大津神社 (羽曳野市)
羽曳野市にある神社 ウィキペディアから
羽曳野市にある神社 ウィキペディアから
当社の創建年代は6世紀ともいわれているが、当社は10世紀初めに醍醐天皇の御代に編纂された延喜式神名帳の河内国丹比郡に「大津神社三座鍬・靱」と明記されている由緒の古い神社であり「丹下の郷の大宮」と称せられていた[1]。当時、この地方には、近仇首王(貴須王)の子孫といわれる葛井氏・船氏・津氏の三氏が勢力を張っており、この三氏のうち津氏一族がこの地をトして「大宮山」と称し、自分達の守護神を奉斎したことが当社の発祥だろうという古来からの定説がある[1]。
当社は津氏一族の守護神として創祀されたようであるが、津氏一族が朝廷に召されて大和国に移住し、また時代の推移に伴って氏姓制度が衰退していくと、中世以降には当社はこの地方九ヶ村の人々の氏神として受け継がれ、「河内の大宮」と称せられた[1]。その後、仏教の隆盛に伴い本地垂迹説に基づいて「牛頭天王社」と称し、境内に真言宗の宮寺である大宮山南之坊を設けて神仏混淆となり、社僧の支配を受けることとなる。こうして広く世の人々からは「北宮の牛頭さん」と称せられた[1]。
明治時代になると新しい神社制度が定められ、神仏習合が厳しく禁じられて南之坊は廃寺とされ、当社は高鷲・埴生両村の氏神として1872年(明治5年)5月に村社に列格され、大津神社と改称された[1]。
太平洋戦争後は、GHQによる占領政策である神道指令によって国家の管理を離れ、1946年(昭和21年)6月2日、宗教法人令に基づき神社本庁所属の宗教法人としての大津神社が発足し現在に至る[1]。
今日では、羽曳野市西部、南西部、広域の氏神(産土神、鎮守神)として崇敬されている。
厄除開運、縁結び、安産、家内安全、交通安全、引越しや住居のリフォーム等の方災除けのご利益があるとされる。おついたち(一日)は一日参りで賑わうが、平素は人通りが少なく、静かである。羽曳野市内の氏神様として認識されている。
当社では年に2回祭りが開催される。その都度、付近の道路に通行規制が敷かれる。秋は地車が曳航されるため、規制が増える。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.