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和泉 聖治(いずみ せいじ、1946年9月25日 - )は、日本の映画監督。本名は木俣 堯美(きまた あきよし)[1]。ムービーブラザース代表取締役。プロダクション鷹常務取締役を歴任した[1]。
いずみ せいじ 和泉 聖治 | |
---|---|
本名 | 木俣 堯美 (きまた あきよし) |
生年月日 | 1946年9月25日(77歳) |
出生地 |
日本 神奈川県横須賀市 京都府京都市 |
職業 | 映画監督 |
ジャンル | 映画、テレビ映画 |
活動期間 | 1972年 - |
著名な家族 |
木俣堯喬 (父) 葉山瑛子 (実母) 木俣和子 (義母) 珠瑠美 (義母) 谷身知子 (義叔母) |
事務所 |
プロダクション鷹 ムービーブラザース |
主な作品 | |
映画 『沙耶のいる透視図』 『南へ走れ、海の道を!』 『パッセンジャー 過ぎ去りし日々』 『極道(やくざ)渡世の素敵な面々』 『相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン』 『相棒 -劇場版II- 警視庁占拠! 特命係の一番長い夜』 テレビドラマ 『ホテルウーマン』 『HOTEL(ホテル)』(シリーズ4) 『相棒』 『おみやさん』 Vシネマ 『修羅がゆく』 『借王(シャッキング)』 |
1946年(昭和21年)9月25日、神奈川県横須賀市に生まれる[2]。小学3年生の時に京都府京都市に移る[2]。父は彫刻家・劇作家・舞台演出家、元俳優で映画監督の木俣堯喬、実の母は元女優の葉山瑛子、継母はプロダクション鷹専務取締役だった木俣和子、ピンク映画の元人気女優で映画監督の珠瑠美である[3]。珠瑠美の実妹の谷身知子は義叔母にあたる。
京都西高等学校(現在の京都外大西高等学校)卒業[2]後、船乗り、ダンプの運転手、バーテンなどをしながら、イラストレーターを志した。1966年に画家を目指して上京[2]。偶然見たジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』で映画に魅せられ、父の経営する「プロダクション鷹」に入社する。
1968年(昭和43年)から父・木俣堯喬に師事しながら演出修行を続け、1972年(昭和47年)に同社製作、ミリオンフィルム配給の『赤い空洞』で監督デビューする。以降、年に4本ないし7本以上というハイペースで数多くピンク映画を次々と量産する。1982年(昭和57年)、『オン・ザ・ロード』で一般映画デビューを果たす。その後、映画・テレビ・Vシネマと幅広く活動する。1991年(平成3年)の映画『フィレンツェの風に抱かれて』では、イタリアでロケーション撮影を行い、若村麻由美、仲代達矢、ジュリアーノ・ジェンマ、ラッファエレ・ブラネッリらが出演した。1995年(平成7年)、ムービーブラザースを設立、父・木俣堯喬とともに共同代表に就任する。
2000年(平成12年)から2016年(平成28年)まで連続テレビ映画『相棒』シリーズのメイン監督を務めた。2008年(平成20年)、『相棒 -劇場版- 絶体絶命! 42.195km 東京ビッグシティマラソン』を興行収入44.4億円を上げるなどシリーズ自体を大ヒットに導いたが、「そろそろ卒業して、やりたいことが色々とある」との自身の意向で、Season14放送終了を以てシリーズから降板した[4]。私生活では1991年7月に結婚、二女がいる。
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