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粟津 凱士(あわつ かいと、1997年3月1日 - )は、山形県山形市出身のプロ野球選手(投手・育成選手)。右投右打。
山本学園高等学校では2年夏まではサードであったが、その後投手に転向。2年秋にエースとなったが、3年夏は登板なく県大会初戦敗退[1]。野球を辞めて就職する予定だったが、東日本国際大学の入学が内定していた同級生の代わりに入学した[2]。
東日本国際大学では、1年春からベンチ入り。3年からフォームを上手から変更すると[1]、秋に先発投手に定着して4年秋まで3季連続で最優選手。4年時はリーグ戦で春秋最多勝、ベストナインを受賞。大学選手権の京都学園大学戦で完封勝利を挙げた[3]。
2018年9月18日にプロ志望届を提出し[4]、10月25日に行われたドラフト会議では、埼玉西武ライオンズから4位指名を受け、11月27日に契約金4000万円、年俸1000万円で契約した[5]。背番号は26。
2019年、イースタン・リーグで主に中継ぎで32試合に登板し、3勝2敗、防御率4.56だった。6月13日に対読売ジャイアンツ戦でプロ初登板を果たすが、2回4安打1四球2失点で降板した[6]。
2020年は、一軍での登板はなかった。オフに背番号が67に変更された。
2021年は4月5日に右肘の鏡視下骨棘切除術及び内側側副靱帯再建術を受けたことが発表された。復帰に1年以上を要する見込みであることから[7]、10月25日に戦力外通告を受け[8]、12月9日に育成選手として再契約したことが発表された[9]。背番号は112となった。
2022年は二軍で10登板し防御率3.38であった。オフに再度戦力外通告が発表され[10]、契約変更後1年経過による自由契約となったが、11月29日に再契約した[11]。
2023年は二軍で30登板、防御率1.95を記録したが、支配下復帰はならなかった。前年同様の理由でオフに戦力外となったが、11月23日に再契約した[12]。
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