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日本の野球選手 ウィキペディアから
林 琢真(はやし たくま、2000年8月24日 - )は、愛知県愛知郡東郷町出身のプロ野球選手(内野手)。右投左打。横浜DeNAベイスターズ所属。
東郷町立高嶺小学校1年生の時に硬式野球のクラブチームである高嶺ジャガーズで野球を始め、4年時から名古屋東ボーイズに所属し、投手兼内野手としてプレー[2]。東郷町立東郷中学校では愛知瀬戸ボーイズでプレーした[2]。
東邦高等学校に進学し、2年時から二塁手のレギュラーに定着[2]。3年春の第90回記念選抜高等学校野球大会に出場したが、初戦(2回戦)で花巻東に敗れた[3]。同年夏の西愛知県大会では6試合で打率.429、6盗塁を記録するが[4]、決勝で愛工大名電に敗れた[5]。2学年上に藤嶋健人、1学年下に石川昂弥がいた。
卒業後は駒澤大学に進学し、1年時から二塁手のレギュラーに定着。4年時にはハーレムベースボールウィークの日本代表に選出され[6]、チームトップの打率.368を記録した[2]。大学時代は打撃で結果が残せないシーズンもあったが、通算67試合で27盗塁と俊足巧打と堅い守備を武器とした[4]。
2022年9月27日にプロ志望届を提出[7]。その後10月20日に行われたドラフト会議にて、横浜DeNAベイスターズから3位指名を受けた[8]。11月20日、契約金5500万円、年俸910万円という条件で入団した。背番号は00[9]。
2023年は、オープン戦で打率.296と好成績を残し開幕一軍を掴み取る[10]。開幕戦となった3月31日の阪神タイガース戦(京セラドーム)では2番・三塁手としてスタメン出場を果たす[11]。その後は2番・遊撃手として出場を続け[12]、4月9日の中日ドラゴンズ戦(横浜スタジアム)で、無死一・三塁の場面で鈴木博志から犠飛を決めプロ初打点を記録した[13]。4月12日の東京ヤクルトスワローズ戦(神宮球場)で、サイスニードからプロ初安打を打ち、そのままプロ初盗塁も決めた[14]。その後も一軍出場を続けていたが、6月14日、打撃練習中に自打球で痛めた右足の母趾骨折と診断され、出場選手登録を抹消された[15]。リハビリと二軍調整を経て8月8日に再び一軍に昇格すると[16]、8月10日の中日戦(横浜)では仲地礼亜からのプロ初適時打でチームの勝利に貢献し、初めてお立ち台に上がった[17]。そこから三塁・遊撃でスタメン出場を増やし、広島東洋カープとのクライマックスシリーズファーストステージでは1番・遊撃手でフル出場を果たした[18]。1年目は65試合に出場し、打率.206、11打点、7盗塁という成績を残した[18]。11月22日、540万円増となる推定年俸1450万円で契約を更改した[18]。
2024年も、開幕一軍を迎えるが、主に二遊間のバックアップと代走としての起用が続く[19]。牧秀悟の離脱に伴い、5月21日のヤクルト戦(神宮球場)で8番・二塁手として1か月半ぶりに先発出場すると、2回に先制の適時三塁打を放つなど存在感を見せるが[20]、レギュラー争いには食い込めず、7月6日に出場選手登録登録を抹消され二軍調整となった[21]。抹消された森敬斗に代わって8月2日に再び一軍登録されてからは遊撃手として17試合に先発出場していたが、9月5日の試合前の練習中に負傷し右手第1末節骨不全骨折と診断され、翌6日に出場選手登録を抹消された[22]。17日には二軍戦で実戦復帰し、21日には一軍に復帰した[23]が、離脱の間に森が遊撃手のポジションを再び奪取しており、林は再び控えに回った。クライマックスシリーズ及び日本シリーズでは代走と二塁手として守備固めを務めた[24][25]。
50メートル5秒7の俊足を武器とし[26]、一塁到達タイムは4秒を切る[27]。打撃では粘り強さを見せる[4]。
堅実な守備力に定評があり[4]、大学時代までは二塁手専門だったが、プロ入り後はチーム事情に合わせて遊撃手や三塁手としてもプレーしている[28]。
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