Loading AI tools
ドイツのサッカー指導者、元選手 (1987-) ウィキペディアから
ユリアン・ナーゲルスマン(ドイツ語: Julian Nagelsmann, 1987年7月23日 - )は、ドイツ・ランツベルク・アム・レヒ出身の元アマチュアサッカー選手[1][2]、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF。
| ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
ドイツ代表監督時代(2023年) | ||||||
名前 | ||||||
ラテン文字 | Julian Nagelsmann | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ドイツ | |||||
生年月日 | 1987年7月23日(37歳) | |||||
出身地 | バイエルン州ランツベルク | |||||
身長 | 189cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
FCイッシング | ||||||
アウクスブルク | ||||||
2002-2006 | 1860ミュンヘン | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2007 | 1860ミュンヘンII | 0 | (0) | |||
2007-2008 | アウクスブルクII | 0 | (0) | |||
監督歴 | ||||||
2008 | アウクスブルク ユース | |||||
2008-2010 | 1860ミュンヘン U-17 (AC) | |||||
2010-2011 | ホッフェンハイム U-17(AC) | |||||
2011-2012 | ホッフェンハイム U-17 | |||||
2012-2013 | ホッフェンハイム (AC) | |||||
2013-2016 | ホッフェンハイム U-19 | |||||
2016-2019 | ホッフェンハイム | |||||
2019-2021 | ライプツィヒ | |||||
2021-2023 | バイエルン・ミュンヘン | |||||
2023- | ドイツ代表 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ブンデスリーガ史上最年少監督(28歳)[3]。
地元アマチュアクラブのFCイッシングの育成部門出身。その後FCアウクスブルクのジュニアユースを経て当時ドイツ・ブンデスリーガ2部に属していたTSV 1860ミュンヘンのU17チームに移籍。2006-07シーズンに同クラブのセカンドチームへ昇格するも負傷の影響で試合には出場できなかった[4]。
2007-08シーズン、古巣FCアウクスブルクのセカンドチーム(ドイツ5部所属)に移籍するものの公式戦出場は無し。プロ入りを果たすことはなく[5]、膝の負傷によって2007-08シーズン途中に20歳で現役を引退した。
20歳の時、父親を自殺で亡くした[6]。
シーズン途中での引退発表のためクラブとの契約が残っており、当時アウクスブルクⅡの監督を務めていたトーマス・トゥヘルの下でスカウトとして働いた[4]。その時にトゥヘルに指導者の道に挑戦した方がよいと言われ、1860ミュンヘンからU-17のアシスタントコーチのオファーを受けたため指導者としてのキャリアをスタートさせる事を決めた[7][8]。
その2年後TSG1899ホッフェンハイムに移るとU-17チームのアシスタント、U-17監督、トップチームアシスタントを務め、2013-14シーズンに就任したホッフェンハイムU-19チームでは当時26歳でチームをU-19年代のドイツ王者に導いた[4][9]。翌シーズンも決勝まで進出したがシャルケ04に敗北し準優勝となった[10]。
2015年10月、2016-17シーズンからホッフェンハイムのトップチームを率いることが発表されたが[11]、2016年2月11日、前監督のフーブ・ステフェンスが健康上の理由で辞任したことによって、前倒しでの監督就任が発表された[12]。28歳での監督就任はブンデスリーガ史上最年少での監督就任で、スポーツ界においては史上3番目の最年少での監督就任であった[注 1][13]。就任時、チームは降格圏内である17位に位置していたが残り14試合で7勝2分5敗という成績を残し残留を勝ち取った[14]。
翌2016-17シーズンには3バックを軸にした3-1-4-2を採用するなど自身の特色を出しつつ[15]、前年度に残留争いに巻き込まれていたチームをボルシア・ドルトムントと3位争いを繰り広げるまでに躍進させた[16]。クラブは4位でシーズンを終え、ホッフェンハイムはクラブ史上初となるUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。シーズン終了後に契約を2021年まで延長するという報道もあったが[17]、2019-20シーズンからのRBライプツィヒ監督就任が内定し[18]、2018-19シーズンの契約満了をもって退任した。
2018-19シーズン終了後、RBライプツィヒの新監督に就任した[18]。UEFAチャンピオンズリーグではグループリーグを首位で突破、ラウンド16ではモウリーニョ率いるトッテナムに勝利し、32歳231日でベスト8進出を果たしたUCL史上最年少の監督となった[19]。
2021年4月27日、同年7月よりFCバイエルン・ミュンヘンの監督を務めることが発表された[20][21]。2022年4月24日、ドルトムントとの直接対決に勝利し、史上2番目の若さでブンデスリーガの優勝を飾った[22]。
2023年3月24日、バイエルン・ミュンヘンの監督から解任され、後任にはトーマス・トゥヘルが就任した[23]。UEFAチャンピオンズリーグではベスト16でパリ・サンジェルマンFCを下してすぐの出来事であったこともあり、国内では物議を醸した。理由としては新しいパートナーがビルト紙の記者だったことや主力選手との関係の悪化など様々な憶測を呼んでいる[24]。
2023年9月22日、サッカー日本代表との国際試合に敗れて解任されたハンス=ディーター・フリックの後任としてサッカードイツ代表監督に就任した[25]。
クラブ | 就任 | 退任 | 記録 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 | 勝 | 分 | 敗 | 得 | 失 | 差 | 勝率 | |||
ホッフェンハイム | 2016年2月11日 | 2019年6月30日 | 136 | 55 | 43 | 38 | 257 | 197 | +60 | 40.44 |
ライプツィヒ | 2019年7月1日 | 2021年4月26日 | 95 | 54 | 22 | 19 | 193 | 108 | +85 | 56.84 |
バイエルン・ミュンヘン | 2021年7月1日 | 2023年3月24日 | 84 | 60 | 14 | 10 | 255 | 84 | +171 | 71.43 |
合計 | 315 | 169 | 79 | 67 | 705 | 389 | +316 | 53.65 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.