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日本の小説家 ウィキペディアから
北原 亞以子(きたはら あいこ、本名:高野美枝、1938年1月20日 - 2013年3月12日)は、日本の小説家。
北原 亞以子 (きたはら あいこ) | |
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ペンネーム | 北原 亞以子 |
誕生 |
高野 美枝 (たかの よしえ) 1938年1月20日 日本・東京府東京市芝区(現・東京都港区) |
死没 |
2013年3月12日(75歳没) 日本・東京都 |
職業 | 小説家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 千葉県立千葉第二高等学校 |
活動期間 | 1969年 - 2013年 |
ジャンル | 時代小説 |
代表作 |
『恋忘れ草』 『慶次郎縁側日記』シリーズ 『深川澪通り木戸番小屋』シリーズ |
主な受賞歴 |
新潮新人賞(1969年) 泉鏡花文学賞(1989年) 直木三十五賞(1993年) 女流文学賞(1997年) 吉川英治文学賞(2005年) 歴史時代作家クラブ賞(2013年) |
デビュー作 | 『ママは知らなかったのよ』 |
ウィキポータル 文学 |
東京・新橋の祖父からの椅子専門の洋家具職人の家に生まれる[1][2]。4歳で父が南方戦地で戦死し、6歳の1944年(昭和19年)11月30日に空襲で生家が焼失し、7歳で終戦を迎える[3]。千葉県立千葉第二高等学校卒業。高校のころから小説家を希望し、石油会社でOLをしながら書き続ける[4]。
28歳の時に同人誌「文藝首都」[5]の同人への推薦人のつてが無く購読と批評提出のできる会員[6]となり、処女作を提出するが酷評されショックを受けて会員をやめる[7]。1968年、同人誌「文学地帯」[8]の同人となる[5]。翌1969年、同誌に発表した『ママは知らなかったのよ』で第1回新潮新人賞を受賞[9][10]。同作は、人気作家の処女作でありながら唯一の現代小説ということもあり、死後の2016年まで単行本収録されなかった。同年、『粉雪舞う』が司馬遼太郎に賞され、第12回小説現代新人賞佳作を受賞。
以後は、勤務先を変えつつ、年1、2回「小説現代」や「小説新潮」に短篇を発表するが[11]、書いても書いても多くはボツになり、まったく評価されないどん底を味わう[7]。
しかし、写真スタジオに事務員として勤務していた40歳のとき誘われ、もう一つの憧れだったコピーライターとして広告制作会社に入社して、生活が安定してから[4]、時代小説に本格的に分野を移し、作家として再デビューして、1988年単行本『小説春日局』、『歳三からの伝言』を初めて出版する。この時は、新人賞から、ほぼ20年たっていた[12]。その後すぐ『歳三からの伝言』出版記念パーティで機会を得て「小説新潮」で断続的に連作掲載されていた『深川澪通り木戸番小屋』が1989年講談社より刊行され、注目を集め出世作となり[3]、シリーズ化される。それから5年後1993年に『恋忘れ草』で第109回直木三十五賞を受賞する。1997年から始まった『慶次郎縁側日記』は人気シリーズとなり、NHKで高橋英樹主演で断続的にドラマ化された。
2011年心臓病の悪化で入院、手術後の復帰インタビューで余命が少ないことを述べていた[13]。
2013年3月12日、東京都内の病院で心筋梗塞のため死去[1]。75歳没。
「」内は北原亞以子の作品
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