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『日本書紀』などに伝わる古墳時代の人物 ウィキペディアから
大伴武日(おおとものたけひ[1]、生没年不詳)は、『日本書紀』などに伝わる古墳時代の人物。姓は連。孝霊朝・開化朝の官人である豊日命の子。
『日本書紀』では「大伴武日連(おおとものたけひのむらじ)」、他文献では大伴健日連、健日命とも表記される。『古事記』に記載はない。
大伴連(大伴氏)の遠祖である。垂仁天皇朝では五大夫の1人に数えられるほか、景行天皇朝における日本武尊東征の従者の一人である。
『日本書紀』垂仁天皇25年2月8日条では、武渟川別(阿倍臣祖)・彦国葺(和珥臣祖)・大鹿島(中臣連祖)・十千根(物部連祖)らと共に「大夫(まえつきみ)」の1人に数えられており、天皇から神祇祭祀のことを命じられている[1]。
また同書景行天皇40年7月16日条によれば、日本武尊の東征に際して、吉備武彦と共に従者に任じられている[1]。東征では、甲斐の酒折宮(山梨県甲府市酒折に比定)において日本武尊から靭部(ゆげいのとものお)を賜ったという[1]。
『日本三代実録』貞観3年(861年)11月11日条では、伴善男の奏言のうちで、大伴健日連は景行天皇の時に倭武命(日本武尊)に従って東国を平定し、その功で讃岐国を賜ったと見える[1]。またその奏言では、子・健持(武以/武持)を始めとして子孫の名が記載されるが、その中で允恭天皇朝には倭胡連公が讃岐国造に任じられたとある[2]。
岩手県陸前高田市には、「武日長者伝承」が存在する。この伝説によれば、武日は日本武尊の東征に従って気仙郡に至り、当地で朝日姫、夕日姫の2人の娘をもうけたという。高田町大石には武日長者の屋敷跡と伝わる場所がある。
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