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薩摩街道(さつまかいどう)は、江戸時代に整備された脇往還のひとつである。鹿児島街道(かごしまかいどう)とも呼称される。
筑前国山家宿(現福岡県筑紫野市)を始点として、薩摩国鹿児島(現鹿児島県鹿児島市)に至る路線[1](薩摩藩領では「出水筋(西目筋・小倉筋)」と呼称)のほかに、「大口筋」「高岡筋(東目筋・日向筋)」(現代の国道10号・主要地方道高鍋高岡線(宮崎県の県道24号)などに相当 [2])などが存在する[3][4]。
現代においては、江戸時代の薩摩街道に沿って走る国道3号や一般県道徳重横井鹿児島線(鹿児島県の県道206号)などの通称としても用いられる。鹿児島県道206号は妙円寺詣りのルートとして、現在でも妙円寺詣りの時期になると鶴丸城などより、鹿児島県日置市伊集院町徳重の徳重神社に詣でに歩く人も多い。
江戸より薩摩国への主要街道となっており、現在でも主要道路としての機能が残っている。また、薩摩藩が参勤交代に使用するルートとして使われていたが、距離が長いため航路もあった。また、規模が大きいため○○筋などと付いた経由ルートがいくつもあるのも特徴である。
また、上京の際にNHKの大河ドラマ篤姫では航路を使用していたが、実際は出水筋ルートを通過していったとされるのが史実である。
括弧内は現在の地名。
山家宿(現筑紫野市)で長崎街道から分岐し、熊本宿、佐敷宿、出水宿、伊集院宿などを通り鹿児島城に至るルートである。
鹿児島から北進し吉田(現鹿児島市)を通過。白銀坂で薩摩・大隅国境を越え、加治木(現姶良市)で高岡筋と分岐する。加治木の龍門司坂(りゅうもんじざか)と白銀坂は国の史跡。その後は溝辺(現霧島市)、栗野(現湧水町)経て大口(現伊佐市)に至る。
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鹿児島から北進し加治木で大口筋と分岐。加治木 - 高岡(現宮崎市)間は現代の国道10号に相当する。高岡からは北進。本庄(現国富町)を経由し佐土原(佐土原城、現宮崎市)に至る[5]。高岡郷(外城)に去川関所(宮崎市立去川小学校跡)が設置されていた。
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