北有馬町

日本の長崎県南高来郡にあった町 ウィキペディアから

北有馬町map

北有馬町(きたありまちょう)は、長崎県島原半島にある南高来郡に属した。

概要 きたありまちょう 北有馬町, 廃止日 ...
きたありまちょう
北有馬町
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北有馬町旗
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北有馬町章
北有馬町旗 北有馬町章
廃止日 2006年3月31日
廃止理由 新設合併・市制施行
加津佐町口之津町南有馬町北有馬町西有家町有家町布津町深江町南島原市
現在の自治体 南島原市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 長崎県
南高来郡
市町村コード 42372-6
面積 26.13 km2
総人口 4,149
国勢調査、2005年)
隣接自治体 雲仙市南有馬町西有家町
町の木 ヒノキ
町の花 野菊
北有馬町役場
所在地 859-2305
長崎県南高来郡北有馬町戊2747番地
外部リンク 北有馬町(アーカイブ版)
座標 北緯32度39分21秒 東経130度14分53秒
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2006年3月31日、周辺7町と対等合併し、南高来郡は南島原市となった。

地理

島原半島の南部に位置する。海岸線は短いが、南岸を島原湾に接する。

  • 河川:有馬川、大手川、浦口川、轟木川、高江川、西正寺川、坂下川、奥野川、矢代川

隣接市町村

歴史

戦国時代から江戸時代初期にかけて、町名の由来ともなっている有馬氏による統治が行われる。キリシタン大名である有馬晴信の統治下の1580年(天正8年)、現在の町域にセミナリヨが開設され、日本で初めての西洋文化教育機関として伊東マンショ中浦ジュリアンペトロ岐部などのキリシタンを数多く輩出し、江戸幕府による禁教令により閉鎖される1614年(慶長19年)まで存続した。

1637年寛永14年)に起こった島原の乱における戦死と乱後の処刑により住民はほとんど死亡し、現在の町民はその後の高力忠房の復興政策により各地から移住してきた人々の子孫であると言われる。

島原の乱までは有馬村1村であったが、乱後に南有馬村・北有馬村の2村に分かれた[1]。以降、他の町村と合併することなく推移していた。

沿革

地域

地名

を行政区域とする。北有馬町は1889年の町村制施行時に単独で自治体として発足したため、大字は無し。(発足当初は北有馬村)

なお、北有馬町では名の名称を十干に置き換えて表記する。

  • 甲 / 折木名(おりきみょう)
  • 乙 / 坂上下名(さかうえしたみょう)
  • 丙 / 西正寺名(さいしょうじみょう)
  • 丁 / 今福名(いまぶくみょう)
  • 戊 / 谷川名(たにがわみょう)
  • 己 / 田平名(たびらみょう)

教育

中学校

小学校

交通

町内に空港はない。最寄り空港は長崎空港

鉄道

バス路線

一般路線バス

  • 島原鉄道バス

道路

一般国道

主要県道

経済

産業

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

名所・旧跡・観光スポット

祭事・催事

北有馬町出身の有名人

参考文献

脚注

関連項目

外部リンク

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