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日本の民族音楽学者 ウィキペディアから
小泉 文夫(こいずみ ふみお、1927年〈昭和2年〉4月4日[注釈 1] - 1983年〈昭和58年〉8月20日)は、日本の民族音楽学者。
東京都出身。東京府立第四中学校(現・東京都立戸山高等学校)を経て東京大学文学部美学科へ入学。在学中に日本音楽学に関心を持った。卒業後は、東京大学大学院人文科学研究科美学専攻課程に籍を置きながら平凡社に勤務する。邦楽や東南アジアや中近東、アフリカ音楽に興味をもち、日本の伝統音楽の研究やNHK交響楽団機関誌の編集委員などを務めた。
1957年(昭和32年)~1959年にインドに留学しインドの古典音楽や民族音楽の調査を行い、1959年(昭和34年)から東京芸術大学の教員となり[注釈 2]、1960年東京芸術大学講師、1964年助教授、日本をはじめとして世界中の民族音楽の調査や研究に従事する。その傍ら、NHK-FMの「世界の民俗音楽(後の「世界の民族音楽」)」の番組の担当や、NET(現テレビ朝日)の「世界の音楽」などにも出演するようになった。 1967年~68年アメリカウェスレヤン大学客員準教授、71年客員教授。 1975年(昭和50年)の東京芸術大学教授に就任後も、世界でのフィールドワークを多数行い、1977年(昭和52年)には民主音楽協会によるコンサート「シルクロード音楽の旅」シリーズの制作のためシルクロード音楽調査団として現地調査を行った。[2]しかし多忙により癌の発見治療が遅れ1983年8月20日、肝不全のため56歳で没した。美智子皇太子妃(当時)や女優の吉永小百合をはじめ多くの著名人にもファンがおり、小泉のその早い死を惜しんだという。
小泉は欧米系の音楽中心であった日本の音楽界において民族音楽の地位を向上させ、およそ30年もの間、テレビやラジオを通じて多くの人に民族音楽の紹介や啓蒙を行なった。小泉の没後にキングレコードで、小泉の監修によるCD『世界民族音楽集』が出されている。2002年(平成14年)に<CD71枚組・732曲>で同社で『小泉文夫の遺産~民族音楽の礎』が、また1995年(平成7年)にコロムビアより『アジアの響き 小泉文夫記念音楽会ライブ』が出された。
妻は声楽家でありクラシック歌手の加古三枝子(1916 - 2002)で、小泉より11歳年上だったため周囲の反対を押し切って結婚した。加古は小泉の死後もその思い出を書いている。
小泉の没後、遺族より東京芸術大学に音楽資料が寄贈された。それらを活用すべく1985年(昭和60年)音楽学部に小泉文夫記念資料室が開設された[3]。
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