富山県道54号福光上平線(とやまけんどう54ごう ふくみつかみたいらせん)は、富山県南砺市を通る主要地方道(富山県道)である。
南砺市刀利から小矢部川の源流を遡り、五箇山と呼ばれる庄川筋の南砺市西赤尾町まで、ブナオ峠を越えて連絡している。古くは塩硝街道とよばれ、五箇山で産出した塩硝を金沢まで運ぶ重要なルートであった。
近年は土砂崩れなどの災害を受けており、現在は、中河内(なかのこうち) - ブナオ峠の区間は事実上、車両の通行ができない。西赤尾町 - ブナオ峠の区間も土砂崩れによる災害を受けることが多く、また車道もすれ違いが困難でかつ、急勾配が続くことから、険道の要素を含んでいる。
路線データ
概要 全ての座標を示した地図 - OSM ...
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- 起点:富山県南砺市刀利大平72の8
- 終点:富山県南砺市西赤尾町峯山帰2の1
冬期閉鎖区間
- 南砺市刀利(刀利トンネル) - ブナオ峠 - 同市西赤尾町 26.5 km
- 概ね11月中旬から翌年5月中旬まで閉鎖される。起点にあたる刀利トンネルの福光側には、看板やバリケード、常設の道路情報掲示板がそれぞれ設置されているが、林道城福線との交点から中河内方面向かってすぐに常設のゲートが設置されている。一方上平側には、終点にあたる国道156号との交点からすぐに常設のゲートや常設の道路情報掲示板がそれぞれ設置されている。冬期間はこれらのゲートが閉まり、起終点に設けられている看板には通行止めの規制標識に冬期閉鎖期間を標したものに替えられ、当ゲートから先の区間が実質的な冬期閉鎖区間となる。また、大雨などの異常気象時の規制の際にも同様に当ゲートが閉められる。
- 起終点には道路情報掲示板の電光式A型(オーバーヘッド形式で遠隔操作ができるもの)が設置されている。
トンネル
- 刀利トンネル (83m)
- 南砺市刀利にあるトンネル。幅員4.0m。上平側ではスノーシェッドと一体となっている。内部には照明がない。
- 滝谷トンネル (409m)
- 南砺市滝谷にあるトンネル。ポータル上部の銘板には「瀧谷隧道」と揮毫されている。幅員4.0m。高さは4.9mあるものの、3.0m以上の車両の通行を制限している。上平側でカーブしているため、全体を見通せない。このため、トンネル両側にはセンサーが取り付けられ、先入車優先の片側交互通行の形式となっている。
沿線にある施設など
- 小矢部川
- 刀利ダム
- 長瀞峡
- 不動滝
- ブナオ峠:南砺市刀利と同市西赤尾町との境にある峠。小矢部川水系と庄川水系の分水嶺でもある。大門山・奈良岳方面への登山道入り口がある。『三洲測量図籍』によると、「ブナヲ峠」とある。大門山 - ブナオ峠 - 猿ヶ山を結ぶラインが五箇山(五ヶ山)境であった。
沿線集落跡
- 刀利:刀利集落はダム水没に伴い、1961年(昭和36年)に解村式を行い、1963年(昭和38年)に廃村。水没地東方山頂に刀利城跡があり、城主は宇野宗右衛門で佐々成政、前田利家に仕えたという。刀利は下刀利と上刀利に分かれ、現在の刀利山崎公園の直下、標高554mの丸山の南方に下刀利、700mほど上流に上刀利があった。上刀利には学校があった。
- 瀧谷:上刀利の更に上流にあった集落。ダム水没に伴い、1961年(昭和36年)に解村式を行い、1962年(昭和37年)廃村。
- 中河内:刀利ダムからの水没は免れたが1966年(昭和41年)に解村式を行い、廃村。現在は無住地。現在の国土地理院の地形図には地名すら載っていない。福光町立南部小学校中河内分校・福光町立福光中学校中河内分校跡の石柱が立てられている。この地は江戸期には遊廓があり、「中河内で見たような女郎が、今朝は湯涌の町で見た」の小唄[3]が残されている。昭和初期まで、ここから赤堂(あかんどう)山、大倉山を越えて、石川県石川郡犀川村の倉谷集落に通ずる道があった[4]。
- 下小屋:猿ヶ山西麓にあった集落。中河内と同様、刀利ダムからの水没は免れたものの、1966年(昭和41年)に解村式を行い、廃村。現在は無住地。現在の国土地理院の地形図には地名すら載っていない。福光町立太美山小学校下小屋分校跡の石柱が立てられている。昭和初期まで、ここから月ヶ原山を越えて、石川県石川郡犀川村の倉谷集落に通ずる道があった。1821年(文政4年)8月測量の『三洲測量図籍』[5]によると、「下古屋」とある。
“道路法第五十六条の規定に基づく主要な都道府県道及び市道 (昭和57年建設省告示第935号)”, 官報 (国立印刷局) 号外第21号: pp. 18-63, (1982年4月1日) 宇野二郎 『刀利谷史話』 刀利谷郷友会、1978年
『三洲測量図籍』金沢市立玉川図書館近世史料館蔵。現南砺市の福光からブナヲ峠を経て西赤尾に至る往来道筋を描いたもの