小笹三郎
ウィキペディアから
小笹 三郎(おざさ さぶろう、1876年〈明治9年〉8月5日[1] - 1915年〈大正4年〉9月10日[1])は、日本の建築家、土木技術者。ツーバイフォー工法を日本に広めた人物。
略歴
- 1876年(明治9年)8月 - 長崎県南高来郡[1]北有馬村出身[2]。
- 1893年(明治26年) - オーストラリアを経て[2]北米に渡り、スポーケン高等学校を卒業。
- 1907年(明治40年) - アメリカのオレゴン州立大学で鉱山学を学び卒業[2]。
- 1908年(明治41年) - ユニオンパシフィック鉄道会社の子会社(オレゴン鉄道株式会社)を経て、鉄橋架設工事に従事。
- 1909年(明治42年) - シアトル市セントラルビルディングにて独立。工業事務所を設け、広く土木建築に従事。洋館数十戸を設計[2]、邦人にもかかわらず外人の委託をよく受けていた。
- 1910年(明治43年)8月 - シアトルにてパナマ・ホテルの設計・施工を行った。
- 1911年(明治44年) - 帰国。11月に鉄道橋梁、土木建築諸工事の設計請負[3]を行う会社として東京・有楽町に合資会社小笹工務所を設立。最新最美のアメリカ式建築を日本で実施した[2]。
- 1915年(大正4年) - 急逝。享年39歳。
代表作
脚注
参考文献
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.