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讃岐氏(さぬきし、さぬきうじ)は、日本の古代氏族。
神櫛皇子を始祖とする皇別氏族[注釈 1]。讃岐国を本拠地とし、皇子3世が讃岐国造を賜ったことによってに始まり、同国で繁栄した氏族。
神櫛皇子は12代景行天皇と五十河媛との間に生まれ[5] [注釈 2]、讃岐国に下る[注釈 3]。 『先代旧事本紀』「国造本紀」によると、応神天皇期、皇子の3世孫の須賣保禮命が国造に定められたとされる[6]。 その子孫は一時期を除き代々これを世襲し、この地域を治めた[注釈 4]。 敏達天皇期に「紗抜大押直」(さぬきのおおしのあたい)の姓を賜り、さらに庚午年籍で「大押」を改め「凡直」(おおしのあたい)となる。 奈良時代には「讃岐直」や「凡直」となるが、後に凡直千継(おおしのちつぐ)の時、延暦10年(791年)「讃岐公」へ改賜された[8]。
平安時代に入ると、讃岐千継、広直、浄直、永直、永成など数世代にわたり明法博士を出している。讃岐永直は当時の優れた明法家として知られ、『令義解』の撰者の一人となった。承和3年(836年)弟の永成、従兄弟の当世らと供に「讃岐朝臣」を改賜されている。永直はこの時本貫を京都に移し[9]、その子孫は和気氏を称した。 永直没後の貞観6年(864年)、高作(永成の子)、時雄(当世の子)、時人(永直の子[注釈 5])が「和気朝臣」を賜姓されている[11]。
讃岐氏の子孫はその後も讃岐国で繁栄し、後裔には植田氏[12][13]、神内氏[12][13]、三谷氏[12][13]、寒川氏[12][13]、由良氏[13]、十河氏[12][13]、高松氏[14]、高木氏[15][14]、三木氏などの庶家が出た。
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