Loading AI tools
1986年の美空ひばりのシングル ウィキペディアから
作詞・作曲にはシンガーソングライターの小椋佳が起用された。
本楽曲が製作されることになったきっかけは、「家族愛」をテーマに製作され、ハワイで撮影された『味の素』(うま味調味料)のCM映像のバック音楽をホリプロの若き映像プロデューサーだった岩上昭彦がひばりに歌唱させることを希望したことである。CMソングの製作者は最初から小椋にすることを考えていた。歌手はホリプロの所属歌手を検討したがイメージに合わず、岩上は「家族愛」のテーマに最も合致していると思われるひばりを希望した。当時のひばりは「歌謡界の女王」とも呼ばれていた芸能界の大御所であり、無謀とも言えるオファーであったが、ひばりがこのオファーを受諾したため、完成したのが本楽曲である[1]。
CMの映像を見た小椋がCM曲として最初に作詞・作曲した歌はテンポも軽やかな「轍(わだち)」という曲だった。しかし、コロムビアの担当ディレクターや広告主である味の素の「包容力がほしい」という意向によって、小椋にCM曲の取替えが伝えられた。そして、小椋が製作したのが「愛燦燦」である[1]。CMの映像では農家の主婦が中心に描かれ、彼女に太陽の光が燦々と当たる様子を見て、小椋は「燦々」という言葉をテーマにして曲作りをした[2]。放映当初は画面にクレジットされずいわば覆面シンガー扱いだったが、声質などからすぐに承知され、発表とともに画面上でもクレジットされるようになった。CMが作品として認められると共に彼女の歌唱力を示すエピソードとなった。
ひばりが亡くなった1989年末の『第40回NHK紅白歌合戦』では、ひばりと同じく三人娘の一人で大親友だった、雪村いづみがひばりの追悼として本楽曲を歌唱した。また、2007年の『第58回NHK紅白歌合戦』では、ひばりの生誕70周年を記念して、作詞・作曲を担当した小椋が生前のひばりの映像とのデュエットを披露した。
本楽曲が発売された5月29日はひばりの49歳の誕生日であり、1986年はひばりがデビュー40周年を迎えた年でもあった。
発売された1986年当時の売上は振るわなかったが、その後ロングヒットとなり、2019年時点ではひばりのシングル売上で歴代12位にランクインされている(日本コロムビア調べ)[3]。ひばりの遺作になった『川の流れのように』と並んでテレビ・ラジオなどで多く取り上げられており、数多くの歌手によってカバーされていることもあって、ひばりの死後も代表曲のひとつとして全世代に親しまれている。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.