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長崎県雲仙市にある温泉 ウィキペディアから
雲仙温泉(うんぜんおんせん)は、長崎県雲仙市小浜町雲仙(旧国肥前国)にある、キリシタン殉教悲史の舞台で世界的に有名な温泉。日本初の国立公園(雲仙天草国立公園)に指定された温泉保養地である。
※ 効能は万人に対してその効果を保障するものではない。
雲仙妙見岳の南西、標高700メートルの鴛鴦ノ池の南側に位置する。1990年(平成2年)に噴火した普賢岳とそれにより誕生した雲仙最高峰の平成新山は、妙見岳を挟んで反対側に位置するため、温泉街からは直接見ることはできない。雲仙山頂へは、島鉄バスセンターから仁田峠まで乗り合いタクシー(中型バス)が運行されており、仁田峠と雲仙妙見岳山頂は雲仙ロープウェイで結ばれている。道中、春はウンゼンツツジ(ミヤマキリシマ)を楽しむことができる。
温泉街は噴気帯「雲仙地獄」を囲むように存在し、その地獄内に遊歩道が整備されている。
共同浴場は、新湯地区に新湯温泉共同浴場、古湯地区に湯の里温泉共同浴場、小地獄温泉地区に小地獄温泉館などが存在する。
雲仙には30に及ぶ地獄がある。地獄の遊歩道沿いには真知子岩、婆石、鏡石、キリシタン殉教碑、聖火燃ゆ之碑といった奇岩・石碑が点在する。地獄展望台や足湯等も設けられている。
「雲仙」は古くは「温泉(うんぜん)」と表記され、これは701年(大宝元年)に行基によって開かれた温泉山満明寺に由来する[3]。同時に四面神を祀る温泉神社も建立されたとされる。
温泉が湯治に利用されるようになったのは1653年(承応2年)とされ、加藤善右衛門が古湯に「延暦湯」を開いたことに始まる[3]。江戸時代には出島のオランダ商館医だったケンペルやシーボルトによりヨーロッパに紹介された[3]。
明治時代になると観光客が増加して満明寺の僧侶による有料の地獄案内が行われた[3]。さらに長崎港の国際貿易港としての発展で、長崎に居留する外国人、上海租界や香港に住む西洋人の避暑地として繁栄した[3]。ノーベル文学賞のパール・S・バックやヘレン・ケラーも一時滞在している。外国人客が多く訪れていたことを受けて、昭和初期に外国人向け洋式ホテル雲仙観光ホテルが建設された。
長崎から雲仙・小浜両温泉への交通路は、諫早までの鉄道から先は最初は船による航路が開かれ、次いで島原鉄道、温泉軽便鉄道、小浜地方鉄道が整備された。しかし後2社が合併した雲仙鉄道はバスにシェアを奪われ、ほどなく廃線となった。
長崎市内より車で80分のところに位置する。
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