神田 松鯉(かんだ しょうり)[注釈 1]は、講釈師の名跡。初代が「神田祭」に掛け、晩年に名乗った隠居名がはじまりである。当代は三代目。


概要 本名, 生年月日 ...
三代目 神田かんだ 松鯉しょうり
本名 渡邉わたなべ 孝夫たかお[1]
生年月日 (1942-09-28) 1942年9月28日(81歳)
出身地 日本の旗 日本群馬県前橋市
師匠 二代目神田山陽
弟子 三代目神田山陽
神田鯉風
神田山吹
神田阿久鯉
神田鯉栄
六代目神田伯山
神田松麻呂
神田鯉花
神田松樹
名跡 1. 神田陽之介
(1970年 - 1973年)
2. 神田小山陽
(1973年 - 1992年)
3. 三代目神田松鯉
(1992年 - )
出囃子 のっと
活動期間 1970年 -
活動内容 講談師
所属 日本講談協会
落語芸術協会
主な作品
ビジネス講談
受賞歴
第6回放送演芸大賞ホープ賞(1978年)
文化庁芸術祭賞(1988年)
重要無形文化財の保持者(人間国宝)(2019年)[2]
旭日小綬章(2021年)
第38回浅草芸能大賞(2021年)[3]
前橋市功労者表彰(2022年)[4]
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三代目 神田 松鯉1942年(昭和17年)9月28日 - )は、講談師。日本講談協会名誉会長、落語芸術協会相談役を務める。

経歴

1961年前橋商業高校卒業。劇団文化座を経て俳優集団民衆舞台で桑山正一の指導を受ける[5]。その後歌舞伎役者2代目中村歌門落語家2代目談洲楼燕枝の長男)に入門。

1970年2代目神田山陽に入門。神田陽之介を名乗る。1973年神田小山陽に改名し、二ツ目昇進。1977年、真打昇進。1992年に「3代目神田松鯉」を襲名。

2019年、重要無形文化財の保持者(人間国宝)として、講談師では6代目一龍齋貞水に次いで2人目の認定を受けた。

得意ネタは「村井長庵」他150席。他に1980年より「ビジネス講談」を創る。

人物

  • 趣味は、俳句、篠笛、ゴルフ。
  • 2024年の取材で「3年前にの部分が皮膚がんとなり、患部周辺の皮膚を切り取って胸の部分の皮膚を移植した」ことを明らかにしている[6]

受賞・栄典

役職等

日本講談協会

  • 会長(2000年 - 2005年)
  • 相談役(2006年 - 2015年)
  • 名誉会長(2016年 - )

落語芸術協会

  • 参与[13](2014年 - 2022年)
  • 相談役[13](2022年 - )

著書

出演

テレビ

ラジオ

DVD

一門

真打

二ツ目

前座

  • 神田松樹

移籍

脚注

外部リンク

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