Loading AI tools
フランスの県 ウィキペディアから
ヴォージュ県 (ヴォージュけん、Vosges) は、フランス北東部、グラン・テスト地域圏の県。名称は県面積の大部分を占めるヴォージュ山脈に由来する。
百年戦争時のジャンヌ・ダルクは、この地域の小さなコミューンであるドンレミ=ラ=ピュセルの出身である。
かつてのロレーヌ州の南部、いくつかのシャンパーニュのコミューン、フランシュ=コンテのコミューンを合わせて、1790年3月4日にヴォージュ県として新設された。神聖ローマ帝国に属するザルム=ザルム公領がロレーヌ内に飛び地となって残っていた。1792年にはフランス革命軍がザルム=ザルム公領を包囲したため、食料の供給が断たれた。1793年3月2日の国民公会によって、公領の併合が批准された。1795年、アルザスに属していたシールメック一帯がバ=ラン県からヴォージュ県に移った。
1871年、普仏戦争後のフランクフルト講和条約によって、ヴォージュ県の18のコミューン、シールメック小郡とサール小郡の半分(人口は合わせて約21000人、面積19415ha)がドイツ帝国に併合された。1919年のヴェルサイユ条約により、奪われた領土はフランスに返還されたが、バ=ラン県に属することになった。
ヴォージュ県はムーズ県、ムルト=エ=モゼル県、バ=ラン県、オー=ラン県、テリトワール・ド・ベルフォール県、オート=ソーヌ県、オート=マルヌ県と接している。県は4つの河川の流域にまたがっている。ライン川、モーゼル川、ヴォロニュ川、ムルト川である。
県域はヴォージュ山脈の一部である。県西部は丘陵地で森林に覆われている。東部は花崗岩質や砂岩質がちで、標高が高くなり、針葉樹林で覆われている。県の植林率は47%で、ギュイヤンヌ・フランセーズ、ランド県、ヴァール県に次いで国内第4位である[1]。
以下に人口5000人以上のコミューンの人口の変遷を記す。
コミューン | 人口 2007 | 変遷 2007/1999 | コミューン | 人口 2007 | 変遷 2007/1999 |
---|---|---|---|---|---|
エピナル | 33,528[B 1] | -6,3 % | ヌフシャトー | 7,056[B 2] | -6,3 % |
サン=ディエ=デ=ヴォージュ | 21,881[B 3] | -3,1 % | ラン=レタプ | 6,710[B 4] | == -0,5 % |
ジェラールメ | 8,738[B 5] | == -1 % | ミルクール | 5,956[B 6] | -6,7 % |
ゴルベ | 8,220[B 7] | 3,7 % | ランベルヴィレール | 5,669[B 8] | -5,7 % |
ルミルモン | 8,104[B 9] | -5,1 % | ヴィッテル | 5,586[B 10] | -9,5 % |
タン=レ=ヴォージュ | 8,041[B 11] | 3,1 % | |||
Source : Insee[2] |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.