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日本の奈良県生駒郡にあった町 ウィキペディアから
富雄町(とみおちょう)は奈良県北西部、生駒郡に属していた町。大和川水系の支流・富雄川を擁する。
富雄・学園前を中心とする現在の奈良市西部の広い範囲に当たり、北端は現在の奈良市東登美ヶ丘、南端は奈良市石木町に位置していた。
『日本書紀』および『古事記』に描かれた神武天皇の神武東征に由来する。
西暦紀元前663年(天鈴55年)、のちに神武天皇として即位する神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)は、この地を支配する豪族・長髄彦と戦った。磐余彦尊が苦戦するなか、急に空が暗くなり、雹が降り出す。その時、金色の鵄(とび)が飛来して弓先に止まり、神通力を得た磐余彦尊は長髄彦を討って勝利を収めた。この様子を見た人々は、当地を鵄邑(とびのむら)と名付けた[1]。後世、鵄邑は鳥見郷または鳥見庄と呼ばれるようになり、さらに変化して富雄村となった[2]。
ただし、地名の由来となった神武天皇聖蹟碑は富雄町ではなく、隣接する生駒郡北倭村(現・生駒市)に存在する[3]。
この故事は、奈良市への編入前年の1954年(昭和29年)に富雄町教育委員会が発行した「富雄町史」にも記載されている(奈良市立西部図書館で閲覧可能)。
奈良市編入後の富雄地区に関連する人物については、奈良市の項目を参照。
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