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落語の演目のひとつ ウィキペディアから
目黒のさんま(めぐろのさんま)は古典落語[1]の噺の一つである。低級な下魚として扱われていたさんまを、庶民的な流儀で無造作に調理すると美味だが、丁寧に調理すると不味い、という滑稽噺である。落語界で秋の噺として知られるが、成立時期は不明である。3代目三遊亭金馬が得意とした演目である。
ある殿様が目黒まで遠乗り(あるいは鷹狩)に出かける。供の者が弁当を忘れたために腹を空かせた殿様一同のもとにうまそうな匂いが漂ってくる。殿様が匂いの元を尋ねると家来が、これはさんまというものを焼く匂いだがさんまは庶民の食べる下魚なので殿のお口に合うものではないと答える。しかし空腹に耐えかねた殿様はさんまを持ってくるよう命じ、家来は農家の者が食べようとしていたさんまを頼んでもらってくる。直接炭火で焼いた「隠亡焼き」のさんまは黒く焦げて脂がしたたっているが、初めてさんまを食べた殿様は、空腹もあってその美味さに大喜びする。
さんまのうまさが忘れられず、殿様はある日さんまを出すよう家来に申しつける。庶民の魚であるさんまは屋敷にはないので家来は慌てて出て行き、日本橋の魚河岸でさんまを買い求める。しかし調理の段になると、焼くと脂が多く出て体に悪いということで、蒸籠で蒸して脂をすっかり抜き、骨がのどに刺さるといけないと骨を一本一本抜いてしまう。身姿が崩れたさんまをしかたなく椀物にして出した。殿様が食べてみると目黒で食べたものとは比較にならぬまずさ。どこで求めたさんまかと尋ねると家来は「日本橋魚河岸で求めてまいりました」と答える。殿様はしたり顔で「ううむ、それはいかん。さんまは目黒に限る」。
海から遠い目黒で捕った魚が美味いと信じて断言する、というくだりが落ちである。世俗に無知な殿さまを風刺する話でもある。
噺の後半は、最初に目黒で食べてきた殿様ではなく、その美味しさを吹聴された他の殿様達のうちの1人が、されば余も、と所望するがやはり台なしな椀物を供されて、最初の殿様に苦情を申し立てて落ちの問答に至る流れもあるが、現在ほとんど演じられていない。
この噺は作者不明の古典であり、現在演じられている内容から背景を特定することは困難である。当時の「目黒」は現在よりもさらに広範囲を指していたが、事物を演者が好きに折り込んだため、あたかも実話由来の噺と思われており、地元の観光素材などに用いられている。
江戸時代、将軍の広大な鷹狩場は複数あり、単に「御場(ごじょう)」とも呼ばれ、その一つが「目黒筋」である(旧称:品川)。文化2年(1805年)の「目黒筋御場絵図」[2]によれば「目黒筋御場」の範囲は、現在の大田区西馬込などにあたる馬込、現在の世田谷区ほぼ全域および狛江市にあたる世田谷、麻布、品川、駒場など広い範囲が含まれる。
江戸期に目黒筋鷹狩場の番人の屋敷であった場所は、現在鷹番と呼ばれている。
鷹狩場近辺に徳川幕府の庇護下にあって繁栄した目黒不動があったが、鷹狩から目黒不動参詣のあと近辺の茶屋で休息したといわれており、その話が成立のヒントとなった、とする説を地元が採用している。この茶屋は百姓の彦四郎が開いたとされ、将軍家光が彦四郎の人柄を愛して「爺、爺」と呼びかけたことから爺々が茶屋と称された。この爺々が茶屋は歌川広重の「名所江戸百選」で題材とされている[3]。
爺々が茶屋の場所に以下の2説がある。
主人公の殿様は赤井御門守、あるいは単に「然る御大名」とだけ描いて名前を付さない演出も多く、実在の殿様とは関係ない。
柳家禽語楼は、「殿様」を出雲国(出雲の国なので「雲州」とも呼ばれる)、松江藩藩主・松平家(松平出羽守)の当主[4]としており、以降これを踏襲する者が多い。何代目であるか特定していないが、寛永年間の噺としていることから松平直政とも推察できる。
林家彦六(稲荷町)は殿様を徳川将軍家とした。殿さまが後で食べるサンマを江戸の日本橋で水揚げされたものとせず、徳川御三家の一つである水戸で水揚げされたものとする大きな話に仕立てている。
殿さまが御殿で後に食したサンマは、上記のように日本橋で買ったものとして暗に高級を示唆する[5]が、最初に目黒(の茶屋)において食べたサンマはどこで手に入れたものか。噺の中にそれを特定する根拠は何もないが、愛好者の間では以下の諸説が語られている。
この噺をもとにして、目黒駅をはさんで「目黒のSUNまつり」と「目黒のさんま祭り」が毎年催されて焼サンマが無料で振舞われる。
品川区上大崎の「さんま祭り」は岩手県宮古、目黒区の「SUNまつり」は宮城県気仙沼でそれぞれ水揚げされたものを用いており、それぞれの漁期から両者の開催日は異なる。
2011年は東日本大震災で宮古と気仙沼の被害は甚大であったが、各位の尽力でさんまが提供された[8]。
目黒駅前商店街振興組合青年部主催(品川区役所後援)による私費行事「目黒のさんま祭り」[9][10][11]。
目黒区民まつり実行委員会が主催し、目黒区と目黒区教育委員会が後援する[15][16][17]祭事で「目黒のさんま祭」が催される。
類似する構造の噺に「ねぎまの殿様」というのがあり、5代目古今亭今輔が得意とした。
お忍びで外出した殿様が、立ち並ぶ煮売屋の匂いにつられ、下々の食べるものだからという家来の声に耳も貸さず、醤油樽に腰掛けてねぎま鍋を食したところ、非常に気に入る。
屋敷に戻った殿様は、あの「にゃー(煮売屋の小僧が早口過ぎて「ねぎま」が「にゃー」と聞こえた)」を食したい、と所望する。料理係は「にゃー」とは何かと頭を抱えるが、家来から話を聞き出し、ねぎま鍋だと分かる。
しかし庶民が食すものをそのまま殿様に出すわけにもいかず、ネギもマグロも丁寧に下ごしらえして作った結果、味も素っ気も無いものができてしまい、殿様は気分を悪くしてしまう。
そこで、煮売屋同様のレシピで作り直したところ、殿様は機嫌を良くするが、さらにこう言う。「醤油樽をもて」。
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