Loading AI tools
日本の氏族 ウィキペディアから
神保氏(じんぼうし・じんぼし)は、本姓は惟宗朝臣で、上野国多胡郡辛科郷神保邑が名字発祥の地という。家紋は「堅二引両」。
神保氏は室町幕府管領畠山氏の鎌倉以来の譜代家臣で、畠山氏の領国である越中国、能登国、紀伊国などの守護代を務め、越中国射水郡放生津に本拠を構えた[2]。越中国守護代として史料上の初出は嘉吉3年(1443年)の文書においてであり、神保備中守(国宗)の名が見える[5]。
越中国においては、はじめ放生津城を主城とし、その外に守山城、滝山城、増山城、日宮城の諸城を有した[6]。勢力が盛んなときは富山城に拠った[7]。
応仁の乱では東軍畠山政長の腹心として神保長誠が活躍、明応の政変で幽閉された将軍・足利義稙を救出し、放生津館(越中公方)に迎えるなど最盛期を迎えた。長誠の後継者・慶宗は主家畠山氏からの独立を目指し、一向一揆と手を結んで長尾能景を討つなどの行動をとったために主君畠山尚順(尚長)の怒りを買い、長尾・畠山連合軍による討伐を受け、永正17年(1520年)新庄の戦いで能景の子・長尾為景の軍に敗れて敗走中に慶宗が自刃し、壊滅状態となった。
天文期になり、慶宗の遺児とみられる長職が新川郡に富山城を築いて神保氏を再興し、新川郡守護代の椎名氏との抗争を経て越中一国を席巻する勢いとなったが、椎名氏の援軍要請を受けた上杉謙信(長尾為景の実子)に敗北し、上杉氏に従属する。しかしやがて武田・一向宗派と上杉派に家中が分裂し、内紛状態となって衰退し、家中の実権は親上杉派の家老小島職鎮に握られた。長職の嫡子長住は武田派であったとみられ、越中を出奔して京に上り織田信長に仕え、越中帰還の機会を待った。
天正6年(1578年)3月13日に越後で上杉謙信が急死すると、信長は長住に兵を与えて越中へ侵攻させ、長住は富山城に入城して神保氏の実権を取り戻した。しかし天正10年(1582年)3月、小島職鎮らが甲斐国の武田勝頼が流した虚報(武田領内に押し寄せた織田・徳川両軍を勝頼が悉く討ち果たしたとのもの)をうけて一揆を起こし、長住は富山城を奪われ幽閉された。織田勢により富山城は奪還されたが、信長はこれに怒って長住を越中から追放し、越中守護代神保氏は滅びた(『信長公記』)。
紀伊畠山氏に仕えた神保春茂は豊臣政権期に高市郡6千石に封ぜられ、 その子の神保相茂は関ヶ原の戦いの戦功で千石の加増を受けた。しかし大坂夏の陣天王寺の戦いで相茂をはじめとする神保勢は大多数が討ち死に、壊滅した。相茂の子茂明は幼少であったが父の遺領を継ぐことを許され、その家系は大身旗本として存続した[8]。茂明の孫重同は上野安中藩板倉氏の養子となり、藩主を継いだ。
庶流の神保氏張の家系は佐々成政、徳川家康に仕えて旗本となった[1]。会津藩臣神保氏も越中神保氏の出自と伝わる。また、長誠から分かれた紀伊神保氏も、豊臣氏、徳川氏に仕えて旗本として生き残っている。
日本最大の書店街として知られる東京の神保町の地名は、元禄年間(1688年 - 1704年)に旗本の神保長治が屋敷を構え、屋敷に面した道路が「神保小路」と呼ばれたことに由来する[9]。この神保長治は『寛政重修諸家譜』によれば越中神保氏の流れをくむ(神保長誠の子孫にあたる)が、神保氏張の系統とは別系統である。
(神保慶宗の弟とされる神保長茂の系統)
諸説あって確定できず、諸説を載せる。
○出典:『富山市史』(『富山県史』に同じ)[5]
神保国宗 | |||||||||||||||||
長誠 | 与二郎 | ||||||||||||||||
慶宗 | 慶明 | ||||||||||||||||
長職 | |||||||||||||||||
長住 | 長城 | 長国 | |||||||||||||||
○出典:『寛政重修諸家譜』[10]
畠山義隆 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
神保氏張 (神保氏純養子) | 織田信秀娘 (神保・稲葉夫人) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
女子 (斎藤利基妻) | 氏則 | 佐々成政娘 | 氏長 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
氏勝 | 氏房 | 女子 (石川某妻) | 女子 (渥美友之妻) | 女子 (紅林某妻) | 氏信 | ||||||||||||||||||||||||||||||
(茂政以前に10代あるが系図消失で不詳と伝える)
茂政 ┃ 則茂 ┃ 茂勝 ┃ 茂定 ┃ 春茂 ┃ 相茂 ┃ 茂明 ┃ 元茂 ┣━━━━┳━━━━┓ 板倉重同 神保茂映 内藤正休 ┃ 茂清 ┃ 茂済
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.