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株式会社春秋社(しゅんじゅうしゃ)は、日本の出版社。仏教を主とした宗教書を軸に哲学、思想、心理、文学、音楽の各部門の専門書・入門書を刊行している。ほかに音楽書の『世界音楽全集 ピアノ篇』シリーズで、井口基成編集による校訂版は1949年に初出版。
1918年(大正7年)8月22日、神田豊穂、古館清太郎、加藤一夫、直木三十五らにより創設される[1]。なお、これは法的な登記上の話であり、実質的には神田豊穂と古館清太郎によるものとされる[2]。わんや書店で総編集長をしていた神田が、編集助手の古舘に相談して創業を決意し、加藤一夫、直木三十五、中尾文次郎を加え、東京市日本橋区に事務所を構えた[3][4]。
直木が処女出版として『トルストイ全集』を提案し、編集者として木村毅、柳田泉、浜田広介、監修者として内田魯庵、片上伸、昇曙夢、翻訳者として米川正夫、中村白葉らが動員される[4][5]。新聞広告を出してから3日ほどで予約が殺到し、当時の相場が初刷500部であるのに対し、3000部を超える申し込みがあった[4]。これにより、春秋社は基盤を固めた[5]。
1919年(大正8年)、神田神保町に新事務所を構える[6]。1921年(大正10年)、西田天香の『懺悔の生活』と中里介山の『大菩薩峠』が大ヒットとなる[6][7]。昭和恐慌の後の円本ブームに『世界大思想全集』を出し、莫大な利益を得る[8]。その利益で、1928年(昭和3年)に日本橋呉服橋に自社ビルを建造し[1]、静岡県田方郡伊東町に別荘を購入する[8][注釈 1]。
1935年(昭和10年)、株式会社春秋社に改組する[1]。1941年(昭和16年)、神田豊穂が逝去[10]。1945年(昭和20年)、戦災によって社屋在庫品や紙型の一切を消失する[1]。
息子の神田龍一が復員後に社長となり、1947年(昭和22年)に社屋を千代田区外神田に移して出版活動を開始する[1][10]。入社させた戦友の1人が一橋大学出身だったこともあり、一橋大学の教科書類を春秋社が一手に引き受けることになる[10]。
神田豊穂(1884年 - 1941年)は、茨城県出身、麻布中学校卒、久米邦武の書生、1911年わんや書店に入り、『能楽雑誌』の編集に当たる。1918年独立。中里介山と親しく、能楽研究でも知られたが晩年失明。長男・神田龍一が後を継ぐ。三男貢は鷲尾雨工の養子となる。社の幹部として野口兵蔵、香原一勢がいる。著書に『皇室皇族聖鑑』(東洋文化協会 1933年)、翻訳にトルストイ『神の国は爾曹の衷にあり』(春秋社、1922年)がある。
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