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小牧 リサ(こまき リサ、1951年1月14日 - )は、日本の元女優。旧芸名小牧 りさ[2]。本名:中間 初子。旧姓名:奥野 初子[1][3]。
元々は子供の頃は歌手になりたかったという[4]。中学生時代は演劇部で活動[4]。祖母が芝居好きで、大衆演劇の俳優を自宅に呼んで御馳走するほどであった影響から、歌手を目指して中学卒業後に上京[3]。
友人との旅行の帰りに介抱したことで知り合った外国人の女性とホテルでお茶をしていた時に芸能プロダクションの人にスカウトされたことがきっかけで事務所に所属し芸能界入り[4]。
準ミスエールフランスに選ばれた[5]ことがきっかけで、1972年10月から放送のNETテレビ『土曜ゴールデンプレゼント』のアシスタントに抜擢される[2]。当時の紹介記事では「スターになる自信はあります。将来はフィーリングのある歌手になりたい」と述べている[3]。
1973年、刑事ドラマ『非情のライセンス』にてセミレギュラー出演し、女優デビュー。
1975年より放映された特撮テレビドラマ『秘密戦隊ゴレンジャー』(NET)で、ペギー松山/モモレンジャー役を演じ子供たちのアイドルとなる。採用された理由は「脚を出せる人だったから」と述べている[6]。放映当時には警察の一日署長を務めるほどの人気ぶりだった[7]。
1979年より放送の『バトルフィーバーJ』(テレビ朝日)では、その脚線美を生かし、ミスアメリカのスーツアクターを務めた。ミスアメリカの変身前を演じるダイアン・マーチンが当時日本語が苦手だったため、ダイアン・マーチンの吹き替えも担当した。負傷のためスーツアクターは途中で交代したものの、24話でダイアン・マーチンが降板するまでアフレコの担当は続けた[8]。
1983年、『ゴレンジャー』のプロデューサーだった吉川進より、『宇宙刑事シャリバン』(テレビ朝日)に登場する敵側の幹部のオファーがあるが辞退する[9]。その後、同作の第30話にゲスト出演した。
27歳のときに映画カメラマンと結婚し、子供2人をもうけて育児のために引退[10][4]。その後はイベントなどのコンパニオンを務める[4]一方で、1990年代半ばごろまでは、時折イベントやテレビ特番などに出演していた。
2010年、ゴレンジャーのイベントに出演し久々に表舞台に登場した[11]。イベントの模様は8月にファミリー劇場の「秘密戦隊ゴレンジャー同窓会」にて放送された[12]。
2012年現在、33歳になる子供がいる[13]。
結婚13年後に離婚し、コンパニオンなどを経て、2014年当時は週6日の飲食店勤務をしながら息子の子供を預かり、東京都谷中でその孫と2人暮らしである[10][14]。
以前のプロフィールでは1954年生まれになっていたが[1][3][5]、2016年夏のインタビューの時点で65歳を迎えており[15]、これによって年齢を3歳鯖読みしていたことを公表したことになる。
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