柳家紫文
ウィキペディアから
ウィキペディアから
柳家 紫文(やなぎや しもん、1957年12月24日 - 2021年11月19日)は、落語協会に所属していた三味線漫談家、音曲師。出囃子は『釣女』、紋は『備前蝶菱』。本名:田島 悟。
幼少時から病弱でなかなか学校に通えず、また実家が小料理屋だったため、芸事に親しんで育った。群馬県立高崎高等学校卒業後、20代半ばで上京。フリーターをしながら赤塚不二夫や柳家小袁治の世話になる。
1988年、十一代目岸澤式佐門下・岸澤式祐(きしざわ しきすけ)の名で歌舞伎の常磐津節三味線方を務める。
三味線を奏でながら、「火付盗賊改方の長谷川平蔵が、何時ものように両国橋の袂を歩いておりますと…」と、ニヒルな風情で語る『鬼平市中見廻り日記(鬼平半可通)』が十八番。オチは基本的に駄洒落(地口)[4]。新内(鶴賀寿美之助)、長唄(杵屋正楽)、小唄(立花光洋)、華道(田島理悟)、日本舞踊(萩井右京)の名取でもあり、「7つの名を持つ男」を自称する。
女弟子達とバンド『柳家紫文と東京ガールズ』を組み邦楽の普及を図ったり、独演会を Ustream でインターネット生中継するなど、先進的な取り組みで新しい演芸ファン層を開拓していた。定席では落語協会のほか、五代目円楽一門会の両国寄席にもレギュラー出演していた。
夫人と共に、高円寺駅南口で小料理屋「ちんとんしゃん」を経営。高円寺の冬のイベントとして2011年からスタートした『高円寺演芸まつり』では中心的役割を務め[5]、2022年、写真や都々逸、仲間のコメントなどによる追悼展示「柳家紫文―粋な芸と高円寺演芸まつり―」が座・高円寺のギャラリーアソビバで開催された[6]。
など
など
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.