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江戸時代後期の大名 ウィキペディアから
岩城 隆喜(いわき たかひろ、寛政6年11月2日〈1791年11月27日〉 - 嘉永6年12月9日〈1854年1月7日〉)は、江戸時代後期の大名。出羽国亀田藩8代藩主。
寛政3年(1791年)11月2日、7代藩主・岩城隆恕の長男として生まれる。
寛政12年(1800年)5月13日、父・隆恕の嫡子となる。文化4年(1807年)2月22日、江戸幕府11代将軍・徳川家斉に御目見をする。文化14年(1817年)7月13日、隆恕の死去により家督を継いだ[1]。同年12月16日、従五位下・伊予守に叙任する[1]。天保元年(1831年)5月21日、オランダ人に地図を提供した咎で捕縛された長崎大通詞・馬場為八郎、小通詞・稲部市五郎、吉雄忠次郎の身柄を、幕府の命を受け佐竹義純・前田利和と共に預かる[2]。
弘化元年(1844年)、駿府加番を命じられる。嘉永5年(1852年)12月27日、大和国柳本藩主・織田信陽と共に家格を城主格に上げられる[1][3]。
嘉永6年12月9日(1854年)死去。享年63。隆喜の死後、四男・隆永から隆信・隆政・隆邦と4兄弟が相次いで家督を継ぐことになる。
子女は8男18女
父母
正室、継室
側室
子女
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