毛谷黒龍神社
福井県福井市にある神社 ウィキペディアから
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毛谷黒龍神社(けやくろたつじんじゃ[2])は、福井県福井市毛矢三丁目にある神社[2][4]。旧郷社[2][4]。社紋は三ツ葉葵[2]。「毛谷黒竜神社」とも表記される[4]。
福井市の南西郊外に位置する[5]足羽山の東麓に鎮座する[2][4]。古より越前の暴れ川として知られた
創建については「延喜式」神名帳に載る坂井郡の「
境内社には、西宮恵比須大神・事代主大神・大市媛大神を祭神とする西宮恵比須神社、応神天皇を祭神とする石渡八幡神社、北ノ庄城内から移遷された神祠の立つ稲荷神社、笏谷石の石工の氏神を祀る白山神社がある[12]。
由緒については、いくつかの伝承がある[14]。
一説には、闇龗神を奉祈されたとあり、この神は龍神にましまし、雨を司る御神にして谷の龍神なりといわれ、旱天には雨乞い雨降らし、霖雨には天を晴らして五穀豊穣を祈らせ給う神なりという[14]。
古代、
和銅元年(708年)9月20日、継体天皇の遺徳を景仰し、御霊を合祀された[2]。
『越前国主記』によれば、いつごろか黒龍大明神は宮地を大口郷舟橋村に遷され、さらに川欠のため移遷した後、福井の木田山(現在の足羽山)に遷座したことが記されている[17][18]。足羽山に遷座した後も、舟橋の御社は黒龍宮と崇め奉られている[18][19]。
黒龍社記によれば、元徳元年(1329年)6月1日の神託により[2]
この宮は往古、近郊の大社であったが、永正年間に一向一揆の兵火に見舞われ、灰燼に帰した[14]。
社伝によると、慶長8年(1603年)1月10日、藩祖結城秀康により福井藩の祈願所となり[2]、元禄3年(1690年)に神殿を山上に引き上げて造営され、歴代藩主より越前鎮護の神として格別の篤い崇敬を受け、丁重に奉祀された。明治8年(1875年)12月10日、現在地に社殿が遷座された[2][20]。
『越前国名蹟考』は、祭礼は3月7日・9月20日、別当は真言宗中台山宝塔院神宮寺(廃寺)と記している[20]。
昭和52年(1977年)に創立1500年式年大祭を斎行し、稚児行列、餅まきその他の奉賛行事が行われた[2]。
平成元年(1989年)、老朽化した社殿の第一期修改築事業に着手し、平成3年(1991年)に玉垣・参道敷設工事の完了をもって修改築事業を終える[2]。
境内に鎮座する
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