土浦町
日本の茨城県新治郡にあった町 ウィキペディアから
日本の茨城県新治郡にあった町 ウィキペディアから
土浦町(つちうらまち)は茨城県の南部、新治郡にあった町。現在の土浦市の主要部にあたる。
東西約2.4 km、南北約1.6 km。東に霞ケ浦を望み、南を桜川で隔てられる。低地が多く概ね平坦である。中心市街には商家が密集する。
字として17町(明治34年)。
内西町。明治11年、土浦城本丸跡に設置された。
判事5、検事2、書記10など計38名(明治43年)。
本町。署前には全町を見渡せる火の見櫓があった。現況は多摩川土浦ビル。昭和12年、立田町移転。
内西町。新治郡内の国税事務を一手に掌る。現況は関東信越税理士会土浦支部。
内西町。明治5年、土浦郵便取扱所として開設。昭和3年に本町、昭和12年に川口町(現況はアーバンスクエア土浦)に移転。
内西町。明治21年設置。
内西町。管轄は新治郡、西茨城郡、眞壁郡、稲敷郡、筑波郡、結城郡、猿島郡、北相馬郡、鹿島郡の一部、行方郡および東茨城郡の一部。
全て官選。職務代理者の期間あり。
農業に適する田畑は非常に少ない。水産は霞ケ浦の蝦・公魚・白魚など。繭の集散も盛んである。
南北に国道が貫通、その他大小道が縦横に走る。鉄道は、上野-平間に在って土浦停車場あり。水運は稲敷・佐原・銚子に汽船便を擁する水陸の要衝である。
朝日丸汽船所が土浦-佐原・大船津を、銚子汽船会社が土浦-銚子を往復営業し、明治大正期における湖上交通の基幹をなした。土浦佐原間は、土浦(川口川の河口)、沖宿、木原、牛渡、有河、志戸崎、井ノ上、五丁田、橋門、麻生、牛堀、荒川、佐原の各発着所を結んだ。
昭和7年の土浦発着バス路線と経営会社である。
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