鄭成功を 祀りたる
延平王の 祠あり
領台以後に 改めて
開山神社と 稱せらる
61
義烈壮烈 母 刀自の
大和魂 うけつぎて
社稷のために 竭したる
君がほまれは 千代朽ちず
繼承了像母親大人一樣
英勇壯烈的大和魂
為了社稷鞠躬盡瘁
你的名聲肯定會世代流傳
62
魁斗山上 五妃の墓
寧靖王の きさきたち
操まもりて この土地に
果てぬと聞くも あはれなり
魁斗山上的五妃墓
是明寧靖王朱術桂的五個妃子
為了守住貞潔而在這塊土地上殉死
讓人聽聞了也不禁感到悲傷
63
全台首学と 記したる
大成殿の 建物は
公學校に 充てられて
今猶 吚唔の 聲を聞く
被稱為是全台首學
台南孔廟裏的大成殿
現在裏面設立的公學校
還可以聽見讀書的聲音呢
64
僭してここに 台灣の
王と名のりし 朱一貴が
住みし昔の 宮居あり
今法院を 此処に置く
曾經僭稱名號
自立為王的鴨母王朱一貴
他以前住的王居就在此地
現在是法院的所在地
65
そぞろに涙 そのかみを
しのびまつるも かしこしや
北白川の宮殿下
ここにみまかり 給いけり
不自覺的眼泛淚光 想到那個時候
那盛大莊嚴的追思紀念奉獻
北白川宮能久親王殿下
就在這裏獻出了他的生命
66
君の勅をうけたまひ
近衛の兵を ひきつれて
島を平らげ 給いたる
親王のみいさを 忘るなよ
接下了天皇的敕令
戴上了近衛師團的士兵
平定了這個島上的動亂[2]
不能忘記親王的威光呀
67
名は安平と 聞こゆれど
港次第に 埋もれて
大船岸に つながれず
風波を凌ぐ 便りなし
人說這裏叫做安平
港口卻漸漸淤積被埋了起來
大船沒辦法在這個地方靠港
貧窮的人們 乘風破浪去吧
68
赤崁 城趾の大榕樹
遥沖より ながめらる
海を行くひと この樹をば
目當てとなして 往来す
赤崁城遺址的大榕樹
在離岸很遠的地方也能看得見
要去海邊的人就把這棵樹
當作往來的基準
69
これより海路五十二浬
澎湖島なる 媽宮港
みなとの内は 水深く
大艦巨舶 泊むべし
從這出海五十二海浬
就到了澎湖島的媽宮港
港口裏的水非常的深
大型船艦都能夠在這裏停泊
70
更に汽車にて 中洲庄
車路墘過ぎて大湖街
半路竹経て 阿公店
橋仔頭より 楠仔坑
71
東北指して 行くときは
蕃薯に名を得し 蕃薯寮
樟脳出だす 甲仙埔
急ぐ旅とて 立ち寄らず
朝東北方的方向走去的話
是因為蕃薯而得名的蕃薯寮
生產樟腦出名的甲仙埔
因為旅程趕時間就不過去了
72
舊城過ぎて 打狗港
縦貫鉄道 ここに盡く
商船常に輻輳し
百貨は日々に 山を為す
過了舊城就是打狗港
縱貫鐵路就在這到了盡頭
商船總是在此匯聚喧騰
各式各樣的商品每天都堆積如山
73
なほも支線に 乗りかへて
三塊厝を 通り過ぎ
をんらい出づる 鳳山に
曹公圳を 探るべし
74
後庄越えて 九曲堂
一里東に 阿緱街
下淡水の 河口に
東港といふ 港あり
75
これより五里の 海上に
かすかに見ゆる 小琉球
長さは一里 幅半里
何れの家も 鹿を畜ふ
在距離這邊五里的海上
隱約可以看到小琉球
小琉球長度一里 寬度約半里
家家戶戶都有在養鹿喲
76
枋寮枋山楓港と
海辺の路を 辿り行く
山はせまりて 海をせめ
波は激して 岩を噛む
枋寮、枋山跟楓港
沿着海邊的道路一直走下去
高山與海之間非常的狹窄
海浪非常的激烈 拍打着沿岸
77
車城に注ぐ 四重溪
その川上の 石門は
両岸 いはほ そば立ちて
恰も門の 状をなす
注入車城的四重溪
在溪的上游有個石門
巨岩佇立在溪的兩岸
形狀恰好就像是一道門一樣
78
明治七年 我が軍が
頑強なりし 牡丹社を
劇しく攻めし 所なり
途に記念の 碑を探れ
明治七年時我方軍隊
向頑強的牡丹社發起強烈的攻勢
當時的戰場就在這個地方
經過就去找找當時的紀念碑吧
79
皇沢日々に 霑ひて
学びの庭に 蕃童が
われ劣らじと 集ひ來て
御国言葉の 花ぞ咲く
每天都感受到本國的恩澤
在教育的各地學校裏
蕃童們爭先恐後地聚集而來
日語的教育也在這開花結果
80
気候はいつも 暖かに
春の如しと 聞こへたる
恒春街に いたりなば
求めて來たれ 胡蝶蘭
這裏的氣候無論何時都非常溫暖
大家都說總是跟春天一樣
到了恆春街這一帶的話
當然就是被蝴蝶蘭吸引來的吧
81
ここにて西部 はてぬれば
海路東岸 さぐらんと
たよりを待ちて 海浜の
大板轆を船出せり
至此西部已經到底了
來探索東岸和海路吧
等着他鄉來的貨物啊
從海濱的大板轆出航去吧
82
バシイ海峽 隔てたる
ルソンと遙か 相むかふ
最南端の 鵞鑾鼻に
大燈台を 設けたり
83
鼻を まはりて 北方に
船路をかへて 進み行く
海上遠く 紅頭嶼
雲か山かと 薄がすむ
轉個方向朝向北方
改走海路繼續前進囉
在遠方海上有座紅頭嶼
無論是山還是雲 都被霞霧繚繞着
84
島のめぐりは 九里あまり
太古のさまを 見る如き
いと あわれなる 蛮民が
二千ばかりも 住むと聞く
繞着島再走九里左右
景色樣貌還如同上古時期一樣
身受壯麗環境折服的蠻民們
聽說有兩千人左右住在這裏呦
85
やがて卑南に 寄港せり
台東一帯 未開の地
天與の遺利は そのままに
人の來たりて 取るを待つ
抵達了卑南 先在這下船
台東這一帶都是尚未開發的土地
上天賜予還沒使用的權利
就這樣在這裏等著人來利用
86
黒潮に沿ひ 進みつつ
次に立ち寄る 花蓮港
移民の計畫 歩を進め
開拓事業 起こりたり
順着黑潮繼續往前進
下一個停站的地方是花蓮港
移民的計劃正順利進行中
開拓的事業也即將展開了
87
これより沿岸 二十餘里
幾千尺の 断崖が
海にせまりて 聳え立ち
船を寄すべき 所なし
從這裏開始沿岸二十幾里
長達幾千尺都是斷崖
高高的聳立在大海上
沒有任何能讓船靠近停泊的地方
88
蘇澚の港に 船をすて
宜蘭の平野を 橫ぎりて
それより山路 分け入らば
深坑地方に 到るべし
在蘇澚的港口回到陸地
橫渡穿越過宜蘭的平原
從這裏往山路轉進去的話
就到了深坑那一帶呦
89
浜辺の路を 越え行けば
三貂角は右に出づ
領台役まっさきに
近衛の軍の 上陸地
越過了海邊的路後
右手邊就是三貂角了呦
領台戰役最剛開始的時候
近衛軍團就是在這裏登陸的
90
これより元へ 帰る道
黄金掘り出す 牡丹坑
尚も瑞芳 金瓜石
寶の山は 連れり
接下來就要回到起點了
開採出許多黃金的牡丹坑
還有瑞芳和金瓜石
峰峰相連全都是寶山啊