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中橋 徳五郎(なかはし とくごろう、旧字体:中橋 德五郞、文久元年9月10日(1861年10月13日) - 昭和9年(1934年)3月25日)は、日本の政治家、実業家、官僚。大阪商船社長、衆議院議員、内務大臣、商工大臣、文部大臣を歴任。政友会。旧姓は斎藤。号は狸庵。加賀国(石川県)生まれ。
中橋 德五郞 | |
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中橋徳五郎 | |
生年月日 | 1861年10月13日 |
出生地 |
日本加賀国石川郡金沢町 (現在の石川県金沢市) |
没年月日 | 1934年3月25日(満72歳歿) |
所属政党 |
(立憲政友会→) (政友本党→) 立憲政友会 |
称号 | 勲一等旭日桐花大綬章 |
第29代 文部大臣 | |
内閣 |
原内閣 高橋内閣 |
在任期間 | 1918年9月29日 - 1922年6月12日 |
第5代 商工大臣 | |
内閣 | 田中義一内閣 |
在任期間 | 1927年4月20日 - 1929年7月2日 |
第42代 内務大臣 | |
内閣 | 犬養内閣 |
在任期間 | 1931年12月13日 - 1932年3月16日 |
選挙区 |
(大阪市選挙区→) (金沢市選挙区→) (大阪府第3区→) 石川県第1区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 |
1912年5月15日 - 1912年12月2日[1] 1916年12月19日 - 1924年1月31日 1928年2月20日 - 1934年3月25日[2] |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1901年 - 1912年 |
文久元年9月10日、加賀国金沢(現在の石川県金沢市)に加賀藩士斎藤宗一・キン夫妻の五男として生まれる。
明治15年(1882年)、東京大学英法科を卒業後、明治19年(1886年)東京帝国大学法学部選科を卒業する[3]。大学院では商法を専攻する。
明治19年、中橋徳五郎は判事試補となり、横浜陪審裁判所詰となる。
明治20年(1887年)、農商務省に籍を移し、参事官となる。
明治22年(1889年)、衆議院制度取調局出仕となり、欧米に出張する。帰朝後は、衆議院書記官、逓信省参事官、逓信省監査局長、鉄道局長などを歴任した。
明治31年(1898年)、岳父にあたる大阪商船社長の田中市兵衛に頼まれ、官界を去り、大阪商船の社長に就任する。実業界に入った中橋徳五郎は大阪商船社長として経営にあたり、台湾航路の拡大などを通じて業績を挽回していった。
明治27年(1894年)頃から宇治川の電源開発を目的に各地の有力者が開発計画を争い、膠着状態に陥っていた。これを大阪商船社長になったばかりの中橋徳五郎が仲裁し、明治34年(1901年)に紛争を収めた。
明治35年(1902年)に宇治川電気株式会社設立の許可を出し、許可が下りたのは4年後の明治39年(1906年)。宇治川電気株式会社が創立され、中橋が初代社長となった[3]。宇治川電気の事業に本腰を入れるため、大阪商船の社長は大正3年(1914年)に辞任した。他に日本窒素の重役を務め、熊本県水俣町に窒素肥料工場を建設した(同工場は、昭和初期に業績を伸ばしたいわゆる新興財閥日窒コンツェルンの中心企業であり、後に水俣病の原因企業となっていく)。渋沢栄一らと日清汽船を創設し取締役に就任する。
政治家としては、明治34年(1901年)大阪市会議員に推され、議長も務めた。
明治45年(1912年)大阪から衆議院議員に立候補し、当選7回を数えた。
大正3年立憲政友会に入党し、大正5年(1916年)石川県から立候補し当選した。政友会総務委員を経て、大正7年(1918年)原敬内閣の文部大臣に就任。この時に宇治川電気の社長を退任した[3]。原内閣での事績には、高等教育機関の増設があり、特に高等学校10校をはじめ、工業、商業、農林、外語、薬学系専門学校29校の新設、医学専門学校5校の設置、東京高等商業学校の大学昇格などを第41帝国議会に提出した。このように中橋は、寺内正毅内閣以来の課題であった、高等教育機関大増設の中心人物であったが、大正10年度の予算編成では、東京および広島高等工業学校、神戸高等商業学校の大学昇格計画が承認されず、中橋文相食言事件として政治問題化した。中橋は原敬によって擁護され辞任することなく済んだ。原敬暗殺事件の後、大正10年(1921年)成立の高橋是清内閣でも文部大臣に留任した。
大正13年(1924年)床次竹二郎に同調して、政友会を離党し、政友本党を結成するが、党勢が振るわず、中橋は大正14年(1925年)政友会に復党した。
昭和2年(1927年)田中義一内閣で商工大臣に就任。金融恐慌による経済混乱の収拾に努めた。
号に有るようにタヌキの愛好家としても知られ、千葉県木更津市の證誠寺の狸塚の揮毫がある。また、本人は後年「大蔵大臣をやりたかった」と語っている。
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