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日本の江戸時代中期~後期の武士。江戸幕府旗本松平康郷(松井松平氏)三男で、同格前田玄長養子。高家前田氏2代当主。従四位上侍従・出羽守。高家肝煎を勤める ウィキペディアから
前田 房長(まえだ ふさなが、宝永7年(1710年) - 安永10年2月26日(1781年3月20日))は、江戸時代の高家旗本。藤原北家閑院流高家前田家第2代当主。旗本寄合松平康郷(松井松平氏)の三男。幼名は長九郎。通称は式部。官位は従四位上・侍従・出羽守。後に長覚と号す。
父方の曽祖父は和泉岸和田藩主松平康重、祖父は旗本松平康敬(康重の五男)。実兄に石見浜田藩主松平康豊(康郷の長男)らがいる。
享保19年(1734年)、高家肝煎役前田玄長の養子となる。享保20年(1735年)5月15日将軍徳川吉宗に御目見し、それに伴い表高家に列した。寛延3年12月14日(1751年)、部屋住みより新規に召し出され、高家役見習となった。同年12月18日、従五位下・侍従・出羽守に叙任。宝暦2年(1752年)7月3日、養父の死去により家督を相続する。宝暦10年(1760年)に従四位下に昇進。明和4年(1767年)閏9月26日、高家肝煎役となる。明和8年(1771年)、従四位上に昇進する。安永元年(1773年)正月2日、京都へ年始御使。安永2年(1774年)4月8日、隠居して長男清長に家督を譲る。安永10年(1781年)2月26日死去、72歳(内実は82歳)。墓所は市ヶ谷自證院。法号は了達院前拾遺慧萼即性大居士。
正妻は大田原扶清の女。後妻は青木直宥の女・紋(もん)。長男隠岐守清長、四男松平康定(浜田藩主松平康福の養子)ら4男2女あり。
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