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アメノオシヒ(アマノオシヒ)は、記紀等に伝わる日本神話の神。
アメノオシヒの系譜について、『古事記』・『日本書紀』に記載はない。
『古語拾遺』や『先代旧事本紀』「神代本紀」では、高皇産霊尊の子とする。なお「神代本紀」では、別名に「神狭日命」の名称を挙げる。
また『新撰姓氏録』では、高皇産霊尊の五世孫または六世孫とする(後述)。大伴連の系図では、高皇産霊尊の四世孫・天石門別安国玉主命が父としている。
『古事記』の天孫降臨(ニニギの降臨)の場面では、天忍日命・天津久米命(久米直の祖)の2人が、背に強固な靫を負い、腰に頭椎の大刀を佩き、手に天のはじ弓を持ち、 天の真鹿児矢をたばさんで、天孫の先導をしたとする[1]。
『日本書紀』神代下第九段 一書第四の天孫降臨の場面では、天忍日命は天槵津大来目(来目部遠祖)を率いて、天磐靫を背負い、稜威の高鞆を腕に着け、天梔弓・天羽々矢を手に取り、八目鳴鏑を添え持ち、また頭槌剣を帯びて、天孫の先払いをしたとする[2]。
アメノオシヒについて、『古事記』・『日本書紀』とも大伴連(大伴氏)の祖とする。
また『先代旧事本紀』「神代本紀」・「天神本紀」においても大伴連の祖とし、『古語拾遺』では大伴宿禰の祖とする。
『新撰姓氏録』では、次の氏族が後裔として記載されている。
大伴氏のカバネは初め「連」であったが、天武天皇13年(684年)の八色の姓制定時に「宿禰」を賜っており[3]、カバネの記載が異なるのはこのことによる。
「オシヒ」の名称については、「大し(おし)霊(ひ)」の意とする説や[1]、「オホシヒ」と見て勇壮な意とする説が挙げられている[4]。
大伴氏は歴史的に天皇・宮門の警護や地方平定などに携わった氏族であり、天忍日命の上記説話のほか道臣命や大伴武日・大伴室屋らの説話は、そうした大伴氏の職掌の起源を説明するのが目的とされる[3]。
また『古事記』の伝承では天忍日命・天津久米命が同格で先導を行うが、『日本書紀』・『古語拾遺』の伝承では同格でなく大来目を従えるという異同が存在する[2][5]。これについて、大伴氏が来目部(久米部)を従えるようになったのち、それが神話に反映されたとする説がある[2][5]。
現在、アメノオシヒは次の神社などで祭神に祀られている。
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