モワサック
ウィキペディアから
ウィキペディアから
モワサック (仏: Moissac)は、フランス、オクシタニー地域圏、タルヌ=エ=ガロンヌ県のコミューン。モアサックともカナ表記される。
Moissac | |
---|---|
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | オクシタニー地域圏 |
県 (département) | タルヌ=エ=ガロンヌ県 |
郡 (arrondissement) | カステルサラサン郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 82112 |
郵便番号 | 82203 |
市長(任期) |
ジャン・ポール・ニュンジ (2008年 - 2014年) |
自治体間連合 (fr) | fr:Communauté de communes Castelsarrasin Moissac |
人口動態 | |
人口 |
12,244人 (2009年) |
人口密度 | 142人/km2 |
住民の呼称 | Moissagais |
地理 | |
座標 | 北緯44度06分17秒 東経1度05分06秒 |
標高 |
平均:m 最低:59 m 最高:199m |
面積 | 85.95km2 (8 595ha) |
公式サイト | www.moissac.fr |
モワサックは、ガロンヌ運河上でガロンヌ川とタルヌ川が合流する地点にある。国道113号線がカステルサラサンとヴァランス=ダジャンとの間を走る。フランス国鉄モワサック駅はボルドー-セット路線が通る。
1464年の特許状により、ルイ11世は先代の王たちが与えたモワサックの特権を認可した[1]。
新たな宗教戦争中であった1622年、モワサックはルイ13世によって占領された[2]。
1800年から1926年までモワサックは郡庁所在地であった。
モワサックはシャスラ種ブドウ(fr)のまちとして有名である。第二次世界大戦中のモワサックは、フランス・ユダヤ人ボーイスカウト連盟(fr)の大規模な避難所となっていた。モワサック子供の家ではユダヤ人の子供たちが匿われていた。
1944年春、ノルマンディーに再招集される前、オラドゥール=シュル=グラヌの虐殺など通過した場所で数々の暴虐をはたらいてきた第2SS装甲師団の一部がモワサックに駐留していた[3]。
モワサック産シャスラ種ブドウの生産が有名で、AOC指定されているが、近年の天候不良で減産傾向にある。
観光業が発展している。サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路途上にあり、数千人の巡礼者たちがベネディクト会派の修道院にやってくる。
1962年 | 1968年 | 1975年 | 1982年 | 1990年 | 1999年 | 2009年 |
---|---|---|---|---|---|---|
10274 | 11856 | 11826 | 11184 | 11971 | 12321 | 12244 |
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.