Loading AI tools
ウィキペディアから
ピノ・ドナッジオ(Pino Donaggio 本名:ジュゼッペ・ドナッジオ(Giuseppe Donaggio) 1941年11月24日 - )は、イタリアの作曲家、シンガーソングライター。正式な発音はピノ・ドナッジョ。
ヴェネツィアのブラーノ出身。音楽家一族に育ち、10歳でヴァイオリンを習い始める[1]。後にミラノの音楽学校に編入[2]、14歳でソロヴァイオリニストデビューを飾り、イ・ソリスティ・ヴェネティに入団[3]。少年ヴァイオリニストとしてクラウディオ・アッバードやクラウディオ・シモーネの指揮でクラシック音楽のコンサートに参加する。
1959年、クラシックからポップ・ロックに転向。1961年のサンレモ音楽祭に出場し、みずから作曲した「コメ・シンフォニア」 "Come sinfonia"で入賞して以来サンレモ音楽祭の常連出場者となる。リリカルで美しいメロディを特徴とするシンガーソングライターとして、ボビー・ソロやジャンニ・モランディとともにカンツォーネブームの一時代を築いた。
1965年のサンレモ音楽祭に出場した際、みずから作曲した「この胸のときめきを」 "Io che non vivo (senza te)"を歌って入賞を果たし、イタリア国内で大ヒットを記録する[4]。1966年にはこの曲をダスティ・スプリングフィールドが“You Don't Have to Say You Love Me”として英語でカバーし、イタリアン・ポップスの範疇に留まらない世界的な大ヒットを果たした[5]。この曲は後にエルヴィス・プレスリーなど多くの有名ミュージシャンにカバーされた。
1973年に初めて映画音楽の作曲を担当する。イギリスのニコラス・ローグ監督によるヴェネツィアを舞台にしたスリラー映画『赤い影』 "Don't Look Now"(1973年)の映画音楽作曲家として、ヴェネツィア出身で1970年に「消え行くヴェニス」 "Concerto per Venezia"というカンツォーネをヒットさせていたドナッジオが起用された。『赤い影』における恐怖映画を美しいメロディで彩ったドナッジオの作曲手法が話題となり、以降もドナッジオに対して映画音楽の依頼が相次ぐようになる。その後は次第に歌手から映画音楽作曲家へと活動の重点を移していく。
イタリア映画のみならず、ハリウッド映画にも曲を提供している。特に、『キャリー』 "Carrie"(1976年)、『殺しのドレス』"Dressed to Kill"(1980年)などブライアン・デ・パルマのスリラー映画が有名。リリカルで官能的な美しいメロディをストリングス主体のクラシカルな編曲で演奏する流麗な作風が特徴的である。
日本における名前の表記において、映画音楽作曲家としては「ピノ・ドナジオ」と表記される場合が多い。これはドナッジオが初めて映画音楽を担当した映画『赤い影』でのクレジットが「Pino Donnagio」と誤表記されたことに由来する。
ヴァイオリニスト、シンガーソングライターの時代が長く専門的な指揮の勉強をしていないため、映画音楽の指揮はジュゼッペ・ヴェルディ音楽院時代の同窓生であるナターレ・マッサーラなど他人に任せているが、オーケストレーションの大部分はドナッジオが自ら行っている。当初は編曲の知識が乏しかったため、シンガーソングライター時代はアレンジを専門の編曲者にゆだね、映画音楽も70年代まではオーケストラの指揮を行うマッサーラやジャンピエロ・ボネスキ、ジャンカルロ・ガッツァーニ、ナンド・デ・ルーカなどに編曲をゆだねていた。しかし1980年の『殺しのドレス』以降はドナッジオがオーケストレーションの大部分を仕上げて、マッサーラなど指揮担当者が少数の手直しを施すというスタイルに落ち着いた[6]。
エンニオ・モリコーネの音楽が高く評価された映画『ミッション』(1986年)の音楽担当者には、当初ドナッジョが候補として挙げられており、プロデューサーから正式な打診も受けていた。しかしその後、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984年)の音楽が評判になったことから、プロデューサーの関心がモリコーネに向けられた。プロデューサーの一人であるフェルナンド・ギアはドナッジオの起用を推していたものの、共同プロデューサーであるデヴィッド・パットナムがモリコーネの起用を強く主張したためにドナッジオへの依頼は立ち消えとなった。ドナッジオは常々モリコーネを巨匠として尊敬していると語っているが、『ミッション』の音楽はぜひ作曲したかったと語っている[6]。
晩年のルチオ・フルチが監督することを予定して企画された映画『肉の鑞人形』(1997年)では、フルチと製作者のダリオ・アルジェントはドナッジオに音楽を依頼しており、ドナッジオも『恐怖!黒猫』(1981年)以来のフルチとの仕事を歓迎して作曲の準備をしていた[7]。しかしフルチの死去によって特殊効果技師のセルジオ・スティヴァレッティが監督することになり、それによって音楽もドナッジオからマウリツィオ・アベーニ(80年代から作曲家として活動しながら、フランコ・カンパニーノやブルーノ・ザンブリーニなどの映画音楽の編曲と指揮を担当していた人物。)に変更となった。それ以降、アベーニはドナッジオの映画音楽の編曲協力とオーケストラ指揮を担当することが多くなる。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.