山縣有信
ウィキペディアから
ウィキペディアから
山縣 有信(やまがた ありのぶ、1918年〈大正7年〉8月15日[1] - 1974年〈昭和49年〉7月22日[2])は、日本の政治家。栃木県矢板市長を務めた。
明治の元勲山縣有朋の曾孫(山縣有道の長男[3])として東京府で生まれる[4]。学習院高等科を経て[4]、九州帝国大学法文科を卒業[1][4]。卒業後の1942年、日本興業銀行に入るが、同年、第1期海軍兵科予備学生として海軍に入った[1][4]。父の死去に伴い、1945年11月1日に公爵を襲爵する[3][5]。1946年復員し[1][4]、日本興業銀行に復職する[4]。翌年、同行を退職し、栃木県矢板町の山縣農場の経営に取り組む[1][4]。
1963年、矢板市長選挙に立候補し、初当選[1][4]、以来連続3期務める。市長時代は上水道の供給、市民体育館の落成、消防署の完成、市民プールの開設、市内の小中学校の改築や増築、プールの設置、運動場の起工など教育や市民生活の向上に力を入れた[1][4]。しかし、3期途中の1974年、脳出血のため死去した[4]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.