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ダニエル・キイスによるSF小説 ウィキペディアから
『アルジャーノンに花束を』(アルジャーノンにはなたばを、Flowers for Algernon)は、アメリカ合衆国の作家ダニエル・キイスによるSF小説。1959年に中編小説[注釈 1]として発表され、翌年ヒューゴー賞短編小説部門を受賞[1]。1966年に長編小説として改作されて発表され、翌年ネビュラ賞を受賞した[2][3]。
それまでのSF小説が宇宙や未来社会などを舞台とした作品であったのに対して、本作は知能指数を高める手術とそれに付随する事柄という限定した範囲を前提にSFとして成立させている[4]。ジュディス・メリルは、本作をSFの多様性をあらわす作品のひとつとして位置づけている[4]。
中編版は、日本のSFファンがオールタイム・ベストを選ぶ企画で海外短編SFランキングの上位に選出されている。S-Fマガジンが調査したSF小説のオールタイム・ベストにおける海外短編部門での順位は次の通りである。
短編『エルモにおまかせ』を発表後、次作のアイディアを考えていたダニエル・キイスは、自身がブルックリンカレッジ在学中に書きなぐっていたメモを見つけ、そこから創作の構想を膨らませていった[9][10]。
その学生時代のメモには、「ぼくの教養は、ぼくとぼくの愛するひとたち――ぼくの両親――のあいだに楔を打ちこむ」「もし人間の知能を人工的に高めることができたら、いったいどういうことになるか」と書き留められていた[9][10]。
小説を書き上げると、まず友人フィル・クラス(SF作家・ウィリアム・テン)に見せ、「これはまちがいなく古典になる」と言われた。その言葉に自信を得て、『ギャラクシイ』誌に持っていったが手直しを迫られ、暗い結末をハッピーエンドに書き変えれば掲載すると言われてしまう。友人フィルは、結末は変えるなとキイスに強く忠言した。そのままの作品を『ファンタジイ・アンド・サイエンス・フィクション』が受け入れ、1959年4月号に掲載された[3]。
ドラマ化や映画化の話が持ち上がり成功をおさめたものの、キイスの頭には作品の主人公チャーリーがたえず顔を出し、もっと書いてと訴えていた。キイスは「彼の心と過去を深く探っていくうちに、彼の感情の発達を形成していくさまざまな経験を理解する必要がある」と長編を書く必要性を感じた[3]。
この長編もまたハッピーエンドを求める編集者に拒絶され、別の出版社からも拒絶された。しかし、その後に、ハーコート・ブレイス&ワールド社からのオファーを得て、1966年、刊行された[3]。
主人公・チャーリイ・ゴードン自身の視点による一人称で書かれており、主に「経過報告」として綴られる。序盤は幼児が書いたように誤綴りだらけで文法的にも破綻が多く、ごく簡単な言葉や単純な視点でのみ、彼の周囲の事柄が描かれている。やがて主人公の知能の上昇に伴い、文章のスタイルは高度で複雑なものへと変わっていき、思考の対象もより抽象的で複雑な内面の描写へと変化していく。
(長編版に準ずる)
知的障害を持つ青年チャーリイは、かしこくなって、周りの友達と同じになりたいと願っていた。他人を疑うことを知らず、周囲に笑顔をふりまき、誰にでも親切であろうとする、大きな体に小さな子供の心を持った優しい性格の青年だった。
彼は叔父の知り合いが営むパン屋で働くかたわら、知的障害者専門の学習クラスに通っていた。ある日、クラスの担任である大学教授・アリスから、開発されたばかりの脳手術を受けるよう勧められる。先に動物実験で対象となったハツカネズミの「アルジャーノン」は、驚くべき記憶・思考力を発揮し、チャーリイと難関の迷路実験で対決し、彼に勝ってしまう。彼は手術を受けることを快諾し、この手術の人間に対する臨床試験の被験者第1号に選ばれたのだった。
手術は成功し、チャーリイのIQは68から徐々に上昇し、数か月でIQ185の知能を持つ天才となった。チャーリイは大学で学生に混じって勉強することを許され、知識を得る喜び・難しい問題を考える楽しみを満たしていく。だが、頭が良くなるにつれ、これまで友達だと信じていた仕事仲間にだまされいじめられていたこと、自分の知能の低さが理由で母親に捨てられたことなど、知りたくもない事実を理解するようになる。
また、高い知能に反してチャーリイの感情は幼いままだった。突然に急成長を果たした天才的な知能とのバランスが取れず、妥協を知らないまま正義感を振り回し、自尊心が高まり、知らず知らず他人を見下すようになっていく。周囲の人間が離れていく中で、チャーリイは手術前には抱いたことも無い孤独感を抱くのだった。さらに、忘れていた記憶の未整理な奔流もチャーリイを苦悩の日々へと追い込んでいく。
そんなある日、自分より先に脳手術を受け、彼が世話をしていたアルジャーノンに異変が起こる。チャーリイは自分でアルジャーノンの異変について調査を始め、手術は一時的に知能を発達させるものの、性格の発達がそれに追いつかず社会性が損なわれること、そしてピークに達した知能は、やがて失われ元よりも下降してしまうという欠陥を突き止める。彼は失われ行く知能の中で、退行を引き止める手段を模索するが、知能の退行を止めることはできず、チャーリイは元の知能の知的障害者に戻ってしまう。自身のゆく末と、知的障害者の立場を知ってしまったチャーリイは、自らの意思で障害者収容施設へと向かう。
彼は経過報告日誌の最後に、正気を失ったまま寿命が尽きてしまったアルジャーノンの死を悼み、これを読むであろう大学教授に向けたメッセージ(「ついしん」)として、「どーかついでがあったらうらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやてください。」と締め括る。
長編版に準ずる。フェイ・リルマンやチャーリイの家族など、一部人物は長編版のみの登場となる。
作者であるダニエル・キイスにとっても『アルジャーノンに花束を』は印象深いものであったようで、自伝『アルジャーノン、チャーリイ、そして私』を書いている[9]。
キイスは作家として1952年に最初の作品を発表したが注目されてこず、『アルジャーノンに花束を』が彼を「一躍スターダムに押しあげた」。彼は10代の頃から学資を稼ぐため、パン職人の見習い、パンの配送、軽食堂のウェイターなどをしたが、その時の経験も主人公チャーリイに注ぎ込まれており、キイスは、「チャーリイ・ゴードンはわたしです」と述べている[9][10]。
アイザック・アシモフはヒューゴー賞をキイスに手渡したときの逸話として、以下のようなキイスの「不滅の名言」を回想している[11]。
私(アシモフ)は「いったいどうやって、彼(キイス)はこんなことをやり遂げたのですか?」とミューズ(知の女神)に問うた。…キイスは丸っこい、穏やかな表情で、こんな不滅の名言を返してきたのである。「ねえ、わたしがどうやってこの作品を創ったか、おわかりになったら、このわたしにぜひ教えてください。もう一度やってみたいから」[11][10]。
キイスは中編発表後も、主人公チャーリイのことが頭から離れず、チャーリイが「もっと書いて」と訴えかけていたと語っている[9]。
日本では早川書房が翻訳権を独占している。ハヤカワ文庫版の発売まで10年以上の期間があった。
中編小説版は稲葉由紀(稲葉明雄)訳で『S-Fマガジン』1961年2月号に掲載された(1960年12月25日発売)。『世界SF全集』32巻(1969年出版)および『心の鏡 ダニエル・キイス傑作集』(1993年出版)に収録された。
長編小説版は1978年に小尾芙佐訳で出版され、1989年に改訂された。中編版、長編版、いずれの訳でも、はじめはめちゃくちゃだった英語の綴り・句読法や文法がチャーリイの知能の向上につれて徐々に正しくなっていく(後半では再びでたらめになってゆく)原文の表現を、日本語の漢字・句読点やテニヲハに移し変えた名訳と言われている[注釈 2]。
1999年10月、早川書房から新創刊された『ダニエル・キイス文庫』の第1作目として、長編版が初めて文庫化された。
2015年3月13日に文庫新装版が出版された[12]。ダニエル・キイス文庫版は絶版となり、ハヤカワ文庫NVのラインナップに加えられた。表紙には佐々木啓成のイラストが使われている。また新装版の発売に際し特設サイト[13]がオープンし、早川書房では期間限定で「カフェ・アルジャーノンに花束を」にてダニエル・キイスの名作をテーマとしたカフェを営業した[14]。
2015年4月8日に早川書房から愛蔵版が出版された。装丁には絵本作家の酒井駒子のイラストが使われている[15]。
長編中の知的障害者の扱い(用語)に関しては、時代を反映して、それぞれ翻訳された語が変えられている。
"Charly"(邦題『まごころを君に』)、アメリカ、1968年
"Flowers for Algernon"、カナダ、2000年 ※テレビ映画
"Des Fleurs Pour Algernon"、フランス、2006年 ※テレビ映画
物語の舞台はスイスのジュネーヴで、主人公の名前がフランス語圏風にシャルルと改変されている。原作本をベースにしながらも、パン屋ではなく学校の清掃員、手術ではなくて開発中の新薬の注射、後見人ペルノの存在、などの、多くの改変があり、ピアノ教師のアリス・フェルネとの恋愛なども追加されている。物語の後半で、激高したシャルルはネズミのアルジャーノンを強引に研究室から持ち出し、自宅で殺してしまう。
"Des fleurs pour Algernon"、フランス、2014年 ※テレビ映画、日本ではTV5MONDEにて放映[17]
小説版をもとにしたテレビドラマが関西テレビとMMJで製作され、2002年10月8日から12月17日までフジテレビ系の「火曜22時枠」で放送された。全11回。最高視聴率14.5%(初回)、平均視聴率11.1%。主人公チャーリイ・ゴードンは藤島ハルと名前を変え、舞台も日本に変更され、「知的障害者への差別によるいじめが強く描写されている」「主人公が恋する先生にも恋人がいる」など、一部変更されている。また結末も原作より大きく変更されている。脚本の岡田惠和、音楽の寺嶋民哉など、スタッフ、キャストにドラマ『イグアナの娘』のメンバーが集結している。
小説版をもとにしたテレビドラマが2015年4月10日から6月12日まで毎週金曜日22時 - 22時54分に、TBS系の「金曜ドラマ」枠で放送された[注釈 3]。主演は山下智久[18]、脚本監修は野島伸司[19][20]。舞台は日本となっており、チャーリイに当たる人物の白鳥咲人の勤め先が花屋になるなど、一部変更が加えられている。
2015年度「第19回日刊スポーツ・ドラマグランプリ(GP)」の春ドラマ選考で4冠を達成した。作品賞のほか主演男優で山下智久、助演男優で窪田正孝、助演女優で栗山千明が1位だった[21]。
1995年8月7日から11日まで、NHKFM青春アドベンチャー枠で「ダミーヘッド・ドラマ・スペシャル」としてラジオドラマ化され放送された(全5回)[22]。奇抜な演出も大きな改変もなく、原作小説の内容がほぼ忠実に再現された。
なお、1977年1月7日にNHKラジオ第1放送「文芸劇場」枠で、中編版を原作とする1話完結でラジオドラマ化されたこともある。(再放送:1989年6月18日「ラジオ名作劇場」、NHKラジオ第2放送)
様々な形で舞台化されている。
6月9日から7月1日まで現代演劇協会附属劇団昴公演。脚色は菊池准、演出は三輪えり花で「三百人劇場」にて上演[24]。
4月15日から19日まであうるすぽっとにて(劇団昴が、脚色・演出は菊池准で)上演予定、また演劇鑑賞会会員対象の地方巡演も予定されていたが新型コロナウイルス感染拡大を受けて延期された[25]。演劇鑑賞会会員対象で9月15日から10月28日にかけて九州巡演、同じく11月4日から27日にかけて東北巡演が行われ、(会員対象ではない公演が)12月17日から20日まで東京芸術劇場シアターウエストにて上演[26]。
演劇鑑賞会会員対象の中国巡演が5月13日から6月6日にかけて、同じく四国巡演が9月5日から13日にかけて(2020年公演から引き続き、劇団昴が、脚色・演出は菊池准で)上演[27]。
2月22日から3月10日まで博品館劇場、静岡市民文化会館、大阪厚生年金会館、愛知厚生年金会館にて上演。脚本・演出は荻田浩一。音楽は斉藤恒芳。
9月18日から28日まで、天王洲 銀河劇場、サンケイホールブリーゼほかにて上演。2006年版と同じく浦井健治が出演。キャッチコピーにも「8年の時を経て」とあるように、2006年版の再演となる。
2017年3月に天王洲 銀河劇場と兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで上演。主演は矢田悠祐[28]。
10月15日から11月1日まで、博品館劇場で上演[29]。同年に予定されていたが中止になった#菊池版の振替公演ではない。
4月27日から5月7日まで日本青年館ホール、5月13日から14日までCOOL JAPAN PARK OSAKA WWホールで上演[30]。
演劇集団キャラメルボックスにより、7月21日から8月12日までサンシャイン劇場、8月16日から24日まで新神戸オリエンタル劇場にて上演。チャーリイ・ゴードンとアリス・キニアンがダブルキャストになっており、もう一方の上演時は別の役として出演する。また、CMやダンスシーンでandropのWorld.Words.Lights.が使用された。
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