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南半球の星座 ウィキペディアから
ちょうこくしつ座(ちょうこくしつざ、Sculptor)は、現代の88星座の1つ。18世紀半ばに考案された新しい星座で、彫刻家のアトリエがモチーフとされた[注 1]。明るい星がなく、日本からは南天の低いところに見えるため、目立たない星座である。
南天にあるためメシエ天体こそないが、特徴のある銀河があることからアマチュア天文家の観測対象となっている。この星座の領域には銀河南極があるなど銀河円盤が相対的に薄い領域であるため、遠方の銀河を天の川銀河内の天体の影響を受けずに観測することができる。
2022年4月現在、国際天文学連合 (IAU) によって1個の恒星に固有名が認証されている[4]。
その他、以下の恒星が知られている。
ちょうこくしつ座は、18世紀中頃にニコラ=ルイ・ド・ラカイユによって考案された。ラカイユが考案し現在も使われている14の星座の中では最も大きい[26]。
1756年に刊行された1752年版のフランス科学アカデミーの紀要『Histoire de l'Académie royale des sciences』に掲載されたラカイユの星図の中で、フランス語で「彫刻家のアトリエ」を意味する「l’Atelier du Sculpteur」として描かれたのが初出である[26][27][28]。のちの1763年にラカーユが刊行した著書『Coelum australe stelliferum』に掲載された第2版の星図では、ラテン語化された「Apparatus Sculptoris」と呼称が変更されている[26][29]。
現在の「Sculptor」という学名は、イギリスの天文学者ジョン・ハーシェルが提案したものである。ジョン・ハーシェルは、1844年のフランシス・ベイリー宛の書簡の中で、Apparatus Sculptoris を「Sculptor」と短縮することを提案した[26][30]。それを受けたベイリーが、翌年の1845年に刊行した『British Association Catalogue』において「Sculptor」と改めたことにより、以降この呼称が定着することとなった[26]。
1922年5月にローマで開催されたIAUの設立総会で現行の88星座が定められた際にそのうちの1つとして選定され、星座名は Sculptor、略称は Scl と正式に定められた[31]。新しい星座のため星座にまつわる神話や伝承はない。
現在のちょうこくしつ座の領域は、中国の歴代王朝の版図から見える位置にあったが、この領域の星が二十八宿の星官に充てられていたか否かは説が分かれている[26]。
日本では、1910年(明治43年)2月刊行の日本天文学会の会誌『天文月報』第2巻第11号で星座名の改訂が示された際に「彫刻室」という呼称が使われている[32]。この呼称は、1925年(大正14年)に初版が刊行された『理科年表』[33]や1928年(昭和3年)に天文同好会の編集により新光社から刊行された『天文年鑑』第1号[34]にもそのまま引き継がれている。戦後の1952年(昭和27年)7月、日本天文学会は「星座名はひらがなまたはカタカナで表記する」[35]とした。このときに、Sculptor の訳名は「ちょうこくしつ」と定まり[36]、以降この呼び名が継続して用いられている。
京都帝国大学の山本一清は、Sculptorは「彫刻室」或は彫刻家の工作室の意味であるが,こうした藝術家の作業室を,近年我國では,フランス語を其のまゝ「アトリエ」と一般に呼ぶやうになつてゐる.だから今の吾々の場合にも,彫刻室などギコチない言葉を用ゐないで,「アトリエ」といふ新日本語を其のまゝ採用して置くのが良いと思はれる.
[37]としており、自らが妥当と考える星座名の一覧では「アトリエ」という邦訳を充てていた[38]。
現代の中国では玉夫座と呼ばれている[39]。
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