数学 におけるヒルベルト空間 (ヒルベルトくうかん、英 : Hilbert space )は、ダフィット・ヒルベルト にその名を因む、ユークリッド空間 の概念を一般化したものである。これにより、二次元のユークリッド平面 や三次元のユークリッド空間における線型代数学 や微分積分学 の方法論を、任意の有限または無限次元の空間へ拡張して持ち込むことができる。ヒルベルト空間は、内積 の構造を備えた抽象ベクトル空間 (内積空間 )になっており、そこでは角度や長さを測るということが可能である。ヒルベルト空間は、さらに完備距離空間 の構造を備えている(極限 が十分に存在することが保証されている)ので、その中で微分積分学がきちんと展開できる。
ヒルベルト空間は、典型的には無限次元の関数空間 として、数学 、物理学 、工学 などの各所に自然に現れる。そういった意味でのヒルベルト空間の研究は、20世紀冒頭10年の間にヒルベルト 、シュミット 、リース らによって始められた。ヒルベルト空間の概念は、偏微分方程式 論、量子力学 、フーリエ解析 (信号処理 や熱伝導などへの応用も含む)、熱力学 の研究の数学的基礎を成すエルゴード理論 などの理論において欠くべからざる道具になっている。これら種々の応用の多くの根底にある抽象概念を「ヒルベルト空間」と名付けたのは、フォン・ノイマン である。ヒルベルト空間を用いる方法の成功は、関数解析学 の実りある時代のさきがけとなった。古典的なユークリッド空間はさておき、ヒルベルト空間の例としては、自乗可積分関数 の空間 L 2 、自乗総和可能数列の空間
ℓ
2
{\displaystyle \ell ^{2}}
、超関数 からなるソボレフ空間
H
s
{\displaystyle H^{s}}
、正則関数 の成すハーディ空間
H
2
{\displaystyle H^{2}}
などが挙げられる。
ヒルベルト空間論の多くの場面で、幾何学的直観は重要である。例えば、三平方の定理 や中線定理 (の厳密な類似対応物)は、ヒルベルト空間においても成り立つ。より深いところでは、部分空間への直交射影(例えば、三角形に対してその「高さを潰す」操作の類似対応物)は、ヒルベルト空間論における最適化問題やその周辺で重要である。ヒルベルト空間の各元は、平面上の点がそのデカルト座標(直交座標)によって特定できるのと同様に、座標軸 の集合(正規直交基底 )に関する座標によって一意的に特定することができる。このことは、座標軸の集合が可算無限 であるときには、ヒルベルト空間を自乗総和可能 な無限列 の集合と看做すことも有用であることを意味する。ヒルベルト空間上の線型作用素 は、ほぼ具体的な対象として扱うことができる。条件がよければ、空間を互いに直交するいくつかの異なる要素に分解してやると、線型作用素はそれぞれの要素の上では単に拡大縮小するだけの変換になる(これはまさに線型作用素のスペクトル を調べるということである)。
動機付けとなる例
最もよく知られたヒルベルト空間の例の一つは、三次元の空間ベクトル 全体の成すユークリッド空間
R
3
{\displaystyle \mathbb {R} ^{3}}
にドット積 を考えたものであろう。二つのベクトル
x
,
y
{\displaystyle {\boldsymbol {x}},{\boldsymbol {y}}}
のドット積
x
⋅
y
{\displaystyle {\boldsymbol {x}}\cdot {\boldsymbol {y}}}
は実数を与える。
x
,
y
{\displaystyle {\boldsymbol {x}},{\boldsymbol {y}}}
がデカルト座標系 であらわされているときには、ドット積は
(
x
1
,
x
2
,
x
3
)
⋅
(
y
1
,
y
2
,
y
3
)
:=
x
1
y
1
+
x
2
y
2
+
x
3
y
3
{\displaystyle (x_{1},x_{2},x_{3})\cdot (y_{1},y_{2},y_{3}):=x_{1}y_{1}+x_{2}y_{2}+x_{3}y_{3}}
として定まる。このドット積は、条件
対称性 :
x
⋅
y
=
y
⋅
x
.
{\displaystyle {\boldsymbol {x}}\cdot {\boldsymbol {y}}={\boldsymbol {y}}\cdot {\boldsymbol {x}}.}
第一引数に関する線型性 :
(
a
x
1
+
b
x
2
)
⋅
y
=
a
x
1
⋅
y
+
b
x
2
⋅
y
∀
a
,
b
∈
R
,
∀
x
1
,
x
2
∈
R
3
.
{\displaystyle (a{\boldsymbol {x}}_{1}+b{\boldsymbol {x}}_{2})\cdot {\boldsymbol {y}}=a{\boldsymbol {x}}_{1}\cdot {\boldsymbol {y}}+b{\boldsymbol {x}}_{2}\cdot {\boldsymbol {y}}\quad \forall \ a,b\in \mathbb {R} ,\ \forall \ {\boldsymbol {x}}_{1},{\boldsymbol {x}}_{2}\in \mathbb {R} ^{3}.}
正定値性 :
x
⋅
x
≥
0
∀
x
∈
R
3
;
x
⋅
x
=
0
⟺
x
=
0
.
{\displaystyle {\boldsymbol {x}}\cdot {\boldsymbol {x}}\geq 0\quad \forall \ {\boldsymbol {x}}\in \mathbb {R} ^{3};\quad {\boldsymbol {x}}\cdot {\boldsymbol {x}}=0\iff {\boldsymbol {x}}={\boldsymbol {0}}.}
を満足する。
このドット積のように、上記三つの性質を満足するベクトルの二項演算 を(実)内積 と呼び、そのような内積を備えたベクトル空間 は(実)内積空間 と呼ばれる。任意の有限次元内積空間は、ヒルベルト空間でもある。ユークリッド幾何学に関わるドット積の基本的な特徴というのは、ベクトルの長さ(ノルム )
‖
x
‖
{\displaystyle \|{\boldsymbol {x}}\|}
と二つのベクトル
x
,
y
{\displaystyle {\boldsymbol {x}},{\boldsymbol {y}}}
の間の角度
θ
{\displaystyle \theta }
の両方が
x
⋅
y
=
‖
x
‖
‖
y
‖
cos
θ
{\displaystyle {\boldsymbol {x}}\cdot {\boldsymbol {y}}=\|{\boldsymbol {x}}\|\,\|{\boldsymbol {y}}\|\,\cos \theta }
なる式が成立するという意味でドット積と関連付けられることである。
ユークリッド空間における多変数微分積分学 は極限 が計算できること、および極限の存在を結論付ける有用な判定法を持つことに支えられている。
R
3
{\displaystyle \mathbb {R} ^{3}}
のベクトルを項とする級数
∑
n
=
0
∞
x
n
{\displaystyle \textstyle \sum _{n=0}^{\infty }{\boldsymbol {x}}_{n}}
は、そのノルムの和(これは実数を項とする通常の級数)が
∑
n
=
0
∞
‖
x
n
‖
<
∞
{\displaystyle \textstyle \sum _{n=0}^{\infty }\|{\boldsymbol {x}}_{n}\|<\infty }
なる条件を満たすとき、絶対収束 するという[1] 。スカラー項級数の場合と全く同じく、絶対収束するベクトル項級数は
‖
L
−
∑
n
=
0
N
x
n
‖
→
0
as
N
→
∞
{\displaystyle \|{\boldsymbol {L}}-\textstyle \sum _{n=0}^{N}{\boldsymbol {x}}_{n}\|\to 0\quad {\text{as }}N\to \infty }
なる意味で、このユークリッド空間の適当な極限ベクトル
L
{\displaystyle {\boldsymbol {L}}}
に収束する。このような性質(絶対収束級数は通常の意味でも収束する)は、ユークリッド空間の完備性 (completeness ) として表される。
定義
H
{\displaystyle H}
がヒルベルト空間 であるとは、
H
{\displaystyle H}
は実 または複素 内積空間 であって、さらに内積によって誘導される距離関数 に関して完備距離空間 をなすことを言う[2] 。ここで、
H
{\displaystyle H}
が複素内積空間であるというのは、
H
{\displaystyle H}
は複素線型空間であって、その上に内積、即ち
x
,
y
∈
H
{\displaystyle x,y\in H}
に
⟨
x
,
y
⟩
∈
C
{\displaystyle \langle x,y\rangle \in \mathbb {C} }
を対応させる写像であって、条件
⟨
y
,
x
⟩
{\displaystyle \langle y,x\rangle }
は
⟨
x
,
y
⟩
{\displaystyle \langle x,y\rangle }
の複素共役 である:
⟨
y
,
x
⟩
=
⟨
x
,
y
⟩
¯
∀
x
,
y
∈
H
.
{\displaystyle \langle y,x\rangle ={\overline {\langle x,y\rangle }}\quad \forall \ x,y\in H.}
⟨
⋅
,
⋅
⟩
{\displaystyle \langle \cdot ,\cdot \rangle }
は第一引数に関して線型 である[3] :
⟨
a
x
1
+
b
x
2
,
y
⟩
=
a
⟨
x
1
,
y
⟩
+
b
⟨
x
2
,
y
⟩
∀
x
1
,
x
2
∈
H
,
∀
a
,
b
∈
C
.
{\displaystyle \langle ax_{1}+bx_{2},y\rangle =a\langle x_{1},y\rangle +b\langle x_{2},y\rangle \quad \forall \ x_{1},x_{2}\in H,\ \forall \ a,b\in \mathbb {C} .}
内積
⟨
⋅
,
⋅
⟩
{\displaystyle \langle \cdot ,\cdot \rangle }
は正定値 である:
⟨
x
,
x
⟩
≥
0
∀
x
∈
H
;
⟨
x
,
x
⟩
=
0
⟺
x
=
0.
{\displaystyle \langle x,x\rangle \geq 0\quad \forall \ x\in H;\quad \langle x,x\rangle =0\iff x=0.}
を満たすものが存在することをいう。条件の 1 と 2 を併せると、複素内積は第二引数に関して反線型 (antilinear) となることが従う。即ち、
⟨
x
,
a
y
1
+
b
y
2
⟩
=
a
¯
⟨
x
,
y
1
⟩
+
b
¯
⟨
x
,
y
2
⟩
∀
x
1
,
x
2
∈
H
,
∀
a
,
b
∈
C
{\displaystyle \langle x,ay_{1}+by_{2}\rangle ={\bar {a}}\langle x,y_{1}\rangle +{\bar {b}}\langle x,y_{2}\rangle \quad \forall x_{1},x_{2}\in H,\ \forall \ a,b\in \mathbb {C} }
が成り立つ。実内積空間も同様に定められ(
H
{\displaystyle H}
が実線型空間であることと、内積が実数値であることとが違うだけである)、この場合の内積は双線型(各引数について線型)になる。
内積
⟨
⋅
,
⋅
⟩
{\displaystyle \langle \cdot ,\cdot \rangle }
によって定義されるノルム
‖
x
‖
:=
⟨
x
,
x
⟩
1
/
2
{\displaystyle \|x\|:=\langle x,x\rangle ^{1/2}}
は実数値関数であり、このノルムを用いて2点
x
,
y
∈
H
{\displaystyle x,y\in H}
の間の距離が
d
(
x
,
y
)
:=
‖
x
−
y
‖
=
⟨
x
−
y
,
x
−
y
⟩
1
/
2
{\displaystyle d(x,y):=\|x-y\|=\langle x-y,x-y\rangle ^{1/2}}
と定められる。これが距離であるというのは、(1)「
x
,
y
{\displaystyle x,y}
に関して対称」で、(2)「
x
{\displaystyle x}
と
x
{\displaystyle x}
自身との距離は 0 に等しく、かつそれ以外のときは
x
,
y
{\displaystyle x,y}
の距離は必ず正」で、(3)「三角不等式
d
(
x
,
z
)
≤
d
(
x
,
y
)
+
d
(
y
,
z
)
{\displaystyle d(x,z)\leq d(x,y)+d(y,z)}
を満たす、即ち三角形 xyz の一辺の長さは他の二辺の長さの和を超えない」という三性質を満たすことを意味する。
三つ目の性質は、突き詰めればより基本的なコーシー・シュヴァルツの不等式
|
⟨
x
,
y
⟩
|
≤
‖
x
‖
‖
y
‖
{\displaystyle |\langle x,y\rangle |\leq \|x\|\,\|y\|}
(ただし等号成立は x , y の線型従属性 と同値)からの帰結である。
このようにして定義される距離関数に関して、任意の内積空間は距離空間 となる。内積空間のことを前ヒルベルト空間 (pre-Hilbert space) と呼ぶこともある[4] 。距離空間として完備 であるような任意の前ヒルベルト空間は、ヒルベルト空間になる。完備性は、H 内の列に対するコーシーの判定法 (英語版 ) の形で表すことができる。即ち、前ヒルベルト空間 H が完備となるのは、任意のコーシー列 がノルムに関する意味で H 内の元に収束することである。完備性は、次のような条件
ベクトル項級数 ∑ ∞ k =0 u k が
∑
k
=
0
∞
‖
u
k
‖
<
∞
{\displaystyle \sum _{k=0}^{\infty }\|u_{k}\|<\infty }
なる意味で絶対収束するならば、もとの級数は(部分和が H の元に収束するという意味で) H において収束する。
によっても特徴付けることができる。
完備なノルム空間であるという点で、定義によりヒルベルト空間はバナッハ空間 でもある。これらは位相線型空間 であり、開集合 や閉集合 といった位相的概念 を定めることができる。特に重要になるのが、ヒルベルト空間の閉部分空間 の概念である。完備距離空間の閉部分集合は(そこへ距離を制限すれば)それ自身完備距離空間となるから、ヒルベルト空間の閉部分空間は(そこへ内積を制限するとき)それ自身ヒルベルト空間をなす。
もう少し自明でない例
複素数を項とする無限数列 z = (z 1 , z 2 , …) で級数
∑
n
=
1
∞
|
z
n
|
2
{\displaystyle \sum _{n=1}^{\infty }|z_{n}|^{2}}
が収束 するようなもの(自乗総和可能な無限複素数列)全体の成す数列空間 を ℓ2 で表す。ℓ2 上の内積はエルミート積 として
⟨
z
,
w
⟩
=
∑
n
=
1
∞
z
n
w
¯
n
{\displaystyle \langle \mathbf {z} ,\mathbf {w} \rangle =\sum _{n=1}^{\infty }z_{n}{\bar {w}}_{n}}
で定義される。この右辺の級数が収束することはコーシー・シュヴァルツの不等式からの帰結である。
空間 ℓ2 の完備性は「ℓ2 の元からなる級数が(ノルムの意味で)絶対収束するならば必ず、その級数が ℓ2 の何らかの元に収束する」ことを示せば言える。このことの証明は解析学 の初歩であり、この空間の元からなる級数は複素数(あるいは有限次元ベクトル空間のベクトル)からなる級数と同程度容易に扱うことができる[5] 。
ダフィット・ヒルベルト
ヒルベルト空間が開発される以前にも、数学や物理学においてユークリッド空間 を一般化する別な概念が知られていた。特に、19世紀の終わりに掛けていくつかの流れの中から抽象線型空間 の概念が獲得される[6] 。これは、その元同士の加法と(実数 や複素数 のような)スカラーによる乗法とを備えた空間のことを指すのであって、必ずしも物理的な系における運動量や位置といった「幾何学的な」ベクトル をその元が同一視される必要はないという性質のものである。20世紀に入ると、数学者たちは新たな対象を扱うようになり、特に数列 の空間(級数 論も含む)や関数の空間[7] は自然に線型空間と看做すことができる。実際に、関数の場合なら、関数同士の和や定数をスカラーとする乗法が定義できて、それらの演算は空間ベクトルの加法とスカラー倍が従うのと同じ代数法則に従う。
20世紀の最初の10年間で、ヒルベルト空間の導入に繋がる展開が同時並行的に現れた。その一つは、ヒルベルト とシュミット の積分方程式 論の研究過程で見出された[8] 。区間 [a , b ] 上の2つの自乗可積分 な実数値関数 f , g は「内積」
⟨
f
,
g
⟩
=
∫
a
b
f
(
x
)
g
(
x
)
d
x
{\displaystyle \langle f,g\rangle =\int _{a}^{b}f(x)g(x)\,dx}
を持ち、これがよく知られたユークリッド空間のドット積の性質の多くを有していた。これにより特に、関数からなる正規直交系 の概念が意味を持つようになる。シュミットは、この内積と通常のドット積との類似性として、
f
(
x
)
↦
∫
a
b
K
(
x
,
y
)
f
(
y
)
d
y
{\displaystyle f(x)\mapsto \int _{a}^{b}K(x,y)f(y)\,dy}
(ただし、K は x , y に関して対称)なる形の作用素に対してスペクトル分解 の類似物を示した。得られる固有関数 展開は関数 K を
K
(
x
,
y
)
=
∑
n
λ
n
φ
n
(
x
)
φ
n
(
y
)
{\displaystyle K(x,y)=\sum _{n}\lambda _{n}\varphi _{n}(x)\varphi _{n}(y)\,}
なる形の級数として表す。ただし、関数系 φn は、n ≠ m なるとき常に ⟨ φn , φm ⟩ = 0 を満たすという意味で、直交系を成す。この級数の個々の項は、基本積解 (elementary product solution) と呼ばれることもある。しかし、この固有関数展開には、適当な意味で自乗可積分関数に収束するものとそうでないものがある。収束を保証するには完備性(系の完全性)が不可欠なのである[9] 。
いま一つは、ルベーグ がリーマン積分 に替わるものとして1904年に導入したルベーグ積分 である[10] 。ルベーグ積分は、より広範なクラスの関数で積分を定義することを可能にした。1907年に、リース とフィッシャー (英語版 ) はそれぞれ独立にルベーグ自乗可積分関数全体の成す空間 L 2 が完備距離空間 であることを示した[11] 。このような幾何学的議論と系の完全性の議論が合わさった帰結として、19世紀に得られたフーリエ 、ベッセル 、パーシヴァル (英語版 ) らの三角級数 についての成果を、これらのより一般の空間へ容易に持ち込むことができた。そうして得られた幾何学的かつ解析学的な仕組みは今日ではふつうリース・フィッシャーの定理 として知られる[12] 。
更なる基本的結果が20世紀の初め頃に証明されていく。例えば、リースの表現定理 は1907年にフレシェ とリース がそれぞれ独立に示した[13] 。フォン・ノイマン は自身の非有界エルミート作用素 の研究において「抽象ヒルベルト空間 」という用語を創出した[14] 。他のワイル やウィーナー のような数学者は(しばしば物理学的な興味を動機として)既に特定のヒルベルト空間については極めて詳細な研究を行っていたのだけれども、一般のヒルベルト空間をきちんと、しかも公理的に取り扱ったのはフォン・ノイマン が最初である[15] 。後にフォン・ノイマンは、量子力学の基礎付けに関する金字塔的研究[16] においてこのヒルベルト空間の概念を用いており、ウィグナー へと続いていく。「ヒルベルト空間」という呼称は瞬く間に他へ広まり、例えばワイルは自身の量子力学と群論の教科書[17] で用いている。
ヒルベルト空間の概念の重要性は、それが最も適切な量子力学の数学的基礎 の提供を実現したことで強く認識されるようになった[18] 。簡単に言えば、量子力学系の状態はある種のヒルベルト空間におけるベクトルであり、可観測量はその空間上のエルミート作用素 であり、系の対称性 はユニタリ作用素 であり、観測 は直交射影 である。量子力学的対称性とユニタリ作用素との間の関係は、1928年のワイル[17] に始まる群 のユニタリ 表現論 の発展の原動力となった。他方、1930年代の初め頃には、古典的な力学系 のある種の性質が、エルゴード理論 の枠組みのもとでヒルベルト空間を用いた方法で調べられるようになり、明らかにされた[19] 。
量子力学における可観測量 の代数は、ハイゼンベルク の行列力学 による量子論の定式化に従って、自然に或るヒルベルト空間上で定義される作用素環となる。1930年代のうちにフォン・ノイマンがヒルベルト空間上の作用素の成す環 としての作用素環 を調べ始め、フォン・ノイマンやその時代の人々が研究した種類の作用素環は、今日ではフォン・ノイマン環 と呼ばれている。1940年代には、ゲルファント 、ナイマーク (英語版 ) 、シーガル (英語版 ) らが C ∗ -環 と呼ばれる種類の作用素環の定義を与えた。これはヒルベルト空間の基盤となることはない一方で、それまで知られていた作用素環のもつ有用な特徴が当てはまる。特に、存在する殆どのヒルベルト空間論の根底にある、自己随伴作用素のスペクトル定理 が C ∗ -環に対して一般化された。これらの手法は今や抽象調和解析や表現論において基本となっている。
ルベーグ空間
ルベーグ空間は測度空間 (X , M , μ ) (X は集合 で、M は X の部分集合からなる完全加法族 、μ は M 上の完全加法的測度 )に付随する関数空間 である。L 2 (X , μ ) を、X 上の複素数値可測関数で、その絶対値 の平方のルベーグ積分 が有限となるようなもの全体の成す空間とする。即ち、L 2 (X , μ ) に属する関数 f は必ず
∫
X
|
f
|
2
d
μ
<
∞
{\displaystyle \int _{X}|f|^{2}d\mu <\infty }
を満たす。ただし、測度零の集合 の上でだけ異なる(殆ど至る所一致する )ような関数は全て同一視するものとする。
L 2 (X , μ ) に属する関数 f , g の内積は
⟨
f
,
g
⟩
=
∫
X
f
(
t
)
g
(
t
)
¯
d
μ
(
t
)
{\displaystyle \langle f,g\rangle =\int _{X}f(t){\overline {g(t)}}\ d\mu (t)}
で与えられる。L 2 の元 f , g に対して、右辺の積分が存在することはコーシー・シュヴァルツの不等式から示されるから、これは確かに内積を定義している。このように定義された内積に関して L 2 は実は完備になる[20] 。積分がルベーグ積分であることは完備性を保証するために本質的である。例えば、実数からなる領域上でリーマン可積分関数 を考えるのでは十分でない[21] 。
多くの自然な設定の下でルベーグ空間を考えることができる。L 2 (R ) および L 2 ([0, 1]) をそれぞれ実数直線および単位閉区間上で定義される(ルベーグ測度 に関する)自乗可積分関数全体の成す空間とすると、それぞれの自然な定義域上でフーリエ変換とフーリエ級数が定義できる。別な状況では、実数直線上の通常のルベーグ測度ではない何か別の測度を用いることもある。例えば、任意の正値可測関数 w をとり、区間 [0, 1] 上の可測関数 f で
∫
0
1
|
f
(
t
)
|
2
w
(
t
)
d
t
<
∞
{\displaystyle \int _{0}^{1}|f(t)|^{2}w(t)\,dt<\infty }
を満たすもの全体の成す空間は重み付き L 2 -空間 と呼ばれ、w を重み関数と呼ぶ。内積は
⟨
f
,
g
⟩
=
∫
0
1
f
(
t
)
g
(
t
)
¯
w
(
t
)
d
t
{\displaystyle \langle f,g\rangle =\int _{0}^{1}f(t){\overline {g(t)}}w(t)\,dt}
で与えられる。重み付き空間 L 2w ([0, 1]) はヒルベルト空間 L 2 ([0, 1], μ ) に等しい。ただし測度 μ は可測集合 A に対して
μ
(
A
)
=
∫
A
w
(
t
)
d
t
{\displaystyle \mu (A)=\int _{A}w(t)\,dt}
を満たすものと定める。このような重み付き L 2 空間は直交多項式 を調べるのによく用いられる(これは種々の直交多項式系は、それぞれ別な重み関数に関する意味で直交することによる)。
ソボレフ空間
ソボレフ空間 H s あるいは W s ,2 はヒルベルト空間になる。これらの空間は微分 が行えるような関数空間 の一種で、(ヘルダー空間 のようなほかのバナッハ空間とは異なり)内積の構造も持つ特別な場合になっている。微分が使えることで、ソボレフ空間は偏微分方程式 論に対して都合がよい[22] 。また変分法における直接法 の基礎も与えている。[23]
非負整数 s と領域 Ω ⊂ R n に対し、ソボレフ空間 H s (Ω) は s 階までの弱微分 が全て L 2 に属するような L 2 -関数を全て含む。H s (Ω) における内積は
⟨
f
,
g
⟩
=
∫
Ω
f
(
x
)
g
¯
(
x
)
d
x
+
∫
Ω
D
f
⋅
D
g
¯
(
x
)
d
x
+
⋯
+
∫
Ω
D
s
f
(
x
)
⋅
D
s
g
¯
(
x
)
d
x
{\displaystyle \langle f,g\rangle =\int _{\Omega }f(x){\bar {g}}(x)\,dx+\int _{\Omega }Df\cdot D{\bar {g}}(x)\,dx+\cdots +\int _{\Omega }D^{s}f(x)\cdot D^{s}{\bar {g}}(x)\,dx}
で与えられる。ただし、右辺のドット積は各階の偏導関数全体の成すユークリッド空間におけるドット積である。s が整数でない場合にもソボレフ空間は定義できる。
ソボレフ空間は、(ヒルベルト空間のより具体的な構造に依拠する)スペクトル論の観点からも研究される。適当な領域 Ω に対してソボレフ空間 H s (Ω) をベッセルポテンシャル (英語版 ) 全体の成す空間として定義することができる[24] 。これはだいたい
H
s
(
Ω
)
=
{
(
1
−
Δ
)
−
s
/
2
f
|
f
∈
L
2
(
Ω
)
}
{\displaystyle H^{s}(\Omega )=\{(1-\Delta )^{-s/2}f|f\in L^{2}(\Omega )\}}
のようなものである。ここで Δ はラプラス作用素 、(1 − Δ)− s /2 はスペクトル写像定理 (英語版 ) によって捉えることができる。非負整数 s に対するソボレフ空間の意味のある定義を与える必要があることをひとまず置いておけば、ソボレフ空間の定義はフーリエ変換 のもとで特に望ましい性質を持ち、擬微分作用素 の研究に対して理想的である。これらの方法をコンパクト リーマン多様体 上で用いれば、例えばホッジ理論 の基礎を成すホッジ分解 が得られる[25] 。
正則関数の空間
ハーディ空間
複素解析 や調和解析 で用いられるハーディ空間 は、その元が複素領域上の正則関数 となっているような関数空間の一種である[26] 。U をガウス平面上の単位円板 とすると、ハーディ空間 H 2 (U ) は U 上の正則関数 f で、その平均
M
r
(
f
)
=
1
2
π
∫
0
2
π
|
f
(
r
e
i
θ
)
|
2
d
θ
{\displaystyle M_{r}(f)={\frac {1}{2\pi }}\int _{0}^{2\pi }|f(re^{i\theta })|^{2}\,d\theta }
がまた r < 1 で抑えられるようなもの全体の成す空間として定義される。このハーディ空間上のノルムは
‖
f
‖
2
=
lim
r
→
1
M
r
(
f
)
{\displaystyle \|f\|_{2}=\lim _{r\to 1}{\sqrt {M_{r}(f)}}}
で与えられる。この円板上のハーディ空間はフーリエ級数と関係があり、正則関数 f が H 2 (U ) に属するための必要十分条件は、
f
(
z
)
=
∑
n
=
0
∞
a
n
z
n
,
(
∑
n
=
0
∞
|
a
n
|
2
<
∞
)
{\displaystyle f(z)=\sum _{n=0}^{\infty }a_{n}z^{n},\qquad \left(\sum _{n=0}^{\infty }|a_{n}|^{2}<\infty \right)}
なる形に書けることである。従って、空間 H 2 (U ) は、単位円板上の L 2 -関数で、負の周波数に対するフーリエ係数が消えているようなもの全体からなる。
ベルグマン空間
正則関数の成すヒルベルト空間の別なクラスにベルグマン空間 がある[27] 。D をガウス平面 (または高次元の複素空間)の有界開集合とし、L 2,h (D ) を D 上の正則関数 f で
‖
f
‖
2
=
∫
D
|
f
(
z
)
|
2
d
μ
(
z
)
<
∞
{\displaystyle \|f\|^{2}=\int _{D}|f(z)|^{2}\,d\mu (z)<\infty }
なる意味で L 2 (D ) にも属するようなもの全体の成す集合とする。ただし積分は D におけるルベーグ測度に関してとる。明らかに L 2,h (D ) は L 2 (D ) の部分空間であり、実は閉部分空間になっているので、それ自身ヒルベルト空間を成す。このことは、D のコンパクト部分集合 K の上で有効な評価
sup
z
∈
K
|
f
(
z
)
|
≤
C
K
‖
f
‖
2
{\displaystyle \sup _{z\in K}|f(z)|\leq C_{K}\|f\|_{2}}
からの帰結である。この評価自体はコーシーの積分公式 から出る。従って、L 2 (D ) に属する正則関数列の収束はコンパクト収束 でもあるから、極限関数もまた正則になる。先の評価不等式の別な帰結として、D の一点において関数 f を評価する線型汎関数は、実際には L 2,h (D ) 上で連続であることがわかる。リースの表現定理によれば、この評価関数を表現する L 2,h (D ) の元が存在するから、各 z ∈ D に対して関数 η z ∈ L 2,h (D ) で
f
(
z
)
=
∫
D
f
(
ζ
)
η
z
(
ζ
)
¯
d
μ
(
ζ
)
{\displaystyle f(z)=\int _{D}f(\zeta ){\overline {\eta _{z}(\zeta )}}\,d\mu (\zeta )}
をすべての ƒ ∈ L 2,h (D ) に対して満たすようなものが取れる。被積分関数の因子
K
(
ζ
,
z
)
=
η
z
(
ζ
)
¯
{\displaystyle K(\zeta ,z)={\overline {\eta _{z}(\zeta )}}}
は D のベルグマン核 と呼ばれる積分核 で、再生性
f
(
z
)
=
∫
D
f
(
ζ
)
K
(
ζ
,
z
)
d
μ
(
ζ
)
{\displaystyle f(z)=\int _{D}f(\zeta )K(\zeta ,z)\,d\mu (\zeta )}
を満足する。
ベルグマン空間は再生核ヒルベルト空間 (関数からなるヒルベルト空間で、先と同様の再生性を持つ積分核 K (ζ ,z ) を備えたもの)の例になっている。ハーディ空間 H 2 (D ) にもセゲー核 (英語版 ) と呼ばれる再生核を持つ[28] 。再生核は数学のほかの分野でもよく用いられる。たとえば、調和解析 におけるポアソン核 は単位球体 上の自乗可積分調和関数 全体の成すヒルベルト空間(これがヒルベルト空間を成すことは調和関数に対する中間値の定理からわかる)に対する再生核である。
ヒルベルト空間の応用の多くは、ヒルベルト空間において射影 や基底変換 といったような単純な幾何学的概念が、ふつうの有限次元の場合に考えられるそれらの自然な一般化になっているという事実に依拠して行われている。特に、ヒルベルト空間上の連続 自己随伴 線型作用素 のスペクトル論 は、行列 のふつうのスペクトル分解 の一般化であり、これはヒルベルト空間論を他の数学や物理学の分野に応用する際にしばしば大きな役割を果たす。
スツルム・リウヴィル理論
振動元の倍音 。これらはスツルム・リウヴィル問題の固有関数 で、固有値 1,1/2,1/3,… は倍音列 を成す。
常微分方程式 論において、微分方程式の固有関数および固有値の振る舞いを調べるのに適当なヒルベルト空間上のスペクトル法が利用できる。例えば、ヴァイオリンの弦やドラムの調波の研究から生じたスツルム・リウヴィル問題 は、常微分方程式論の中心的な問題である[29] 。スツルム・リウヴィル問題は区間 [a , b ] 上の未知関数 y に対する常微分方程式
−
d
d
x
[
p
(
x
)
d
y
d
x
]
+
q
(
x
)
y
=
λ
w
(
x
)
y
{\displaystyle -{\frac {d}{dx}}\left[p(x){\frac {dy}{dx}}\right]+q(x)y=\lambda w(x)y}
で、一般斉次ロビン境界条件
{
α
y
(
a
)
+
α
′
y
′
(
a
)
=
0
β
y
(
b
)
+
β
′
y
′
(
b
)
=
0.
{\displaystyle {\begin{cases}\alpha y(a)+\alpha 'y'(a)=0\\\beta y(b)+\beta 'y'(b)=0.\end{cases}}}
を満足するものである。関数 p , q , および w は所与で、方程式の解となる関数 y および定数 λ を求める。同問題は、この系の固有値と呼ばれる特定の値の λ に対してだけ解を持つのだが、それのことはこの系に対するグリーン関数 によって定まる積分作用素 にコンパクト作用素 のスペクトル論を適用した結果として得られる。さらにはこの一般論からの別な帰結として、固有値 λ を無限大に発散する単調増大列に並べることができる[30] 。
偏微分方程式論
ヒルベルト空間は偏微分方程式 を調べる基本的な道具である[22] 。即ち、楕円型線型方程式 のような偏微分方程式の多くのクラスでは、考える関数のクラスを拡張して弱解 と呼ばれる超関数解を考えることができるが、弱解の定式化(弱定式化)の多くはヒルベルト空間を成すソボレフ関数 のクラスを含むものになっているのである。解を求めたり、あるいはしばしばより重要な、与えられた境界条件に対する解の存在および一意性を示したりする解析学的な問題が、適当な弱定式化によって幾何学的問題に還元される。楕円型線型方程式に対して、かなりのクラスの問題が一意的に解けることを保証する幾何学的結果の一つがラックス・ミルグラムの定理 である。この方法論は、偏微分方程式の数値解法に対するガレルキン法 (英語版 ) (有限要素法 の一つ)の基盤をなしている[31] 。
典型的な例が、R 2 の有界領域 Ω におけるポアソン方程式 −Δu = g のディリクレ境界問題 である。弱定式化は、境界上で消えている Ω 上連続的微分可能な任意の関数 v に対して
∫
Ω
∇
u
⋅
∇
v
=
∫
Ω
g
v
{\displaystyle \int _{\Omega }\nabla u\cdot \nabla v=\int _{\Omega }gv}
を満たすような関数 u を求めることからなる。これは、u およびその弱偏導関数がともに境界上で消えている Ω 上の自乗可積分関数となるような関数 u からなるヒルベルト空間 H 1 0 (Ω) の言葉で書き直すことができて、問題はこの空間 H 1 0 (Ω) の任意の元 v に対して
a
(
u
,
v
)
=
b
(
v
)
{\displaystyle a(u,v)=b(v)}
を満たすような u を空間 H 1 0 (Ω) の中で求めることに帰着される。ただし、a および b はそれぞれ
a
(
u
,
v
)
=
∫
Ω
∇
u
⋅
∇
v
,
b
(
v
)
=
∫
Ω
g
v
{\displaystyle a(u,v)=\int _{\Omega }\nabla u\cdot \nabla v,\quad b(v)=\int _{\Omega }gv}
で与えられる連続な双線型形式 および連続な線型汎関数 である。ポアソン方程式は楕円型 だから、ポアンカレの不等式から双線型形式 a が強圧的 であることが従う。故に、ラックス・ミルグラムの定理は、この方程式の解の存在と一意性を保証する。
多くの楕円型偏微分方程式に対して同様のやり方でヒルベルト空間による定式化ができるので、それ故にラックス・ミルグラムの定理はそれらの解析における基本的な道具となる。同様の方法は抛物型偏微分方程式 やある種の双曲型偏微分方程式 に対しても、適当な修正を施せば通用する。
エルゴード理論
ブニモヴィチスタジアム における力学的ビリヤード 球の軌道は、エルゴード力学系 で記述される。
エルゴード理論 の分野では、カオス 力学系 の長期的振る舞いを研究する。エルゴード理論が有効な原型的な場合というのは、熱力学 における系である。この系の微視的な状態は(微粒子の間の個々の衝突の集まりとしては理解できないという意味で)極めて複雑であるにも拘らず、十分長期間にわたるその平均的振る舞いは素直であり、熱力学の法則 が主張するのはこのような平均的挙動である。特に、熱力学の第0法則 は「十分長い時間スケールを経れば平衡状態にある熱力学系の、その機能的に独立な測度は、温度 の形でのその全エネルギーのみである」などと定式化できる。
エルゴート力学系は、(ハミルトニアン で測られる)エネルギーを除けば、相空間 上の機能的に独立な保存量 を持たないような系である。詳しく述べれば、エネルギー E を固定して、ΩE をエネルギーが E となる状態すべてからなる相空間の部分集合(エネルギー面)とし、T t で相空間上の発展演算子を表せば、力学系がエルゴードとなるのは、ΩE 上の定数でない連続関数で、ΩE の任意の w と任意の時間 t において
f
(
T
t
w
)
=
f
(
w
)
{\displaystyle f(T_{t}w)=f(w)}
を満たすものがない場合に限る。リウヴィルの定理 によれば、エネルギー面上の測度 μ で時間並進不変なものが存在する。結果として時間並進は、エネルギー面 ΩE 上の自乗可積分関数に内積を
⟨
f
,
g
⟩
L
2
(
Ω
E
,
μ
)
=
∫
E
f
g
¯
d
μ
{\displaystyle \langle f,g\rangle _{L^{2}(\Omega _{E},\mu )}=\int _{E}f{\bar {g}}\,d\mu }
で入れたヒルベルト空間 L 2 (ΩE ,μ) のユニタリ変換 になる。
フォンノイマンの平均エルゴード定理[19] の主張は次のようなものである。
U t がヒルベルト空間 H 上のユニタリ作用素からなる(強連続)一径数半群で、P を U t の同時不動点全体の成す集合{x ∈H | U t x = x for all t > 0} の上への直交射影とすると
P
x
=
lim
T
→
∞
1
T
∫
0
T
U
t
x
d
t
{\displaystyle Px=\lim _{T\to \infty }{\frac {1}{T}}\int _{0}^{T}U_{t}x\,dt}
が成り立つ。
エルゴード系では、時間発展の固定集合は定数関数のみから成るので、先のエルゴード定理から任意の f ∈ L 2 (ΩE ,μ) に対し
L
2
-
lim
T
→
∞
1
T
∫
0
T
f
(
T
t
w
)
d
t
=
∫
Ω
E
f
(
y
)
d
μ
(
y
)
{\displaystyle {\underset {T\to \infty }{L^{2}\!{\text{-}}\!\lim {}}}{\frac {1}{T}}\int _{0}^{T}f(T_{t}w)\,dt=\int _{\Omega _{E}}f(y)\,d\mu (y)}
となることが従う[32] 。つまり、観測可能な f の長期平均は、そのエネルギー面に亘ってとった期待値に等しい。
フーリエ解析
正弦波基底関数(下)の重ね合わせが鋸歯状波(上)になる。
球面上の自乗可積分関数全体の成すヒルベルト空間の正規直交基底を成す球面調和関数 を、半径方向に沿ってグラフ化したもの
フーリエ解析 の基本目的の一つは、関数を付随するフーリエ級数 、即ち与えられた基底関数族の(必ずしも有限とは限らない)線型結合 に分解することである。区間 [0, 1] 上の関数 f に付随する古典フーリエ級数とは
∑
n
=
−
∞
∞
a
n
e
2
π
i
n
θ
(
a
n
:=
∫
0
1
f
(
θ
)
e
−
2
π
i
n
θ
d
θ
)
{\displaystyle \sum _{n=-\infty }^{\infty }a_{n}e^{2\pi in\theta }\quad (a_{n}:=\int _{0}^{1}f(\theta )e^{-2\pi in\theta }\,d\theta )}
なる形の級数である。
鋸歯状波関数に対するフーリエ級数の最初の数項を足し上げた例を図に示す。鋸歯状波関数の波長を λ とすると、(基本波、つまり n = 1 を除いて)それよりも短い波長 λ/n (n は整数)をもつ正弦波が基底関数である。全ての基底関数が鋸歯状波の折れるところで交わり(結点)を持つが、基本波を除く全ての基底関数はそれ以外にも結点を持つ。鋸歯の周りでの基底関数の部分和の振動はギブズ現象 と呼ばれるものである。
古典フーリエ級数論の特徴的な問題の一つに「関数 f のフーリエ級数がもとの関数に収束する(ことが仮にあったとする)ならば、それはどのような意味においての収束であるか」を問う問題がある。これに対して、ヒルベルト空間を用いた方法で答えを与えることができる[33] 。関数族 e n (θ) := e2πinθ はヒルベルト空間 L 2 ([0, 1]) の正規直交基底を成すから、それ故に任意の自乗可積分関数 f が
f
(
θ
)
=
∑
n
a
n
e
n
(
θ
)
,
(
a
n
:=
⟨
f
,
e
n
⟩
)
{\displaystyle f(\theta )=\sum _{n}a_{n}e_{n}(\theta ),\quad (a_{n}:=\langle f,e_{n}\rangle )}
なる級数の形で表せて、さらにこの級数は L 2 ([0, 1]) の元として収束する(即ち、L 2 -収束、自乗平均収束 )。
この問題を抽象的な観点からも見ることができる。任意のヒルベルト空間は正規直交基底 を持ち、ヒルベルト空間の各元はそれら基底に属する元の定数倍の和として一意的に表すことができるが、この展開に現れる各基底元の係数のことをその元の抽象フーリエ係数と呼ぶことがある[34] 。このような抽象化は、L 2 ([0,1]) などの空間で別の基底関数系を用いることがより自然であるようなときに、特に有用である。関数を三角関数系に分解することは不適当だが、例えば直交多項式系 やウェーブレット [35] および高次元において球面調和関数 [36] へ展開することが適当であるような状況はたくさんある。
例えば、e n を L 2 [0,1] の任意の正規直交基底関数系とすると、与えられた L 2 [0,1] の関数は有限線型結合
f
(
x
)
≈
f
n
(
x
)
=
a
1
e
1
(
x
)
+
a
2
e
2
(
x
)
+
⋯
+
a
n
e
n
(
x
)
{\displaystyle f(x)\approx f_{n}(x)=a_{1}e_{1}(x)+a_{2}e_{2}(x)+\cdots +a_{n}e_{n}(x)}
で近似することができる[37] 。右辺の係数 {a j } は、差の大きさ ‖ ƒ − ƒ n ‖ 2 をできるだけ小さくするように定める。幾何学的には、最適近似 は {e j } の線型結合全体の成す部分空間の上への ƒ の直交射影 であり、
a
j
=
∫
0
1
e
j
(
x
)
¯
f
(
x
)
d
x
{\displaystyle a_{j}=\int _{0}^{1}{\overline {e_{j}(x)}}f(x)\,dx}
によって計算することができる[38] 。これが ‖ ƒ − ƒ n ‖ 2 を最小化することはベッセルの不等式とパーセヴァルの公式 からの帰結である。
種々の物理学的問題においては、関数を物理的に意味を持つ微分作用素 (典型的なものはラプラス作用素 )の固有関数 系に分解することができ、微分作用素のスペクトル に関連して、関数のスペクトル研究の基礎を成している[39] 。物理学への具体的な応用として太鼓の形を聴く (英語版 ) 問題が挙げられる。これは「太鼓の皮が引き起こす基本振動モードを与えたとき、太鼓自身の形が推定できるか」というものである[40] 。この問題の数学的定式化は、平面上のラプラス作用素のディリクレ固有値 に関わるものになる(これはヴァイオリンの弦の基本振動モードを表す整数の直接の対応物である)。
スペクトル論も関数のフーリエ変換 のある種の側面を下支えしている。フーリエ解析ではコンパクト集合 上定義された関数を(ヴァイオリンの弦や太鼓の皮の振動に対応する)ラプラス変換の離散スペクトルに分解するのに対して、関数のフーリエ変換はユークリド空間の全域で定義された関数をラプラス作用素の連続スペクトル に関する成分に分解する。フーリエ変換があるヒルベルト空間(「時間領域」)から別なヒルベルト空間(「周波数領域」)への等距変換 であることを主張するプランシュレルの定理 として、フーリエ変換は幾何学的な意味を持つ。このフーリエ変換の等距性は、例えば非可換調和解析 に現れる球関数に対するプランシュレルの定理 などが示すとおり、抽象的な調和解析 では繰り返し登場する主題である。
量子力学
水素原子 における電子 の軌道 はエネルギー の固有関数 である。
ディラック [41] とフォンノイマン [42] によって発展した量子力学の数学的に厳密な定式化は、量子力学系の取りうる状態(より正確には純粋状態 )が、状態空間 (英語版 ) と呼ばれる可分な複素ヒルベルト空間に属する単位ベクトル (状態ベクトルという)によって(位相因子と呼ばれるノルム 1 の複素数の違いを除いて )表現される。つまり、取りうる状態はあるヒルベルト空間の射影化 (ふつうは複素射影空間 と呼ばれる)の元である。このヒルベルト空間が実際にどのようなものになるかは系に依存する。例えば、一つの非相対論的スピン 0 粒子の位置と運動量の状態は自乗可積分関数 全体の成す空間であり、いっぽう一つの陽子のスピンの状態はスピノル の成す二次元複素ヒルベルト空間の長さ 1 の元である。各可観測量は状態空間上に作用する自己随伴 線型作用素 として表現され、可観測量の固有状態はその作用素の固有ベクトル に、固有ベクトルに対応する固有値は固有状態にある可観測量の値にそれぞれ対応する。
量子状態の時間発展はシュレーディンガー方程式 によって記述され、そこに現れるハミルトニアン (全エネルギー に対応する作用素 )は時間発展を生み出す。
二つの状態ベクトルの間の内積は確率振幅 として知られる複素数になる。量子力学系の理想的な測定の間で、系が与えられた初期状態から特定の固有状態に崩壊する確率は、初期状態から終期状態の間の確率振幅の絶対値 の平方によって与えられる。測定の結果として可能なのは、作用素の固有値であり(これは自己随伴作用素のとり方を説明する)、全ての固有値は実数でなければならない。与えられた状態の可観測量の確率分布は対応する作用素のスペクトル分解を計算すれば求められる。
一般の系では、状態は典型的には純粋ではないが、密度行列 (ヒルベルト空間上のトレース 1 の自己随伴作用素)で与えられる純粋状態の統計的混合(あるいは混合状態)として表される。さらに、一般の量子力学系では、単独の測定の効果は系のほかの部分に影響を及ぼしうるが、それは測度が正の作用素値測度 (英語版 ) で取り替えたものとして記述される。従って、一般論として状態と可観測量の両方の構造は、純粋状態の理想化したものより相当に複雑である。
ハイゼンベルクの不確定性原理 は、ある種の可観測量に対応する作用素が互いに可換でなく、特定の形の交換子 を与えるという主張として表される。
三平方の定理
ヒルベルト空間 H の二つのベクトル u , v が直交するのは、⟨ u , v ⟩ = 0 のときである。このとき u ⊥ v と書く。更に一般に、H の部分集合 S に対して u ⊥ S と書けば、これは u が S の各元と直交することを意味する。
u と v とが直交するとき、等式
‖
u
+
v
‖
2
=
⟨
u
+
v
,
u
+
v
⟩
=
⟨
u
,
u
⟩
+
2
R
e
⟨
u
,
v
⟩
+
⟨
v
,
v
⟩
=
‖
u
‖
2
+
‖
v
‖
2
{\displaystyle \|u+v\|^{2}=\langle u+v,u+v\rangle =\langle u,u\rangle +2\,\mathrm {Re} \langle u,v\rangle +\langle v,v\rangle =\|u\|^{2}+\|v\|^{2}}
が成り立つ。これは個数 n に関する帰納法 で拡張することができて、任意の互いに直交する n 本のベクトルの族
u 1 , …, un に対して
‖
u
1
+
⋯
+
u
n
‖
2
=
‖
u
1
‖
2
+
⋯
+
‖
u
n
‖
2
{\displaystyle \|u_{1}+\cdots +u_{n}\|^{2}=\|u_{1}\|^{2}+\cdots +\|u_{n}\|^{2}}
が成り立つ。三平方の定理の主張は任意の内積空間で有効であるにも拘らず、この等式を級数(無限和)に対して拡張するには完備性を課さねばならない。互いに直交するベクトルからなる級数 ∑ uk が H において収束するための必要十分条件は、各項のノルムの平方からなる級数が収束し、かつ
‖
∑
k
=
0
∞
u
k
‖
2
=
∑
k
=
0
∞
‖
u
k
‖
2
{\displaystyle \left\|\sum _{k=0}^{\infty }u_{k}\right\|^{2}=\sum _{k=0}^{\infty }\|u_{k}\|^{2}}
が満たされることである。更に言えば、互いに直交するベクトルからなる級数の和は、それらのベクトルの和をとる順番に依らずに定まる。
中線定理と極化公式
幾何学的には、中線定理の式は AC2 + BD2 = 2(AB2 + AD2 ) なることを示すものである。言葉で書けば、対角線の平方和は任意の隣り合う二辺の平方和の二倍に等しい。
定義から、任意のヒルベルト空間はバナッハ空間 であり、さらに中線定理
‖
u
+
v
‖
2
+
‖
u
−
v
‖
2
=
2
(
‖
u
‖
2
+
‖
v
‖
2
)
{\displaystyle \|u+v\|^{2}+\|u-v\|^{2}=2(\|u\|^{2}+\|v\|^{2})}
も成立する。逆に中線定理が成り立つような任意のバナッハ空間はヒルベルト空間になり、その内積は極化恒等式 によってノルムから一意的に定まる[43] 。実ヒルベルト空間における極化恒等式は
⟨
u
,
v
⟩
=
1
4
(
‖
u
+
v
‖
2
−
‖
u
−
v
‖
2
)
{\displaystyle \langle u,v\rangle ={\frac {1}{4}}(\|u+v\|^{2}-\|u-v\|^{2})}
であり、複素ヒルベルト空間の場合は
⟨
u
,
v
⟩
=
1
4
(
‖
u
+
v
‖
2
−
‖
u
−
v
‖
2
+
i
‖
u
+
i
v
‖
2
−
i
‖
u
−
i
v
‖
2
)
{\displaystyle \langle u,v\rangle ={\frac {1}{4}}(\|u+v\|^{2}-\|u-v\|^{2}+i\|u+iv\|^{2}-i\|u-iv\|^{2})}
で与えられる。中線定理は、任意のヒルベルト空間が一様凸バナッハ空間 となることを示している[44] 。
最適近似
ヒルベルト空間 H の空でない閉凸部分集合を C とし、H の点 x をとると、x との距離を最小化する C の元 y がただ一つ存在する[45] 。
∃
!
y
∈
C
,
‖
x
−
y
‖
=
d
i
s
t
(
x
,
C
)
=
min
{
‖
x
−
z
‖
:
z
∈
C
}
.
{\displaystyle {}^{\exists !}y\in C,\quad \|x-y\|=\mathrm {dist} (x,C)=\min\{\|x-z\|:z\in C\}.}
これは、C を平行移動した凸集合 D := C − x にノルムが最小となる点が存在するとも言い換えられる。このことは、任意の最小化列 (dn ) ⊂ D が(中線定理により)コーシー列となること、従って(完備性により)D 内の点に収束するが、それがノルム最小であることを示すことで証明できる。もっと一般に、一様凸バナッハ空間でこのことは成り立つ[46] 。
この結果を H の閉部分空間 F に適用するとき、y ∈ F が x に最近接することは
y
∈
F
,
x
−
y
⊥
F
{\displaystyle y\in F,\quad x-y\perp F}
によって特徴付けることができる[47] 。この点 y というのは x の F の上への直交射影 に他ならない。このとき、写像 PF : x ↦ y は線型である(後述 )。この結果は、最小自乗法 の基礎を成すもので、応用数学 、特に数値解析 において有意である。
特に F が全体空間 H 自身とは一致しないとき、F に直交する非零ベクトル v が取れる(F に属さない x をとって、v := x − y と置けばよい)。これを応用して、閉部分集合 F が H の部分集合 S によって生成されるかを見るのに有効な判定法が得られる。即ち、
H の部分集合 S が生成する部分空間が H で稠密となるのは、S に直交するベクトル v ∈ H が零ベクトル 0 のみであるとき(かつそのときに限る)である。
双対性
ヒルベルト空間 H の連続的双対空間 H ∗ とは、H からその係数体への連続 な線型写像全体の成す空間のことをいう。この空間には
‖
φ
‖
=
sup
‖
x
‖
=
1
,
x
∈
H
|
φ
(
x
)
|
{\displaystyle \|\varphi \|=\sup _{\|x\|=1, \atop x\in H}|\varphi (x)|}
で定義される自然なノルムが入る。このノルムは中線定理を満足するので、この双対空間もまた内積空間になる。またこれは完備であり、従ってそれ自身ヒルベルト空間を定める。
リースの表現定理 は、この双対空間の簡便な記述を与えてくれる。即ち、H の各元 u に対して、
φ
u
(
x
)
=
⟨
x
,
u
⟩
{\displaystyle \varphi _{u}(x)=\langle x,u\rangle }
で定まる H ∗ の元 φu がただ一つ存在し、写像 u ↦ φu は H から H ∗ への反線型写像 (英語版 ) になる。リースの表現定理はこの写像が反線型同型であるというのである[48] 。故に、双対空間 H ∗ の各元 φ に対し H の元 u φ がただ一つ存在して、H の任意の元 x について
⟨
x
,
u
φ
⟩
=
φ
(
x
)
{\displaystyle \langle x,u_{\varphi }\rangle =\varphi (x)}
を満たす。双対空間 H ∗ 上に定まるこの内積は
⟨
φ
,
ψ
⟩
=
⟨
u
ψ
,
u
φ
⟩
{\displaystyle \langle \varphi ,\psi \rangle =\langle u_{\psi },u_{\varphi }\rangle }
を満たす。右辺で順番が逆になっているのは u φ の反線型性から φ の線型性を回復するためである。実係数の場合は、H からその双対空間への反線型同型は実際には線型同型になるから、実ヒルベルト空間はその双対空間と自然に同型になる。
表現ベクトル u φ を得るには以下のようにする。φ ≠ 0 のとき、核 F = ker φ は H の閉部分空間であって、H には一致しないから、F に直交する非零ベクトル v が存在する。ベクトル u を v の適当なスカラー倍 λv として、φ(v ) = ⟨ v , u ⟩ が
u
=
⟨
v
,
v
⟩
−
1
φ
(
v
)
¯
v
{\displaystyle u=\langle v,v\rangle ^{-1}\,{\overline {\varphi (v)}}\,v}
を満たすようにする。この対応関係 φ ↔ u は物理学 ではお馴染みのブラ・ケット記法 で大いに活用されている。物理学ではふつうは内積 ⟨ x | y ⟩ の右側の項に関して線型なので、
⟨
x
∣
y
⟩
:=
⟨
y
,
x
⟩
{\displaystyle \langle x\mid y\rangle :=\langle y,x\rangle }
とすると、この ⟨ x | y ⟩ は、ブラベクトルと呼ばれる線型汎関数 ⟨ x | がケットベクトルと呼ばれるベクトル |y ⟩ に作用したものと見ることができる。
リースの表現定理は内積の存在に関して基本的であるばかりでなく、双対空間の完備性に関しても基本的である。事実、定理からは任意の内積空間の位相的双対 がもとの空間の完備化と同一視できることが導かれる。リースの表現定理から直ちに導かれる結果としては他にも、ヒルベルト空間 H の回帰性 、即ち H からその二重双対空間への自然な写像が同型となることも挙げられる。
弱収束列
詳細は「
弱収束 (ヒルベルト空間) (英語版 ) 」を参照
ヒルベルト空間 H において、点列 {x n } がベクトル x ∈ H に弱収束 するとは、任意の v ∈ H に対し
lim
n
⟨
x
n
,
v
⟩
=
⟨
x
,
v
⟩
{\displaystyle \lim _{n}\langle x_{n},v\rangle =\langle x,v\rangle }
をみたすことをいう。
例えば、任意の正規直交列 {ƒn } は 0 に弱収束することが、ベッセルの不等式 から従う。任意の弱収束列 {x n } は一様有界性原理 (英語版 ) により有界である。
逆に、ヒルベルト空間における任意の有界列は弱収束する部分列を含む(アラオグルの定理 ) [49] 。この結果は、R d 上の連続関数に対してボルツァーノ・ヴァイエルシュトラスの定理 を用いるのと同じやり方で、連続凸関数 に対する最小値定理の証明に用いられる。これにはいくらか異なった述べ方があるが、以下のような形が簡便であろう[50]
ƒ: H → R が凸関数で、‖ x ‖ → ∞ のとき ƒ(x ) → +∞ を満たすとき、ƒ は H の適当な点 x 0 ∈ H で最小値を持つ。
この事実(とその種々の一般化)は変分法における直接法 の基礎を成している。有界閉凸関数に対する最小値の存在は、もう少し抽象的な、ヒルベルト空間 H 内の有界閉凸部分集合が H の回帰性により弱コンパクト になるという事実からも直接的に得られる。弱収束部分列の存在性は、エーベルライン・スムリアンの定理 (英語版 ) の特別の場合である。
バナッハ空間の性質
バナッハ空間 が一般に持つ性質はヒルベルト空間においても成立する。開写像定理 の主張は「バナッハ空間からバナッハ空間への連続 かつ全射 な線型写像は、開集合を開集合に写すという意味で開写像 である」ことをいい、その系としての有界逆写像定理 は「バナッハ空間からバナッハ空間への連続全単射 な線型写像は(逆写像も連続であるような連続線型写像の意味で)同型である」ことを主張する。ヒルベルト空間版のこの定理の証明は、一般のバナッハ空間でやるよりも随分と簡単になる[51] 。開写像定理は閉グラフ定理 と同値である。後者は「バナッハ空間からバナッハ空間への線型写像が連続となるための必要十分条件がそのグラフが閉集合 となることである」ことを主張するものである[52] 。ヒルベルト空間の場合には、これが非有界作用素 の研究において基本になる(閉作用素 参照)。
(幾何学的な)ハーン・バナッハの定理 は、閉凸集合をその外にある任意の点からヒルベルト空間の超平面 によって分割できることを示すものである。これは最適近似性 から直ちに得られる。即ち、y が閉凸集合 F の元で x に最近接するものとすると、線分 xy に垂直で、その中点を通る平面が求める分割超平面である[53] 。
有界作用素
ヒルベルト空間 H 1 から別のヒルベルト空間 H 2 への連続 線型作用素 A : H 1 → H 2 は有界集合 を有界集合へ写すという意味で「有界」である。逆に、有界な線型作用素は連続になる。二つの有界線型作用素の和および合成は、ふたたび有界かつ線型であり、このような有界線型作用素 全体の成す空間には、作用素ノルム と呼ばれるノルム
‖
A
‖
=
sup
{
‖
A
x
‖
:
‖
x
‖
≤
1
}
{\displaystyle \lVert A\rVert =\sup\{\,\lVert Ax\rVert :\lVert x\rVert \leq 1\}}
が定義される。また、H 2 の元 y に対して、x ∈ H 1 を ⟨ Ax , y ⟩ へ写す写像は線型かつ連続である。リースの表現定理によれば、有界線型作用素は必ず H 1 の適当なベクトル A ∗ y に対する
⟨
x
,
A
∗
y
⟩
=
⟨
A
x
,
y
⟩
{\displaystyle \langle x,A^{*}y\rangle =\langle Ax,y\rangle }
の形で表現可能である。この定義から、もう一つの有界線型作用素(A の随伴作用素 )A ∗ : H 2 → H 1 が定まる。このとき、A ∗∗ = A であることが確かめられる。
H 上の有界線型作用素全体の成す集合 B(H ) に、作用素の加法と合成および作用素ノルムと随伴作用素を考えたものは、作用素環 の一種である C ∗ -環 を成す。
B(H ) の元 A は A ∗ = A を満たすとき自己随伴作用素 もしくはエルミート作用素 と呼ばれる。エルミート作用素 A が ⟨ Ax , x ⟩ ≥ 0 を任意の x で満たすとき、A は非負 であるといい、A ≥ 0; で表す。さらに等号成立が x = 0 のときに限るならば A は正 であるという。また、
A − B ≥ 0 ならば A ≥ B
なるものと定義すれば、自己随伴作用素全体の成す集合に半順序 ≥ が導入できる。作用素 A が適当な B に対して A = B ∗ B なる形に書けるならば、A は非負であり、さらに B が可逆のとき A は正になる。また、非負作用素 A に対して
A
=
B
2
=
B
∗
B
{\displaystyle A=B^{2}=B^{*}B}
を満たす非負平方根 B が一意に定まるという意味で逆が成り立つ。これは、スペクトル論 によって精緻化することができ、自己随伴作用素を「実」作用素と看做すことが有効であると分かる。B(H ) の元 A が A ∗ A = A A ∗ を満たすとき、A は正規 であるという。正規作用素は、自己随伴作用素と自己随伴作用素の虚数倍の和
A
=
A
+
A
∗
2
+
i
(
A
−
A
∗
)
2
i
{\displaystyle A={\frac {A+A^{*}}{2}}+i{\frac {(A-A^{*})}{2i}}}
に分解され、各項は互いに可換になる。正規作用素をその実部と虚部とに分けて考えることも有用である。
B(H ) の元 U が可逆かつその逆作用素が U ∗ で与えられるとき、U はユニタリ であるという。この条件は「U が全射かつ H の各元 x , y に対して ⟨ Ux , Uy ⟩ = ⟨ x , y ⟩ を満たすこと」とも言い換えられる。H 上のユニタリ作用素の全体は、合成に関して H の等距変換群 と呼ばれる群 を成す。
B(H ) の元がコンパクト であるとは、それが有界集合を相対コンパクト 集合へ写すときに言う。同じことだが、有界作用素 T について、任意の有界列 {x k } に対して列 {Tx k } が収束部分列を持つとき T はコンパクトである。多くの積分作用素 はコンパクトであり、事実ヒルベルト=シュミット作用素 として知られるコンパクト作用素のクラスが積分方程式 論において特に重要な働きをする。フレドホルム作用素 は恒等変換の定数倍の分だけコンパクト作用素とは違うけれども、核 と余核 が有限であるような作用素としても特徴付けられる。フレドホルム作用素の指数 (index) は
index
T
=
dim
ker
T
−
dim
coker
T
.
{\displaystyle \operatorname {index} \,T=\dim \ker T-\dim \operatorname {coker} \,T.}
で定義される。この指数はホモトピー 不変量であり、アティヤ・シンガーの指数定理 を通じて微分幾何学 で深い役割を果たす。
非有界作用素
ヒルベルト空間においては非有界作用素 もある程度きれいに扱うことができ、量子力学 にも重要な応用を持つ[54] 。ヒルベルト空間 H 上の非有界作用素 T は、その定義域 D (T ) が H の線型部分空間であるような線型作用素であるものとして定義される。定義域が H の稠密な部分集合となることもよくあり、そのような作用素 T は密定義作用素 と呼ばれる。
密定義非有界作用素の随伴は、本質的に有界作用素の場合と同じ方法で定義される。自己随伴非有界作用素 は量子力学の数学的基礎において可観測量の役割を持つ。ヒルベルト空間 H = L 2 (R ) 上の自己随伴非有界作用素の例としては、
微分作用素の適当な拡張
(
A
f
)
(
x
)
=
i
d
d
x
f
(
x
)
,
{\displaystyle (Af)(x)=i{\frac {d}{dx}}f(x),}
ただし、i は虚数単位、f は台がコンパクトな可微分関数。
x による掛け算作用素
(
B
f
)
(
x
)
=
x
f
(
x
)
.
{\displaystyle (Bf)(x)=xf(x).}
などが挙げられる[55] 。これらはそれぞれ、運動量 と位置 の可観測量に対応する。この A も B も H の全域で定義されてはいないことに注意すべきである。A の場合は微分が存在しないものがあること、B の場合は x が掛けられた関数が自乗可積分とは限らないことがその理由である。何れの場合にも、引数にとり得る関数全体の成す集合は H の稠密な部分集合になる。
直和
二つのヒルベルト空間 H 1 および H 2 を足し併せて、(直交)直和 と呼ばれる別のヒルベルト空間 H 1 ⊕ H 2 を作ることができる[56] 。この空間は(x 1 , x 2 ) (x i ∈ H i , i = 1,2) なる順序対 の全体からなる集合を台に持ち、その上の内積を
⟨
(
x
1
,
x
2
)
,
(
y
1
,
y
2
)
⟩
H
1
⊕
H
2
:=
⟨
x
1
,
y
1
⟩
H
1
+
⟨
x
2
,
y
2
⟩
H
2
.
{\displaystyle \langle (x_{1},x_{2}),(y_{1},y_{2})\rangle _{H_{1}\oplus H_{2}}:=\langle x_{1},y_{1}\rangle _{H_{1}}+\langle x_{2},y_{2}\rangle _{H_{2}}.}
で定めたものになっている。より一般に、i ∈ I を添字とするヒルベルト空間の族 H i に対して、その(外部)直和
⨁
i
∈
I
H
i
{\displaystyle \textstyle \bigoplus _{i\in I}H_{i}}
が、H i のデカルト積 の元
x
=
(
x
i
∈
H
i
∣
i
∈
I
)
∈
∏
i
∈
I
H
i
{\displaystyle \textstyle x=(x_{i}\in H_{i}\mid i\in I)\in \prod _{i\in I}H_{i}}
で条件
∑
i
∈
I
‖
x
i
‖
2
<
∞
{\displaystyle \textstyle \sum _{i\in I}\|x_{i}\|^{2}<\infty }
を満たすもの全体から成る集合を台とし、内積を
⟨
x
,
y
⟩
=
∑
i
∈
I
⟨
x
i
,
y
i
⟩
H
i
{\displaystyle \langle x,y\rangle =\sum _{i\in I}\langle x_{i},y_{i}\rangle _{H_{i}}}
で定めることによって定義される。このとき、各空間 H i は直和空間の中へ閉部分空間として埋め込まれる。もっと言えば、埋め込まれた各 H i はどの二つも互いに直交する。逆に、一つのヒルベルト空間において閉部分空間の族 V i (i ∈ I ) で各空間がどの二つも互いに直交しているようなものが与えられているとき、それら全ての和集合が全体空間 H の中で稠密になるならば、H は本質的に V i たちの直和に同型である。この場合、H は V i たちの内部直和であると言われる。(内部でも外部でも)直和には、i -番目の直和因子 H i の上への直交射影 E i の族が伴う。これらの直交射影はどれも有界・自己随伴かつ冪等 な作用素であって、直交性条件
E
i
E
j
=
0
(
i
≠
j
)
{\displaystyle E_{i}E_{j}=0\quad (i\neq j)}
が成り立つ。
ヒルベルト空間 H 上の自己随伴コンパクト作用素 に対するスペクトル論 によれば、H は或る作用素の固有空間の直交直和に分解され、またその作用素はその固有空間への射影の直和として明示的に表される。ヒルベルト空間の直和は、(素粒子を変数にもつ系のフォック空間 など)量子力学においても用いられ、そこでは直和の各成分たるヒルベルト空間と量子力学系の余剰自由度とが対応する。表現論 におけるピーター・ワイルの定理 (英語版 ) によれば、ヒルベルト空間上で定義されるコンパクト群 のユニタリ表現 は必ず有限次元表現の直和に分解されることが保証される。
テンソル積
詳細は「
ヒルベルト空間のテンソル積 (英語版 ) 」を参照
二つのヒルベルト空間 H 1 , H 2 に対し、それらの(代数的な)テンソル積 の上に、次のように内積を定めることができる。まず(生成元である)単純テンソル (英語版 ) に対して
⟨
x
1
⊗
x
2
,
y
1
⊗
y
2
⟩
:=
⟨
x
1
,
y
1
⟩
⟨
x
2
,
y
2
⟩
{\displaystyle \langle x_{1}\otimes x_{2},\,y_{1}\otimes y_{2}\rangle :=\langle x_{1},y_{1}\rangle \,\langle x_{2},y_{2}\rangle }
と定め、これを半双線型 (Sesquilinearly) に
H
1
⊗
H
2
{\displaystyle H_{1}\otimes H_{2}}
全体で定義される内積に拡張する。H 1 と H 2 とのヒルベルトテンソル積
H
1
⊗
^
H
2
{\displaystyle H_{1}{\hat {{}\otimes {}}}H_{2}}
とは、いま定義した内積に付随する距離位相に関して H 1 ⊗ H 2 を完備化して得られるものをいう[57] 。
ヒルベルト空間 L 2 ([0, 1]) を使って例を考えよう。L 2 ([0, 1]) の二つのコピーのヒルベルトテンソル積は、正方形 [0, 1]2 上の自乗可積分関数の空間 L 2 ([0, 1]2 ) に等距かつ線型に同型である。この同型で単純テンソル f 1 ⊗ f 2 は
(
s
,
t
)
↦
f
1
(
s
)
f
2
(
t
)
{\displaystyle (s,t)\mapsto f_{1}(s)\,f_{2}(t)}
なる正方形上の関数に写される。
この例は以下のような意味で典型的である[58] 。即ち、各単純テンソル積 x 1 ⊗ x 2 には(連続的)双対 H 1 ∗ から H 2 への 1-階作用素
x
∗
∈
H
1
∗
→
x
∗
(
x
1
)
x
2
{\displaystyle x^{*}\in H_{1}^{*}\to x^{*}(x_{1})\,x_{2}}
が対応し、この単純テンソル上定義された写像を拡張して、H 1 ⊗ H 2 と H 1 ∗ から H 2 への有限階作用素全体の成す空間とを同一視する線型同型が得られる。これを拡張して、ヒルベルトテンソル積
H
1
⊗
^
H
2
{\displaystyle H_{1}{\hat {{}\otimes {}}}H_{2}}
は H 1 ∗ から H 2 へのヒルベルト=シュミット作用素 全体の成すヒルベルト空間 HS (H 1 ∗ , H 2 ) に等距線型同型になることがわかる。
線型代数学で言うような正規直交基底 の概念を、ヒルベルト空間に対するものへ一般化することができる[59] 。ヒルベルト空間 H における正規直交基底とは、H の元からなる族 {ek }k ∈ B で、条件
直交性 : B のどの相異なる二元についても、対応する H の元は互いに直交する(⟨e k , e j ⟩ = 0 for all k , j in B with k ≠ j )。
正規性 : 族 e k (k ∈ B ) の各元のノルムは 1 である(‖ e k ‖ = 1 for all k in B )。
完全性 : 族 e k (k ∈ B ) の張る部分空間 は H において稠密 である。
を満足するものを言う。
上記基底の条件の最初の二つを満たすようなベクトルの集合は正規直交系 と呼ばれる(B が可算 のときは、正規直交列とも呼ぶ)。正規直交系は常に一次独立系 である。ヒルベルト空間のベクトルの成す正規直交系については、その完全性条件を次のように言い換えることもできる。
全ての k ∈ B に対して ⟨v , e k ⟩ = 0 を満たす v ∈ H が存在するならば、必ず v = 0 である。
このことは「稠密な部分集合に対して直交するようなベクトルは零ベクトルに限る」という事実と関係がある。実際、S を任意の正規直交系とし、ベクトル v が S に直交するものとすると、v は S の張る部分空間の閉包とも直交するが、S が完全であるならばそのような閉包は全空間に他ならない。
正規直交基底の例としては、
集合 {(1,0,0), (0,1,0), (0,0,1)} はドット積に関して R 3 の正規直交基底になる。
指数関数列 {ƒ n : n ∈ Z } (ƒ n (x ) = exp(2πinx )) は L 2 ([0, 1]) の正規直交基底になる。
等を挙げることができる。
無限次元の場合には、正規直交基底は線型代数学 でいう意味での基底にはならない(これを区別する意味で後者をハメル基底 とも呼ぶ)。基底ベクトルの張る部分空間が全空間において稠密であるということから、空間の各ベクトルが基底ベクトルの無限線型和として書けることが従う。また直交性からはそのような和としての表示の一意性が従う。
数列空間の場合
自乗総和可能な複素数列の空間 ℓ2 とは、各項が複素数の無限数列
(
c
1
,
c
2
,
c
3
,
…
)
{\displaystyle (c_{1},c_{2},c_{3},\dots )}
で、条件
|
c
1
|
2
+
|
c
2
|
2
+
|
c
3
|
2
+
⋯
<
∞
{\displaystyle |c_{1}|^{2}+|c_{2}|^{2}+|c_{3}|^{2}+\cdots <\infty }
を満たすもの全体からなる集合(に、項ごとの和、スカラー倍、標準内積を入れたもの)である。この空間には標準的な正規直交基底
e
1
=
(
1
,
0
,
0
,
…
)
e
2
=
(
0
,
1
,
0
,
…
)
⋮
{\displaystyle {\begin{aligned}e_{1}&=(1,0,0,\dots )\\e_{2}&=(0,1,0,\dots )\\&\quad \vdots \end{aligned}}}
が存在する。より一般に、任意の集合 B に対して、B 上の自乗総和可能数列の成す空間 ℓ2 (B ) が
ℓ
2
(
B
)
=
{
x
:
B
→
C
|
∑
b
∈
B
|
x
(
b
)
|
2
<
∞
}
{\displaystyle \ell ^{2}(B)=\left\{x\colon B\to \mathbb {C} \ \left|\quad \sum _{b\in B}|x(b)|^{2}<\infty \right.\right\}}
で定義される。ただし B 上の総和というのを、ここでは
∑
b
∈
B
|
x
(
b
)
|
2
=
sup
∑
n
=
1
N
|
x
(
b
n
)
|
2
{\displaystyle \sum _{b\in B}|x(b)|^{2}=\sup \sum _{n=1}^{N}|x(b_{n})|^{2}}
で定める(上限 は B の有限部分空間すべてに亘って取る)。このようにすると、この和が有限であるところの ℓ2 (B ) の各元は、可算個の例外を除いた全ての項が 0 になることがわかる。ℓ2 (B ) の任意の元 x , y に対して、
⟨
x
,
y
⟩
=
∑
b
∈
B
x
(
b
)
y
(
b
)
¯
{\displaystyle \langle x,y\rangle =\sum _{b\in B}x(b){\overline {y(b)}}}
と内積を定めれば、この空間は実際にヒルベルト空間となる。右辺の和は、0 でない項が高々可算個しかないから意味を持ち、またコーシー・シュヴァルツの不等式によって無条件収束であることがわかる。
ℓ2 (B ) の正規直交基底の一つは、
e
b
(
b
′
)
=
{
1
if
b
=
b
′
0
otherwise.
{\displaystyle e_{b}(b')={\begin{cases}1&{\text{if }}b=b'\\0&{\text{otherwise.}}\end{cases}}}
で与えられる B で添字付けられた族によって与えられる。
ベッセルの不等式とパーセヴァルの公式
H の有限正規直交系 ƒ1 , … , ƒn と H の任意のベクトル x に対して
y
=
∑
j
=
1
n
⟨
x
,
f
j
⟩
f
j
{\displaystyle y=\sum _{j=1}^{n}\langle x,f_{j}\rangle f_{j}}
と置くと、各 k = 1, …, n に対して ⟨ x , ƒk ⟩ = ⟨ y , ƒk ⟩ が成り立つ。故に x − y は各ƒk に直交し、従って x − y は y に直交する。三平方の定理を二度使い
‖
x
‖
2
=
‖
x
−
y
‖
2
+
‖
y
‖
2
≥
‖
y
‖
2
=
∑
j
=
1
n
|
⟨
x
,
f
j
⟩
|
2
{\displaystyle \|x\|^{2}=\|x-y\|^{2}+\|y\|^{2}\geq \|y\|^{2}=\sum _{j=1}^{n}|\langle x,f_{j}\rangle |^{2}}
が得られる。さらに {ƒ i } (i ∈ I ) を H の任意の正規直交系とするとき、I の任意の有限部分集合 J に対して先ほどの不等式を適用すれば、(非負実数の任意濃度の族の和の定義に従って)ベッセルの不等式
∑
i
∈
I
|
⟨
x
,
f
i
⟩
|
2
≤
‖
x
‖
2
,
x
∈
H
{\displaystyle \sum _{i\in I}|\langle x,f_{i}\rangle |^{2}\leq \|x\|^{2},\quad x\in H}
が得られる[60] 。
幾何学的には、ベッセルの不等式が言っているのは、x の f i たちが生成する部分空間の上への直交射影のノルムは x のノルムを超えないということである。二次元の場合で言えば、これは正三角形の足の長さは斜辺の長さを越えないということになる。
ベッセルの不等式はからは、より強力なパーシヴァルの等式 が得られる。これはベッセルの不等式の不等号を等号に取り替えたものになっている。{e k }k ∈ B が H の正規直交基底ならば、H の各元 x は
x
=
∑
k
∈
B
⟨
x
,
e
k
⟩
e
k
{\displaystyle x=\sum _{k\in B}\langle x,e_{k}\rangle e_{k}}
という形に書くことができる。ベッセルの不等式によって B が非可算の場合にも、このような表示が意味を持ち 、可算個の例外を除く各項が 0 に等しいことが保証される。このような和を x のフーリエ展開 と呼び、個々の係数 ⟨ x ,e k ⟩ を x のフーリエ係数 と呼ぶ。このとき、パーセヴァルの等式は
‖
x
‖
2
=
∑
k
∈
B
|
⟨
x
,
e
k
⟩
|
2
{\displaystyle \|x\|^{2}=\sum _{k\in B}|\langle x,e_{k}\rangle |^{2}}
と書ける。逆に、正規直交系 {e k } が任意の x においてパーセヴァルの等式を満足するならば、{e k } は正規直交基底になる。
ヒルベルト次元
ツォルンの補題 の帰結として、「任意の」ヒルベルト空間が少なくとも一つの正規直交基底を持つことが分かる。さらに、一つの空間ではどの二つの正規直交基底も必ず同じ濃度 を持つことが示されるので、その濃度をしてその空間のヒルベルト次元と呼ぶ[61] 例えば、B 上の自乗総和可能数列の空間 ℓ2 (B ) は B で添字づけられる正規直交基底を持つから、そのヒルベルト次元は B の濃度(これは有限な整数かもしれないし、可算あるいは非可算の基数であるかもしれない)である。
パーセヴァルの等式の帰結として、{e k }k ∈ B が H の正規直交基底ならば、Φ(x ) := (⟨ x, e k ⟩ )k ∈B で定まる写像 Φ: H → ℓ2 (B ) はヒルベルト空間の等距同型、即ち、全単射な線型写像であって、H の各元 x , y に対して
⟨
Φ
(
x
)
,
Φ
(
y
)
⟩
ℓ
2
(
B
)
=
⟨
x
,
y
⟩
H
{\displaystyle \langle \Phi (x),\Phi (y)\rangle _{\ell ^{2}(B)}=\langle x,y\rangle _{H}}
を満たすことがわかる。B の濃度 は H のヒルベルト次元に等しい。従って、任意のヒルベルト空間は、適当な集合 B に対する数列空間 ℓ2 (B ) に等距同型である。
可分ヒルベルト空間
ヒルベルト空間が可分 であるための必要十分条件は、それが可算 な正規直交基底を持つことである。従って、任意の無限次元可分ヒルベルト空間は ℓ2 に等距同型になる。
かつてはヒルベルト空間の定義の中に可分であることを含めることが多かった[62] 。物理学に現れる殆どの空間は可分であったことや、どの無限次元可分ヒルベルト空間も全て互いに同型であったことから、任意の無限次元可分ヒルベルト空間に言及するときは「唯一の (the ) ヒルベルト空間」とかあるいは単に「ヒルベルト空間」と呼ぶこともしばしばであった[63] 。場の量子論 においてさえ、殆どのヒルベルト空間は事実可分であり、ワイトマンの公理系 として明記された。しかし、場の量子論において非可分なヒルベルト空間も重要であるというような反論が時には為された。これは大まかには理論における系が無限個の自由度 を持ちうることと(1 より大きい次元を持つ空間の)無限個のテンソル積はどれも非可分であることが理由である[64] 。例えばボソン場 は自然に、その因子が空間の各点において調和振動子で表現されるようなテンソル積の元と考えることができる。この観点からは、ボソンの空間は非可分であると見るのが自然である[64] が、しかし全テンソル積の小さな可分部分空間にしか(その上で可観測量が定義できる)物理的に意味のある場が含まれていない。もう一つの非可分ヒルベルト空間モデルは、空間の非有界領域に存在する無限個の素粒子の状態である。この空間の正規直交基底は素粒子の密度を表すある連続なパラメータによって添字付けられる。これは非可算となりうるから、基底は可算ではない[64] 。
S をヒルベルト空間 H の部分集合として、S に直交するベクトル全体の成す集合
S
⊥
=
{
x
∈
H
:
⟨
x
,
s
⟩
=
0
∀
s
∈
S
}
{\displaystyle S^{\perp }=\left\{x\in H:\langle x,s\rangle =0\ \forall s\in S\right\}}
を考える。S ⊥ は H の閉 部分空間である(これは内積の連続性と線型性用いて容易に示せる)から、それ自身ヒルベルト空間になる。V が H の閉部分空間のとき、V ⊥ は V の直交補空間 と呼ばれる。事実、H の各元 x は x = v + w (v ∈ V , w ∈ V ⊥ ) なる形に一意的に表すことができる。従って、H は V と V ⊥ との内部直和になっている。
この x を v へ写す線型作用素 PV : H → H を V の上への直交射影 と呼ぶ。H の閉部分空間全体の成す集合と有界自己随伴作用素 P で P 2 = P を満たすもの全体の成す集合との間に自然な 一対一対応が存在する。
定理 直交射影 PV は H のノルム ≤ 1 なる自己随伴作用素で条件 P2V = PV を満足する。さらに任意の自己随伴線型作用素 E で E 2 = E を満たすものは、E の値域を V として PV の形に表される。また H の各元 x に対して、PV (x ) は距離 ‖ x − v ‖ を最小にする V の唯一の元 v になる。
このことから、V の元による x の最適近似であるという PV (x ) の幾何学的解釈が得られる[65] 。
二つの射影 P U , P V が互いに直交するとは、P U P V = 0 が成り立つときにいう。これは U , V が H の部分空間として直交することと同値である。二つの射影 P U , P V の和が再び射影となるのは U と V とが互いに直交するときに限られる。このとき P U + P V = P U +V が成り立つ。合成 P U P V は一般には射影にならない。事実、合成が射影となる必要十分条件は二つの射影が可換となることであり、その場合 P U P V = P U ∩V が成り立つ。
直交射影 P V の終域をヒルベルト空間 V へ制限することにより、射影 π : H → V が生じる。これは包含写像 i : V → H に対して
⟨
i
x
,
y
⟩
H
=
⟨
x
,
π
y
⟩
V
(
x
∈
V
,
y
∈
H
)
{\displaystyle \langle ix,y\rangle _{H}=\langle x,\pi y\rangle _{V}\quad (x\in V,y\in H)}
を満たすという意味での随伴になっている。零でない閉部分空間の上への射影 P の作用素ノルムは
‖
P
‖
=
sup
x
∈
H
,
x
≠
0
‖
P
x
‖
‖
x
‖
=
1
{\displaystyle \|P\|=\sup _{x\in H, \atop x\neq 0}{\frac {\|Px\|}{\|x\|}}=1}
に等しい。従って、ヒルベルト空間の任意の閉部分空間 V は、ノルム 1 で P 2 = P を満たす適当な作用素 P の像になっている。この適当な射影作用素がとれるという性質はヒルベルト空間を特徴付ける性質である[66] 。即ち、
2 より大きな次元のバナッハ空間が(等距的に)ヒルベルト空間となるための必要十分条件は、任意の部分空間 V に対し、その像が V となるようなノルム 1 の作用素 P V で P 2V = P V を満たすものが存在することである。
この結果はヒルベルト空間の距離構造を特徴付けるものだが、位相線型空間 としてのヒルベルト空間の構造は補空間の存在の言葉で特徴付けられる[67] 。即ち、
バナッハ空間 X が何らかのヒルベルト空間に位相線型同型(同相かつ線型同型)であるための必要十分条件は、その任意の閉部分空間 V に対し、閉部分空間 W で X が内部直和 V ⊕ W に一致するようなものが存在することである。
直交補空間については、いくつかのより初等的な事実が成立する。「U ⊂ V ならば V ⊥ ⊆ U ⊥ で、等号成立は V が U の閉包 に含まれるとき、かつそのときに限る」という意味で、直交補空間をとる操作は単調写像 である。これはハーン・バナッハの定理 の特別の場合である。部分空間の閉包は直交補空間の言葉で完全に特徴付けることができる。即ち、V が H の部分空間ならば、V の閉包はV ⊥ ⊥ に一致する。従って、直交補空間をとる操作は、ヒルベルト空間の部分空間全体の成す半順序集合 上のガロワ対応 になっている。一般に、部分空間の合併の直交補空間は直交補空間の交わりに一致する[68] 。即ち
(
∑
i
V
i
)
⊥
=
⋂
i
V
i
⊥
{\displaystyle {\Big (}\sum _{i}V_{i}{\Big )}^{\perp }=\bigcap _{i}V_{i}^{\perp }}
が成り立つ。さらに V i が閉ならば
∑
i
V
i
⊥
¯
=
(
⋂
i
V
i
)
⊥
{\displaystyle {\overline {\sum _{i}V_{i}^{\perp }}}={\Big (}\bigcap _{i}V_{i}{\Big )}^{\perp }}
を得る。
ヒルベルト空間における自己随伴作用素のスペクトル論 も広く研究が成されている。これには、実係数の場合の対称行列 や複素係数の場合の自己随伴行列 の研究と大まかな類似がある[69] 。同様の意味で、自己随伴作用素を適当な直交射影作用素の和(実際には積分)として表す「対角化」もできる。
作用素 T のスペクトル σ(T ) とは、T − λ が連続な逆作用素を持たないような複素数 λ 全体の成す集合のことである。T が有界ならば、そのスペクトルは必ずガウス平面内のコンパクト集合 で、円板 { |z | ≤ ‖ T ‖ } の内側に入る。T が自己随伴ならばそのスペクトルは実であり、事実として区間 [m ,M ] に含まれる。ただし、
m
=
inf
‖
x
‖
=
1
⟨
T
x
,
x
⟩
,
M
=
sup
‖
x
‖
=
1
⟨
T
x
,
x
⟩
{\displaystyle m=\inf _{\|x\|=1}\langle Tx,x\rangle ,\quad M=\sup _{\|x\|=1}\langle Tx,x\rangle }
とする。さらに言えば m と M はともに実際にはスペクトルに含まれる。
作用素 T の固有空間は
H
λ
=
ker
(
T
−
λ
)
{\displaystyle H_{\lambda }=\ker(T-\lambda )}
で与えられる。有限次元の行列の場合と異なり、T のスペクトルの元は必ずしも固有値にはなるとは限らず、線型作用素 T − λ が逆を持たないときだけである(これは全射ではないから)。作用素のスペクトルの元は一般に「スペクトル値」と呼ばれる。スペクトル値は固有値とは限らないので、スペクトル分解は有限次元の場合よりは扱いが難しいことが多い。
しかし、自己随伴作用素 T のスペクトル論 は、さらにコンパクト作用素 であるという仮定を加えれば特に簡単な形にすることができる。自己随伴コンパクト作用素のスペクトル論の主張は[70]
自己随伴コンパクト作用素 T は高々可算個のスペクトル値しか持たない。T のスペクトルがガウス平面において集積点 を持つ可能性は 0 以外にはない。T の固有空間は H の直交直和
H
=
⨁
λ
∈
σ
(
T
)
H
λ
{\displaystyle H=\bigoplus _{\lambda \in \sigma (T)}H_{\lambda }}
に分解する。さらに固有空間 H λ の上への直交射影を E λ と書けば
T
=
∑
λ
∈
σ
(
T
)
λ
E
λ
{\displaystyle T=\sum _{\lambda \in \sigma (T)}\lambda E_{\lambda }}
と表せる。ただし和は B(H ) のノルムに関して収束する。
多くの積分作用素、特にヒルベルト=シュミット作用素 から生じるものはコンパクトであり、この定理は積分方程式 論において基本的な役割を果たす。
自己随伴作用素に対する一般のスペクトル論には、無限和というよりもある種の作用素値リーマン・スティルチェス積分 が関係してくる[71] 。T に伴う「スペクトル族」には、各実数 λ に対して作用素 (T − λ )+ の零空間の上への射影 E λ が対応している。ただし + は
A
+
=
1
2
(
A
2
+
A
)
{\displaystyle A^{+}={\frac {1}{2}}({\sqrt {A^{2}}}+A)}
で定義される自己随伴作用素の正部分を表す。作用素 E λ は自己随伴作用素の間に定義される半順序に関して単調増大である。固有値はちょうど跳躍不連続点に対応しており、
T
=
∫
R
λ
d
E
λ
{\displaystyle T=\int _{\mathbb {R} }\lambda \,dE_{\lambda }}
なるスペクトル論が得られる。右辺の積分はリーマン・スティルチェス積分として理解され、B(H ) のノルムに関して収束する。特に、通常のスカラー値積分表現
⟨
T
x
,
y
⟩
=
∫
R
λ
d
⟨
E
λ
x
,
y
⟩
{\displaystyle \langle Tx,y\rangle =\int _{\mathbb {R} }\lambda \,d\langle E_{\lambda }x,y\rangle }
が得られる。正規作用素に対してもある程度似たようなスペクトル分解が成立するが、この場合実数でない複素数がスペクトルに含まれるから、作用素値スティルチェス測度 dE λ は 1 の分解 で置き換えられなければならない。
スペクトル法の主な応用はスペクトル写像定理 (英語版 ) で、これにより、積分
f
(
T
)
=
∫
σ
(
T
)
f
(
λ
)
d
E
λ
{\displaystyle f(T)=\int _{\sigma (T)}f(\lambda )\,dE_{\lambda }}
を作って、自己随伴作用素 T に T のスペクトル上で定義される連続な複素関数を施すことができるようになる。このような連続汎函数計算 (英語版 ) は特に擬微分作用素 への応用を持つ[72] 。
「非有界」な自己随伴作用素のスペクトル論は、有界作用素に対するものと比べてさほど難しいわけではない。非有界作用素のスペクトルは有界作用素に対するのと全く同じやり方で定義される。つまり、λ がスペクトル値となるのはレゾルベント作用素
R
λ
=
(
T
−
λ
)
−
1
{\displaystyle R_{\lambda }=(T-\lambda )^{-1}}
が連続作用素として定義されないときである。T の随伴性から、やはりスペクトルが実であることが保証される。従って、非有界作用素に特有な議論の本質の部分は、λ が実でないようなレゾルベント R λ を見るところにある。このレゾルベントは有界 正規作用素で、これをスペクトル表現したものを使って T 自身のスペクトル表現が得られる。同様の方法論で、例えばラプラス作用素のスペクトルも調べられる。作用素を直接扱うよりも、それに付随するリースポテンシャル やベッセルポテンシャル (英語版 ) のようなレゾルベントを見るのである。
非有界自己随伴作用素の場合に成立するスペクトル定理は以下のようなものである[73] 。
ヒルベルト空間 H 上稠密に定義された自己随伴作用素 T が与えられたとき、R のボレル集合族上で定義された 1 の分解 E が一意に対応して
⟨
T
x
,
y
⟩
=
∫
R
λ
d
E
x
,
y
(
λ
)
(
x
∈
D
(
T
)
,
y
∈
H
)
{\displaystyle \langle Tx,y\rangle =\int _{\mathbb {R} }\lambda \,dE_{x,y}(\lambda )\quad (x\in D(T),y\in H)}
を満たす。スペクトル測度 E は T のスペクトル上に集中する。
非有界正規作用素に対するスペクトル定理も存在する。
フレドホルム核の固有値は 1/λ でこれは 0 に近づく。
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