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雑誌のジャンル ウィキペディアから
模型雑誌(もけいざっし)とは、模型に関する情報を提供する雑誌である。
ホビー誌と呼ばれることもあるが、英語のホビー(hobby)とは趣味のことであり、模型や玩具に限定するのは言葉としては正しくない。
また、2009年2月から無料ネットマガジン形態の模型雑誌が刊行されている。
1924年誠文堂(のち誠文堂新光社)により創刊された『子供の科学』に本間清人が鉄道模型などの模型製作記事を連載した。本間は模型用モータを設計し、模型製作記事の材料とともに子供の科学代理部(のちの科学教材社[1])により通信販売された。また山北藤一郎が電気機関車や電気関係の製作記事を連載した。同じ誠文堂発行の『科学画報』でも香西健が鉄道模型製作記事を掲載、1/30・35mmゲージを提唱し戦前の標準となった。また模型を製造し全国各地に特約店をもっていた大阪の朝日屋 (大阪府)は1930年に『科学と模型』を創刊した。1936年の『模型鉄道』は鉄道模型店の川合模型製作所(カワイモデル)により創刊された鉄道模型専門誌で、月極読者を会員として青写真設計図の配布・見学会など行い最盛期には会員数500人を超えていた。しかし日中戦争勃発以降の戦時体制の強化により趣味どころではなくなった。模型製作は材料不足をおこし、紙不足で出版物発行も難しくなった。1940年から『子供の科学』『科学画報』は用紙節約のため予約分のみ配本となり[2]、『模型鉄道』は1943年廃刊、『科学と模型』は休刊となった[3]。
模型飛行機は戦時中であっても国策により教育の一環として推奨されていた(模型航空教育)。『グライダー』は元海軍機関少佐磯辺鉄吉の尽力で1931年11月から1932年8月まで正興館から[4]、『模型航空』が1942年6月から東京日日新聞より[5]『模型』が1943年6月から1945年1月まで日光書院から刊行されていた[6]、実物雑誌『航空朝日』は模型飛行機工作や模型飛行機競技会のニュースが取り上げられており、1942年4月号は模型飛行機特集であった。同じく実物雑誌の『航空少年』も模型飛行機の頁があった。1941年12月誠文堂新光社より創刊され終戦により役目を終えたとして1945年11月号で終刊となった。
戦争が終わると出版ブームが起こった。出版すれば何でも売れるという状態となり、陸続と新聞、雑誌、書籍が出版された[7]。このブームの中で創刊されたのが『少年工作』『ラジオと模型』『モデランド』『科学少年』『動く実験室』『鉄道模型趣味』などである。さらに『子供の科学』『科学と模型』『科学画報』が復刊された。もっとも紙は配給、印刷事情から定期刊行は難しくたびたび合併号となる有様であった。やがてブームの終焉により多くの雑誌は急速に消えていった。
1958年に日本のプラモデルの歴史が始まった。特撮テレビ番組『サンダーバード』の製品の大ヒットによりプラモデルが広く認知されるようになった1961年、実物雑誌『航空情報』は臨時増刊号『プラモデル読本』を刊行。1963年から臨時増刊号『プラモデルガイド』を毎年発行する。また少年雑誌『少年ブック』は小冊子「日本プラ模型全集」を附録にし1964年6月号から小冊子「日本プラ模型新聞」を連載附録とした。1966年には、九州で模型店を経営していた井田博により日本初のプラモデル専門誌『モデルアート』が創刊されることになる。
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