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日本のマジシャン、催眠術師 (1934-1979) ウィキペディアから
初代・引田 天功(ひきた てんこう、1934年〈昭和9年〉7月3日 - 1979年〈昭和54年〉12月31日) は、日本のマジシャン(イリュージョニスト)、催眠術師。本名は引田 功(ひきた いさお)。師匠は松旭斎天洋。
神奈川県横浜市生まれ。日本大学高等学校、日本大学工学部卒業。声優の小桜有美(初妻・小桜京子との間の子)、80年代のアイドルグループ少女隊のトモ(次妻との間の子)は娘。
1968年から1975年まで7回にわたって日本テレビの特番(主に木曜スペシャルの枠内)として放送された従来のマジックからは考えられないほどの脱出イリュージョンである「死のジェットコースター大脱出」、「死の火煙塔大脱出」「死の水道管大脱出」「油地獄水面炎上大脱出」といったスケールの大きさで毎回高視聴率を記録する。その人気から日本中に脱出ブームを巻き起こし、本業以外では1969年、フジテレビ系のテレビドラマ「フラワーアクション009ノ1」にレギュラー出演。また、レギュラー冠番組『天功どっきり60分!』(東京12チャンネル(現・テレビ東京))も持っていた。
アイデアは自身が尊敬する“脱出王”ハリー・フーディーニの脱出劇にヒントを得たものである。
テレビメディアと組んだ大規模な脱出イリュージョンの日本におけるパイオニアとして、日本のマジック界をリードする存在だったが、脱出の際の大掛かりなパフォーマンスで使用する大量の火薬の威力は凄まじく、練習中に瀕死となるアクシデントや、音と熱と煙に相当悩まされるなど諸刃の剣であったと自身の著書に記している。
『紅白なんでも合戦』での海中脱出マジックには5000万円の生命保険がかけられた[2]。
心筋梗塞などの心臓疾患に苦しんだ中年期以降は催眠術パフォーマンスにも取り組み、身体に負担をかけず、かつ視覚的にインパクトのある芸も取り入れる。一方では「ナイアガラ瀑布脱出」などの新たな脱出イリュージョンを構想していたともいわれていたが、病状の進行等の事情から果たせず、1979年の大晦日に45歳で心臓病にて死去[3]。翌日(1980年元日)朝のフジテレビの特別番組『初詣爆笑ヒットパレード』[4][5]で、司会の三波伸介によりその訃報が伝えられる。遺骨は横浜市緑区長津田の大林寺に葬られた[6]。
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