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北アイルランド出身のギタリスト ウィキペディアから
ヴィヴィアン・キャンベル(Vivian Campbell、1962年8月25日 - )は、北アイルランド出身のギタリスト。ハードロック/ヘヴィメタルの分野で活動。身長173cm。
ベルファスト出身。初めて見たコンサートはロリー・ギャラガーで、他にゲイリー・ムーア等から影響を受ける[1]。1978年にスウィート・サヴェージを結成し、NWOBHMのムーヴメントの中で活動。1981年のシングル「テイク・ノー・プリズナーズ」のB面曲「キリング・タイム」は、後にメタリカにカヴァーされた。
1983年、ロニー・ジェイムス・ディオが新たに結成したバンド、ディオに加入。3枚のオリジナル・アルバムで演奏や作曲に貢献し、評価を高める。また、ディオが主催したチャリティ・プロジェクト「ヒア・アンド・エイド」でも重要な役割を果たした。ディオ脱退後、1987年にはホワイトスネイクの「スティル・オブ・ザ・ナイト」のミュージック・ビデオに出演し、エイドリアン・ヴァンデンバーグとのツイン・ギターという形でツアーにも参加するが、レコーディングには不参加のままホワイトスネイクを脱退。
1990年にはリヴァードッグスのデビュー作『リヴァードッグス』に参加するが、すぐに脱退し、ルー・グラム(元フォリナー)と共にシャドウ・キング結成、1991年に同名のアルバム発表。
1992年、デフ・レパードのツアーに参加し、以後正式メンバーとして活動。キャンベル加入後初のオリジナル・アルバムは、1996年の『スラング』。また、クロックというサイド・プロジェクトでも活動している。
2005年、初のソロ・アルバム『ツー・サイズ・オブ・イフ』発表。ブルースの楽曲をカヴァーした内容で、ボーカルもキャンベル自身が担当し、他にビリー・ギボンズ(ZZトップ)やテリー・ボジオが参加。
2010年5月、デフ・レパードでの活動と並行して、スコット・ゴーハム、ブライアン・ダウニーを中心に再結成したシン・リジィに参加。
2013年にホジキンリンパ腫を発症し、同年6月にそのことを公表[2]。治療を続けながら活動を続けると声明している。
2013年8月3日、ディオ時代共に活動していたヴィニー・アピス、ジミー・ベイン、元リンチ・モブのアンドリュー・フリーマンらと結成した「ラスト・イン・ライン(Last In Line)」の初ライブをカリフォルニアで開催[3]。
2016年、ラスト・イン・ラインとしてのデビュー・アルバム『ヘヴィ・クラウン』をリリース。アルバムのプロデュースは、ディオにも参加経験のある元ドッケンでフォリナーのベーシスト、ジェフ・ピルソン[4]。また、リヴァードッグスの再結成にも参加し、2017年7月にはアルバム『カリフォルニア』をリリースした[5]。
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