小日山直登
日本の実業家、政治家 ウィキペディアから
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小日山 直登(こびやま なおと、1886年(明治19年)4月26日 - 1949年(昭和24年)8月28日)は、昭和期日本の実業家、政治家。南満洲鉄道総裁を務め、第二次世界大戦末期の鈴木貫太郎内閣に入閣。ポツダム宣言受諾の意思を示した。
福島県出身。生家は士族出身であったが、生活は貧しく小さな水車小屋で生まれ育つ。会津中学、第二高等学校を経て、1912年(明治45年)に東京帝国大学英法科を卒業すると共に文官高等試験に合格して南満洲鉄道株式会社(満鉄)に入社する。塔連炭鉱事件(満鉄疑獄事件)に連座して一時偽証罪で起訴されるが控訴審で無罪となり、満鉄に復帰。理事を経て、1943年(昭和18年)7月、満鉄生え抜きの人材として初めて満鉄総裁となる。
1945年(昭和20年)4月、鈴木貫太郎内閣の運輸通信大臣(翌月逓信院の分離に伴い運輸大臣)に就任する。 小日山は8月13日に行われた閣議で、ポツダム宣言受諾の意思を示した[3][* 1]。終戦後に成立した東久邇宮内閣でも運輸大臣に留任し、勅選の貴族院議員・石炭庁長官を務めた。1946年(昭和21年)公職追放となる[5]。会津会会員。
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