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皇居にある、賢所、皇霊殿、神殿の総称 ウィキペディアから
宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)は、皇居の吹上御苑にある賢所、皇霊殿、神殿の総称。これら三殿を一括して「賢所(けんしょ)」とも称する[1]。
宮中三殿は皇祖天照大御神を祀る賢所(かしこどころ/けんしょ)を中央に、その西側に位置する歴代の天皇や皇后、皇族の霊を祀る皇霊殿(こうれいでん)、その東側に位置する天神地祇八百万神を祀る神殿(しんでん)からなる[2]。
宮中三殿は南面して建てられており、賢所を中央に、その西側に皇霊殿、東側に神殿がある[3]。賢所は三殿の中でも最も大きい。
宮中三殿の建築は単層入母屋妻入の形式で、向背を付した白木造りである[3]。三殿の屋根は、当初は檜皮葺だったが、後に銅板葺に改められている[4]。
宮中三殿の内部はそれぞれ外陣、内陣、内々陣(内内陣)に分かれている[3]。
建物は板敷で、半蔀(はじとみ)や障子などの建具をそなえ、さらに外周には簀子が取り付けられている[3]。 正面にはそれぞれ木の階段があり、さらにその前方に石階が設置されている[3]。
宮中三殿では、皇室祭祀をつかさどるため、国家行政機関たる宮内庁の組織とは別の内廷の組織として、掌典職が置かれ[5]、掌典長の下に職員として掌典次長、掌典、内掌典が置かれている[2]。
内掌典(一般の神社で巫女に相当する未婚女性)は全員が三殿北側の詰所に住む。毎朝午前8時から、賢所及び皇霊殿では内掌典、神殿では掌典が清酒や神饌などを供える「日供の儀」(にっくのぎ)をそれぞれ行う。続いて、午前8時30分には、宮内庁侍従職の当直侍従が、賢所、皇霊殿、神殿を天皇に代わって拝礼する「毎朝御代拝」(まいちょうごだいはい)を行う。日供の儀及び毎朝御代拝の各儀式は、廃朝(天皇が執務しないこと)や宮中喪が発せられていても、欠かさず行われる。
宮中三殿の祭祀は、明治維新から宮中祭祀の変遷と漸次的集約を経て、教部省が成立した直後の明治5年4月2日(1872年5月8日)に整ったと解されている[6]。このとき鎮座された皇居内の砂拝殿は、翌1873年(明治6年)に皇居西之丸から出火の際に類焼したため、赤坂仮御所へ動座された。現在の宮中三殿の建物は、宮内省一等匠手を務めた木子清敬の設計で、1888年(明治21年)10月に竣工し、翌1889年(明治22年)1月9日に遷座された。第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)には、空襲を避けるため皇居内の防空壕である御斎庫(おさいこ)へ動座され(翌1945年(昭和20年)の終戦により戻る)、2004年(平成16年)6月18日には、建物の耐震劣化調査のため数十メートル離れた場所に設置した仮殿(かりどの)へ一時的に動座された(同月27日に戻る)。
なお、宮中三殿の構内には、附属するいくつかの建造物も配置されている。三殿の西方にあるのが神嘉殿(しんかでん)で、普段は空殿だが、毎年11月30日に新嘗祭が行われ、神嘉殿前庭では、元旦に四方拝が行われる。その他、鎮魂祭や天皇・皇后の装束への着替えが行われる綾綺殿(りょうきでん)、皇太子・皇太子妃の着替えが行われる東宮便殿(とうぐうびんでん)、神楽を奉納する神楽舎(かぐらしゃ)、楽師が雅楽を演奏する奏楽舎(そうがくしゃ)、列席者が待機する左幄舎(ひだりあくしゃ)と右幄舎(みぎあくしゃ)、賢所に正対する賢所正門、新嘉殿に正対する新嘉門などが配されている。
賢所は平安時代は温明殿(うんめいでん)、室町時代以後は春興殿にあり、かつては内侍が管理したため、「内侍所(ないしどころ)」とも称された[7]。掌典及び内掌典が御用を奉り、「忌火」(「神聖な火」の意味)を護り続けるとされる。神聖な場所のため穢れを嫌い、「次清」の別などの厳格な規律があるという[8]。
古代から続くという宮中祭祀が行われ、現在の上皇后美智子や皇后雅子、皇族の妃らを宮中に迎える結婚の儀もここで行われた。その際、后妃が賢所を退出した際に婚姻成立とみなされる。
明治維新の際、神仏判然令により宮中でも祭祀改革が行われ、明治2年(1862年)、再興された神祇官(のち神祇省)が附属の神殿を創建し、併せて歴代天皇の霊を神式で祀った。このため、平安時代より宮中で歴代天皇を仏式で祀っていた「黒戸」は廃止され、歴代天皇の位牌(尊牌)や尊像は泉涌寺「霊明殿」に移された[9]。
明治4年(1871年)9月14日に宮中の賢所に遷座[10]。先述の明治6年(1873年)の類焼による赤坂仮御所への遷座後、明治10年(1877年)に歴代天皇に加えて皇后・皇妃・皇親の霊を合祀[10]。明治18年(1885年)には尊号が贈られた天皇も合祀された[10]。明治22年(1889年)の皇居造営に伴い賢所の西側に新たに造営された[10]。
天皇や皇族の霊は、死後1年をもって皇霊殿に合祀される[11]。毎年春分の日には春季の、秋分の日には秋季の皇霊祭が行われる。また、1月7日は昭和天皇祭(先帝祭)、4月3日は神武天皇祭が行われ、式年(一定の年数)にあたる時は、御陵で天皇の親祭が営まれ、皇霊殿では皇太子・皇太子妃拝礼する。
本来は八神を祀る施設で八神殿と称された[12]。中世以降は神祇官の西院で祀られたが、正親町天皇の頃には官舎も失われた[13]。そのため卜部氏が京都吉田村神楽岡に奉斎して斎場所としたが、天正18年(1590年)に勅許により神祇官代と称することとし、八神の御神体は白川神祇伯邸内(白川伯王家)に祀られることになった[14]。
明治時代になり神祇官によって東京に神殿が造営され、御神体は明治2年(1862年)12月17日にこの神祇官の神殿に鎮座された[15]。神祇官が神祇省に改められ、明治5年(1872年)に神祇省が廃止されたため八神と天神地祇は宮中に移され、同年11月27日に八神と天神地祇を合祀して神殿と改称した[16]。
毎年春分の日と秋分の日には春季、秋季の神殿祭が行われる。
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