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デンマーク出身のドラマー、バンド『メタリカ』メンバー ウィキペディアから
ラーズ・ウルリッヒ[1](Lars Ulrich デンマーク語発音: [lɑːs ˈulˀʁæɡ̊] 英語: [lɑːrz ˈʌlrɪk]、1963年12月26日 - )は、デンマーク出身のドラマー。ヘヴィメタルバンド・メタリカのオリジナル・メンバーであり、ドラムのみならず曲作りでも重要な役割を担う、バンドの中心核である。
「ローリング・ストーン誌の選ぶ歴史上最も偉大な100人のドラマー」において2010年版では第62位、改訂版の2016年版ではランキング外。
デンマークのコペンハーゲン県ゲントフテに生まれる。父のトルベン・ウルリッヒはプロのテニス選手で、またジャズ・ミュージシャンの一面も持ち、引退後はジャズ・クラブを経営していた。サックス・プレーヤーのデクスター・ゴードンは、デンマークのゲントフテに滞在していた頃にウルリッヒ家と親しくなり、ラーズの代父となった。
9歳の時に、ディープ・パープルのコペンハーゲン公演を観る。これをきっかけにロックにのめり込み、公演の翌日にはアルバム『ファイアボール』を買いに行ったという。12歳の時に祖母からラディックのドラムセットをプレゼントされ、イアン・ペイスの影響を受けながらドラムを叩くようになる。
17歳の頃に、アメリカのカリフォルニア州に引っ越す。本来はテニス選手になることを目的とした移住であったが、ジェイムズ・ヘットフィールドとの出会いにより、この目標は変わることになる。1981年10月、メタリカ結成。メンバー・チェンジを経て、ラーズ、ジェイムズ、カーク・ハメット(リードギター)、クリフ・バートン(ベース)というラインナップで、1983年に『キル・エム・オール』でデビュー。
2000年4月、メタリカはNapsterがファイル共有ソフトとそのサービスを提供したことにより著作権を侵害したとして訴えを提起した[2]。ラーズはバンドの代弁者として法廷の内外でNapsterを声高に批判したが、この行動は音楽ファンから賛否両論を巻き起こした。
イアン・ペイスのほか、ブラック・サバスのビル・ワードから影響を受けた。デビュー当初は、スラッシュ・メタルを先導するドラマーとして、ツー・バスを用いた高速のドラム・プレイが話題となったが、プログレッシブ・ロック的な変拍子もこなす。メタリカの5作目『メタリカ』(1991年)では、速さよりも重さにシフトした新境地を見せている。近年では、メタリカの音楽性の変化に合わせ、よりシンプルなドラミングを志向するようになった。テクニック的にも、現在は以前のようなプログレッシヴな変拍子を交えた複雑なプレイに意義を見出せないようで、オリジナルでは手数足数の多い複雑なパートや、ツーバスのパートであっても、00年代以降のライヴでは、省略したりシンプルにアレンジしている事が多い。
ドラミングの最たる特徴として、独特な跳ねたアクセントのあるリズムが挙げられる。 その他、日々地道にランニングをして体力維持に努めている他、元々テニスプレイヤーだった影響か、他のメタルドラマーと比較すると、体格は欧米人の平均から見ると小柄ではあるが、リスト(手首)の強さが尋常ではなく、後述するAHEAD社製の重量のあるシグネチュアモデルのドラムスティックを、軽量な木製のドラムスティックと同じように軽々と扱い、その強靭なリストのスナップと相まって、1つ1つの音が非常に大きく、アタック感が強い。
また、メタル系ドラマーに使用者の多いドラムトリガーは使用せず、ライヴでもレコーディングでも、あくまでドラムの生音に拘っている。ドラムトリガー無しで音圧のある大きい音を出し続けるには、ドラムのヘッドに力強くスティックを叩き込むパワーと正確性、そして強靭な体力、スタミナが求められる。既に50代という年齢にもかかわらず、このドラミングをキープ出来ている事からも、前述のリストの強さと体力面の強さが窺える。
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