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パリの地下鉄システム ウィキペディアから
パリのメトロ(Métro de Paris)はパリ市内、および一部郊外へ路線を有する地下鉄である。既存の鉄道路線との乗り入れはない。パリ中心部から郊外に直通するRERについても、市内では地下路線であり、メトロと重複する路線もあるのでパリ市内においては地下鉄と扱われることもある。本稿では以下、メトロと記す。
パリのメトロには、1号線から14号線まである。RATP(パリ交通営公団: Régie Autonome des Transports Parisiens)が運営している。アンパン男爵の会社が敷設した。
1号線が最初に開通したのは1900年で、パリ万博にあわせて開通した。入り口のデザインはアールヌーヴォー建築で有名なギマールが設計した。パリ市内の中心部を西から東へ横断する1号線と、1860年のオスマン男爵によるパリ拡張以前のパリの境界線であった旧城壁(フェルミエー・ジェネローの城壁)跡の大通り(Grand Boulevard)に建設された北回りの2号線と南回りの6号線、この3つが主要路線である。
以後およそ30年で網の目のように発展し、14路線が作られたが、この時作られた旧14号線は後に13号線に編入され、以後長期間13路線が存在した。これらの各駅はすべて戦前に作られたが(郊外に延伸した部分の駅を除く)、駅構内自体は改装を繰り返しており、アールヌーヴォーのほかアールデコなど各時代を代表する建築デザインや、ある特定のテーマのデザインを取り入れた駅があちこちに存在する。
3号線と7号線にはそれぞれ3bis号線、7bis号線と呼ばれる独立的な支線が存在する。これらはメトロの路線図でも色が分けて書かれているとおり、支線の中の折り返し運行である。また7号線と13号線は分岐しており、10号線と7bis号線は一方通行区間が存在する。3bis号線の生まれた経緯は、もともと Porte des Lilas(ポルト・デ・リラ)までの路線だったものが、戦後になって Porte de Bagnolet(ポルト・ドゥ・バニョレー)および Gallieni(ガリエニ)の方が重要な街となったため、Gallieni方面へ延伸しながら路線の行き先を変更し、今までの路線は切り離して分離運行することになったためである。7bis号線は、7号線のPorte de la Villette方面とともに北方面の分岐だったがPorte de la Villette方面との輸送量の差が大きく運行の効率が悪かったため、Pré Saint-Gervais方面を切り放して独立路線にした経緯がある。この3bisと7bisを繋げ一つの路線に統合する計画は1921年に頓挫したが、2006年に復活して推進されている(詳細は本稿の廃駅項目を参照)。
1998年に現在の14号線が開通した。この14号線はメテオール(METro Est-Ouest Rapide、東西高速地下鉄。「流星」の意味もある)と呼ばれ、自動制御で無人運転されており、ホームドアがつくなど駅舎も大変モダンなデザインである。2003年秋に北西方面が サン・ラザール駅まで延伸した。現在南方面が Tolbiac(トルビアック)、さらに Maison Blanche(メゾン・ブランシュ)方面へ延伸するため工事中である。
メトロに地下鉄の訳語が当てられているように、大部分が地下を走るが、本来は都市交通の意味であり、地下鉄に限定するものではない。6号線の多くの部分や2号線の一部、また橋を渡る際の5号線や、郊外の橋を渡る1号線や8号線などは、地上に出る部分もある。中でも6号線の高架の部分は観光ルートでもあり、Bir-Hakeim(ビル-アケム)付近ではエッフェル塔が絶好のポジションで眺められるので、その車窓は観光客に人気が高い。
フランス国鉄は全国的に左側通行だが、メトロは道路と同じ右側通行である。
パリにはメトロのほかに、郊外へと伸びる高速地下鉄RER(エール・ウ・エール Réseau express régional)が存在する。路線は2013年現在、AからEまでの5路線がある。A線のA3支線・A5支線以外の部分とB線の Chatelet-Les Halles(シャトレ-レ・アール)以南は RATP が運営し、A3支線・A5支線とB線の パリ北駅以北およびC線, D線, E線は SNCF(フランス国鉄)が運営している。
RERは高速運転されており、駅間も長く、パリ市内を長距離移動するのに適している。パリ市内ではメトロと共通運賃で、同じ切符で自由に乗降できるが、RERは郊外路線へ直結しており、これら郊外へ行くにはあらかじめ有効な切符を乗車前に買わないといけない。メトロとは異なり、改札が出口にもあるため、正しい切符を持っていないと外に出ることはできない。乗越精算制度は一切ないため、乗り過ごすと無賃乗車扱いとなって罰金が課される。いっぽう、メトロの一部の路線も郊外のゾーン3まで通じているが(たとえば1号線のラ・デファンス駅など)、運賃の取り扱い上はメトロはすべてゾーン2の内部にあるとみなされる。
メトロとは別に、パリ市内および郊外を結ぶ交通機関としてトラムがある。
現在1号線(北部郊外)、2号線(南西部郊外)、3号線(パリ市内最南部)、4号線(パリ郊外オルネー=スー=ボワ市)が運行している。3号線は2006年12月、4号線は同11月に開通した。
料金体系はバスに準じており、メトロと共通の切符(または10枚売りカルネ)が使えるが、切符は一回の乗降ごとに無効となり、メトロから1枚の切符で乗り継ぐことは出来ない。カルト・オランジュや NAVI GO などの定期券類があれば制限無く乗ることが可能だが、2号線と4号線はそれぞれゾーン3と5に相当するので、それら定期券の有効ゾーンには注意が必要である。
2013年現在、以下の16路線(支線2路線を含む)が存在する。
路線名 | 区間 | 開業年 | キロ程 | 駅数 | |
---|---|---|---|---|---|
1号線 | ラ・デファンス=グランダルシュ駅 〜 シャトー・ド・ヴァンセンヌ駅 | 1900年 | 16.6km | 25 | |
2号線 | ポルト・ドーフィヌ駅 〜 ナシオン駅 | 1900年 | 12.3km | 25 | |
3号線 | ポン・ド・ルヴァロワ=ベコン駅 〜 ガリエニ駅 | 1904年 | 11.7km | 25 | |
3bis線 | ガンベタ駅 〜 ポルト・デ・リラ駅 | 1971年 | 1.3km | 4 | |
4号線 | ポルト・ド・クリニャンクール駅 〜 メリー・ド・モンルージュ駅 | 1908年 | 12.1km | 27 | |
5号線 | ボビニー=パブロ・ピカソ駅 〜 プラス・ディタリー駅 | 1906年 | 14.6km | 22 | |
6号線 | シャルル・ド・ゴール=エトワール駅 〜 ナシオン駅 | 1909年 | 13.6km | 28 | |
7号線 | ラ・クールヌーヴ-ユイ・メ・ミルヌフサンキャラントサンク駅 〜 ヴィルジェイフ-ルイ・アラゴン駅 / メリー・ディヴリー駅 | 1910年 | 22.4km | 38 | |
7bis線 | ルイ・ブラン駅 〜 プレ・サン=ジェルヴェ駅 | 1967年 | 3.1km | 8 | |
8号線 | バラール駅 〜 ポワント・デュ・ラック駅 | 1913年 | 23.3km | 38 | |
9号線 | ポン・ド・セーヴル駅 〜 メリー・ド・モントルイユ駅 | 1922年 | 19.6km | 37 | |
10号線 | ブローニュ=ポン・ド・サン=クル駅 〜 オステルリッツ駅 | 1923年 | 11.7km | 23 | |
11号線 | シャトレ駅 〜 メリー・デ・リラ駅 | 1935年 | 6.3km | 13 | |
12号線 | フロン・ポピュレール駅 〜 メリー・ディシー駅 | 1910年 | 15.3km | 29 | |
13号線 | アニエール=ジュヌヴィリエ=レ・クルティーユ駅 / サン=ドニ=ユニヴェルシテ駅 〜 シャティヨン=モンルージュ駅 | 1911年 | 22.5km | 30 | |
14号線 | サン・ラザール駅 〜 オランピアード駅 | 1998年 | 9.0km | 9 |
2019年3月現在、メトロは全線1.90ユーロ(約230円)均一(この価額の切符は ticket T+ と称される)。
RERやパリの市内バスはついて、パリ市内に相当するゾーン1内では上記のメトロと共通運賃となる。
メトロとRERのパリ市内、またはバスとトラムは均一運賃で乗換可能。※メトロやRERとバス等は乗換不可。
RERのパリ市外の区間(シャルル・ド・ゴール空港、ヴェルサイユなど)は距離に応じて運賃が設定されている。 前述のように、購入した切符の区間を乗り越した場合には、差額を事後に払う日本の精算のような制度がなく、罰金を課せられるので注意が必要。
メトロの一部路線はパリ市外のゾーン3地区へ伸びているが、メトロは全線ゾーン1として扱うため、隣接するRERの駅と運賃が違うことがある(パリ市内~ラ・デファンス区間等)。
なお、車の排ガスで大気汚染がひどい場合はメトロとバスを無料開放することがある[1]。
「MPxx」系で特徴的なのは、軌道面に一般的な鉄道にみられる2本の金属レールがありながらそれに並んで外側にゴムタイヤ用の専用走路と案内軌条が敷設され、車体の台車には、金属車輪の同軸外側にゴムタイヤの車輪と、四隅にも小径のゴムタイヤ案内輪が備わっている点である。またゴムタイヤには空気ではなく、温度による体積変化の少ない窒素ガスが封入されている。
一般的な鉄道と異なり、台車内側の金属車輪と軌道の金属レールは、列車の進路を誘導させる案内軌条の役割を主として持っている。
そして金属車輪の外側同軸にあるゴムタイヤ車輪が、走行のための駆動・停止と主な車体加重を受け止める役割を担っている(このゴムタイヤ車輪は、金属車輪の案内軌条レール外側に並んで水平に設置された、主輪のゴムタイヤのための金属製専用走路部分に接地している)。またこの車体台車の四隅にも水平に回転するよう取り付けられた小径のゴムタイヤ車輪があり、軌道両側の最外縁に垂直に設置された両サイドの案内軌条に接して車体の走行に伴い回転していることで、補助の案内装置として働いている。
金属車輪とゴムタイヤの併用により騒音と制動距離の低減と、乗り心地や勾配能力と発進加速性能の向上が見込まれ、主輪のゴムタイヤがパンクした場合でもある程度の走行が可能で、また構造上非常に脱線しにくい。なおこの地下鉄システムは、フランスから技術供与されたメキシコシティ地下鉄でも見る事が出来る。日本では岐阜ゴルフカントリー谷汲のカートがこの方式を採用している[3]。
メトロは最初2つの会社によって運営されていた。現在の1、2、6号線を核として運営していたCMP(Compagnie du chemin de fer métropolitain de Paris、パリ都市鉄道会社・現在の RATP の前身)とは別に、南北を結ぶ二つの路線、現在の13号線の北半分と12号線を営業する Socièté du chemin de fer électrique souterrain Nord-Sud de Paris(パリ北南地下電気鉄道会社=以下、北南線)という会社があった。北南線時代は12、13号線はそれぞれA、Bと呼ばれていた。これらの駅構内はCMPの駅と似てはいるものの、異なるデザインが採用された。北南線の名残は今でも12、13号線の駅構内の広告枠のタイルの一部にそのロゴが残っている。また駅の入り口のデザインでも見分けることが出来る。
北南線の2つの路線は架線(架空電車線)を用いていたが、後に CMP と同じく第三軌条に改修された。また、旧14号線も南北線が工事を始めた路線でCと呼ばれた(CMPに合並されてから開通された)。
第一次世界大戦では、営業削減のほか、敵対するドイツを連想させる一部の駅名が変更になった。すなわちベルリンBerlinはリエージュLiègeに、リュ=ダルマーニュ Rue d'Allemagne(ドイツ通り)はジョレスJaurès(フランスの政治家の名)になった。しかし営業を停止した駅はなかった。
第二次世界大戦では大幅に営業の削減が行われた。営業削減はフランスがドイツの宣戦布告を受ける1939年9月4日の2日前、9月2日より開始された。この時いくつかの駅が営業を停止したが、そのうち Saint Martin, Arsenale, Croix Rouge, Champ de Mars の4駅は、現在に至るまで廃駅となっている。
パリがナチス・ドイツに占領されてからは、11号線が営業を停止し、その駅構内は軍需工場として使われた。
メトロは1等車が存在したが、1991年に廃止された。それに伴い車掌も廃止となった。1等車への乗車を管理する駅員用の小屋がホーム内にあったが、これも廃止となり、現在は撤去されているかあるいは電気系統の設備として使われている。一部の駅ではこの小屋跡をショーディスプレイとして用いている。
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