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窪園 千枝子(くぼぞの ちえこ、1950年1月[1] - )は、日本の実業家、元歌手・元女優、元性評論家である[1][2][3][4][5][6]。本名同じ[3]。
おもな活動時期は1970年代半ばであり、当時は東映芸能(1965年設立、現在の東映ビデオの前身の一社)に所属した[3]。楽曲『しおふき小唄』で知られる[3]。別名窪園 千絵子、黒澤 千枝子。
群馬県生まれ[1]。この生年月は『芸能人物事典 明治大正昭和』の窪園の項に記されたものだが、同記事に「27歳で芸能界デビュー、テレビ、雑誌に活躍」との記述があり[1]、満27歳の時点(1977年1月)では、すでに映画出演、レコードデビューから1年以上経過しており、矛盾がある[4][5][6]。ただし「27歳で芸能界デビュー」の年齢記述[1]は、『週刊ポスト』(1975年7月)での松方弘樹との対談時に記された年齢が「27歳」[7]であることとは矛盾しない。
高校在学中の18歳のときに「ミス群馬」に選ばれたとされる[3][1]。その後、大学在学中に「ミス・インターナショナル」および「ミス着物」に選ばれたとされる[1]。19歳のときにノーベル本舗社長の窪園秀志と結婚[1]、1974年(昭和49年)には同社のテレビコマーシャルに出演するが[8]、6年で離婚した[1]。前夫との間に子どもあり[9]。
「潮吹き」で知られ、1975年(昭和50年)、27歳[1][7]のときに東映の岡田茂社長に起用され、ひし美ゆり子が主演した『好色元禄㊙物語』(監督関本郁夫)に「おせん」役で出演[10][11][12]、ヌード&潮吹きを披露した[12]。同作は成人映画に指定され、同年10月14日に公開された[11]。同年12月、テイチクレコード(現在のテイチクエンタテインメント)でシングル「しおふき小唄」を発表、艶歌歌手としてレコードデビューした[3]。同作のB面カップリング曲『女の浮世絵巻』では自ら作詞を行なった[3]。石川弘義は、窪園を「(1975年に)もっとも活躍した女性」と評した[13]。ばばこういちは、翌1976年(昭和51年)に発表した『戦後日本をダメにした100人』に窪園を選び、前年が国際婦人年であったことから「潮吹き一発、国際婦人年の火を消した」と評した[14]。
1979年(昭和54年)、一時、窪園 千絵子と改名、1980年(昭和55年)まで活動する。引退後は母が経営を行なっていた不動産賃貸業を引き継ぐ[1]。
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