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日本の俳優 ウィキペディアから
長島 武夫(ながしま たけお、1907年4月15日[1] - 没年不詳)は、日本の俳優、殺陣師である[2][3]。本名同じ[2]。永島 猛男、長嶋 武夫、長島 武雄、長島 たけおと表記に揺れがある。
1907年4月15日、東京市牛込区(現在の東京都新宿区)に生まれる。
1923年、早稲田実業学校(現在の早稲田大学系属早稲田実業学校高等部)を中退して神田銀行に就職するが、俳優を志し1925年6月に退職。同年、帝国キネマの残党による東邦映画の二枚目俳優葛木香一に弟子入りしたが、間も無く倒産する。同年9月、葛木の日活大将軍撮影所入社に従い、長島も大将軍撮影所時代劇部に入社する。1926年公開の市川市丸主演映画『姫小姓弥源太』に小姓・浦田準之助役で映画デビュー。以後、多くの作品に助演する。1927年、松竹下加茂撮影所に移籍して、衣笠貞之助監督映画『弁天小僧』などに助演する。1938年、東宝に移り、ここでも多数の作品に助演する。当初は永島猛男という芸名で活動していたが、後に長島武夫に戻している。
戦後も東宝、新東宝の多くの作品に出演していたが、1961年公開の本多猪四郎監督映画『モスラ』が最後の出演映画である。また後に長島たけおと改名して殺陣師に転向したが、1972年に放映された読売テレビ系列のテレビドラマ『マドモアゼル通り』まで出演作品が確認出来る。しかし、以後の消息は不明である。没年不詳。
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