紀元前480年代
- 紀元前487年 - アテナイのアルコン(最高官職)の選出方法が抽選となる。
- 紀元前486年 - アケメネス朝のダレイオス1世が死去し、クセルクセス1世が即位。
- 紀元前482年 - 呉王夫差による黄地の会盟。この最中に越が呉を攻撃する。
- 紀元前483年 - アテナイでアッティカ地方のラウリオン銀山の銀の使用方法が討議される。
- この銀を用いてアテナイのテミストクレスは三段櫂船(トライリーム)100隻の建造を決議させる。
- 紀元前481年
- シチリア島のエトナ山が噴火( - 紀元前460年)。
- 斉の田恒(田成子)がその君簡公壬を殺す。斉の実権が事実上田氏に移る。
- この年で魯の年代記『春秋』の筆がおかれる(魯の哀公14年・獲麟)。
- 紀元前480年
紀元前470年代
- 紀元前479年
- 紀元前478年 - アテナイを盟主とするデロス同盟が結成される( - 紀元前404年)。
- この時期のアテナイを「アテナイ海上帝国」とも呼ぶ。一方でスパルタはギリシアでの指導権を放棄し内向化。
- 紀元前474年 - クマイの戦いで、シュラクサイの僭主ヒエロン1世がエトルリアに勝利し、ティレニア海の制海権を握る。
- 紀元前473年 - 越王勾践が都の姑蘇を陥落させ、呉王夫差を自殺に追い込み、呉を滅ぼす。
- 紀元前472年 - 徐州会盟(中国語版)により越王勾践が覇者となる。
- 紀元前471年 - アテナイとピレウスを結ぶ「テミストクレスの壁(英語版)(マクラ・テイケー)」が建設される。
- 紀元前470年頃
紀元前460年代
- 紀元前468年 - 越王勾践が都を瑯琊に遷す。
- 紀元前466年
- 紀元前465年 - ペルシア王クセルクセス1世が側近アルタバノス(英語版)に暗殺される。
- 紀元前464年 - スパルタ地震によりメッセニア人がスパルタ人に蜂起、第三次メッセニア戦争が起こる。
- 紀元前462年 - ペリクレスがエフィアルテスとともにアレオパゴス会議から実権を奪う。
- アテナイの政治の中心は民会(エクレシア)と評議会(ブーレ)に移行する。
- 紀元前461年 - 第一次ペロポネソス戦争が起こる( - 紀元前445年)。
- 紀元前460年頃 - アルテミシオンの青銅神像(英語版)(アテネ国立考古学博物館蔵)が作られる。
紀元前450年代
- 紀元前456年 - イキリウス法(イタリア語版)の制定によりアウェンティヌス丘が平民居住区に開放される。
- 紀元前454年 - デロス同盟の金庫がデロス島からアテナイに移される。
- 紀元前453年 - 晋陽の戦いで智瑶が敗北、晋が趙・韓・魏に分裂。
- 紀元前451年
- 共和政ローマで執政官に代わり十人委員会が組織される。
- 十人委員会により共和政ローマの最古の法である十二表法が制定される。
- この年に十条が制定され、翌年に二条が追加される。
- アテナイで両親ともにアテネ出身者にのみ市民を限定する市民権法を制定。
- 紀元前450年頃
紀元前440年代
- 紀元前449年 - カリアスの和約。
- 紀元前447年 - アテナイのパルテノン神殿着工。
- 紀元前445年
- 紀元前444年 - ペリクレスがアテナイのストラテゴス(将軍)に選出され、以後これが15年近く続く(ペリクレス時代 - 紀元前430年)。
- 紀元前440年頃 - 「エレウシスの浮彫」(アテネ国立考古学博物館蔵)が作られる。
紀元前410年代
- 紀元前416年 - アテナイ軍によるメロス島攻略(メロス包囲戦)。
- 紀元前415年 - アテナイがシチリア遠征軍を派遣する。
- 紀元前414年 - 白狄による中山国が成立する。
- 紀元前413年 - シチリアのシュラクサイの戦いでアテナイ軍が敗北し、アテナイ軍のニキアスやデモステネスが処刑される。
- 紀元前411年
紀元前400年代
- 紀元前408年
- 紀元前405年 - アイゴスポタモイの戦いでペロポネソス同盟がアテナイに勝利。
- 紀元前404年 - アテナイがペロポネソス同盟に降伏し、第二次ペロポネソス戦争終結。
- 紀元前403年 - 趙・韓・魏が周王より諸侯として認定される。
- 紀元前403年 - トラシュブロス率いる民主派がアテナイの三十人僭主政権を打倒する。
- 紀元前401年 - クナクサの戦いでペルシア王アルタクセルクセス1世が反乱を起こした弟の小キュロスを倒す。
- 小キュロス配下のギリシア人傭兵軍団はクセノポンらの指揮のもとペルシアからの脱出を敢行。『アナバシス』に記録が残る。
- 紀元前400年前後
- 「トーディのマルス(英語版)像(ヴァティカン・グレゴリアーノ・エトルリア美術館蔵)」が作られる。
- 中国人が磁鉄鉱に指極性がある事を発見し、磁気コンパスを発明した。磁気コンパスは、占いに使用された。
- 紀元前5世紀 - 2000年10月にパキスタンのバローチスターン州カーランで発見されたアケメネス朝時代のミイラは、古代エジプト式のミイラで胸には金のプレートがあり、そこに刻まれた銘文によると、この女性はアケメネス朝の王クセルクセス1世の娘ロードゥグーネ(Rhodugune)と記されていたため「ペルシャ・プリンセス」の別名がつけられた。早速2000年11月にはカラチのパキスタン国立博物館(英語版)でこのミイラの展示が始まった(後の調査によりこのミイラは現代の偽物であるばかりか、1990年代に何らかの殺人事件に巻き込まれた被害者の遺体であることも発覚した)。
- 紀元前5世紀 - 函谷関の関所の役人(関令)尹喜に『道徳経』を授けた後、隠棲するため牛に乗って西方へと姿を消した老子は、実は西方の胡地に赴いて胡人を教化するためにその地で仏教を興していたのである。従ってインドの仏陀(浮屠)とは老子の変化した姿に他ならない(西晋の道士王浮の偽経『老子化胡経』)。
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